ブラッシータウン駅に着いたラリニはそわそわと周囲を見渡した。少し乱れた前髪を整えながら、紙袋を持ち直す。窓にうっすら映った自分の姿を見て、今更ながら「これでよかったのだろうか」と不安な気持ちがわいてきた。かわいさ重視よりも動きやすさを優先したパンツスタイル。バーベキューだから、と思ったのだが機能性を重視しすぎたかもと不安を覚える。恋人の家へお呼ばれしているのだから。
そんな不安げに眉根を寄せる彼女の肩を叩いたのはホップだった。途端に暗かった表情に灯りが灯る。

「お待たせ」
「全然待ってないよ。大丈夫」
 
ホップは自然とラリニの手にある紙袋を代わり持った。中身はきのみの詰め合わせだから重いはず、と慌てて伝えると、彼は「これぐらい平気だぞ」と笑う。現に彼は片手で袋を抱えていた。ラリニは両手で精一杯だったのに。

「それよりも今日のラリニもかわいいな! その格好も似合っている」
「あ、ありがと」
 
ホップは照れずにこういう言葉をさらりと言うようになった。一方、ラリニはまだ頬が熱くなる。どうしてだろう、始まりは同じぐらい照れていた。いつの間にか繋がれた手も、自分の方ばかりが体温が高い気がしてくる。

「ここからはウチまでは歩きだけど大丈夫か?」
 
アーマーガアで飛んでもいいけど、との提案にラリニは首を振った。自身の相棒は昨日、一日中カンムリせつげんの駐在をしたせいで疲れている。少しでも今日は休ませたい。なにより――

「ホップと歩いていきたいな」
「……うん。そうだな、ちょっとゆっくり歩いて行こうか」
 
そうすれば着く頃にはちょうどよくバーベキューが始まっているかも、とホップはニヤリと笑う。
遭難未遂事件から一ヶ月。ラリニは改めて再受験を受け、横断免許を取得することができた。それをホップに報告したところ、彼はお祝いを兼ねてというわけではないが彼女を家族みんなが集まるバーベキューへ招待したいとのこと。自身の家族だけではなく、ユウリの家族もソニアやマグノリアも来るから気兼ねしなくていいと伝えつつ、本音である家族へ紹介したいともまっすぐに言った。
 
ラリニは「家族に会う」という言葉に胸を緊張させながらも、頷く。例の遭難事件についてユウリとダンデにも改めて礼をしたいと考えていたし『ホップになにかあったとき』に自分へも連絡が欲しいと強く思っていたからだった。
そうして今日、休みを取ってそのバーベキューへ伺うこととなる。手土産にきのみの詰め合わせを買って。

「そんなに緊張しなくていいんだぞ」
「そうかもしれないけど……」
 
ホップの家族だ。きっと温かく自分を迎えてくれるに違いない。しかし、それはそれとして緊張するのも事実。自身の評価がホップに繋がっていることもよく理解していた。ソニアもいるから、とフォローが入るが、ラリニはあまり効いていない。
そんな恋人の姿に苦笑しつつ、ホップは「大丈夫」と言い切る。

「オレの家族を信じて欲しいんだぞ」
「そ、そうだよね。ごめん」
 
確かにこんなにも緊張しているというのは、彼の大切な人を傷つけていることに変わらない。早々に肩を落とすラリニを見て、慌ててホップは首を振った。

「ああ、そうじゃなくて! ええと」
 
頬を掻きながら、言葉を続ける。

「ラリニのことちゃんとオレが守るから。だから心配しないでほしい。自分でも言うのもなんだけど家族もユウリもソニアも、オレの周りの人たちはみんないい人だ。全員、ラリニに会いたがっている。特にアニキとユウリなんて、すごかったんだぞ」
 
チャンピオン二人が、自分に? それはそれで緊張するような。
繋がれた手につい力が入る。それを感じ取ったホップは優しくそれを握り返してきた。そのぬくもりと優しさに、固まった身体からほどよく脱力していく。

「あ、見えてきた。あれがオレんち!」
 
ウールーの群れの向こう、赤い屋根の家に向けて彼は言う。その庭には確かに大勢の人が集まって、バーベキューコンロを囲っていた。その中にはダンデもいる。
しかし、もうラリニは緊張しない。胸も変に打っていないし、呼吸が浅くなっていることもなかった。隣にホップがいる。大丈夫だと言ってくれたから、怖いものなどない。

「バーベキュー、楽しみだな」
 
社会人になってからはめったにしなくなったし、呼ばれることもなかった。友人もそういうタイプではなかったから久しぶりに大勢で食事を取る。
ラリニのほんのり赤く染まった頬を見てホップの胸に広がったのは恋人への愛おしさ。それとなく身を寄せ触れる肩の存在を味わいつつ、彼はまた一歩、進んだ。



「少しいいかな」
 
ホップが母親に呼ばれたタイミングを見計らい、ダンデはラリニへ囁いた。彼女は驚いた様子を浮かべながら、おずおずと頷く。手にしている皿をテーブルへ置くように言って、ダンデは団欒の輪から少し離れたところへラリニを誘った。緊張した面持ちの彼女へ「そんなに怯えないでくれ」と笑う。

しかし、ラリニはそうはいかない。ホップが言うとおり、彼らの家族も友人たちもとても優しく温かく自分を迎え入れてくれた。特にユウリは「やっとラリニさんと会えた!」と飛び跳ねて、ジムチャレンジ時代のホップの写真を山ほど差し出してきた。(それを見てホップが騒いでいたのが、ソニアに黙らされていた)
そのおかげもあってホップの母親、祖父母そしてダンデへの紹介も驚くほどスムーズだった。持ってきたきのみをみんなで食べて、仕事の話をし、二人の馴れ初めを白状させられた。

だからこうして改めてダンデに――しかも二人きりで――呼び出されることに緊張しないわけがない。特に彼には遭難事件のこともある。お礼は一番に伝えたがやはり思うところがあるのではないか。ガラル地方のことを常に考える元チャンピオンは、家族への愛情深さについても有名だ。
そんな彼女の胸中を目敏く察しながらダンデは静かに、そして優しく伝えた。

「キミといるホップはオレの見たことの無い顔をしている。弟≠ナもポケモントレーナー≠ナも博士の助手≠ナもない、ただの男の顔だ」
 
相手を慈しみ、愛おしく想い、守りたいと誓うガラルの男の顔をしている。
そのことに気づいたとき、ダンデはなんともいえない気持ちに支配された。兄として大人として、彼を守らなくてはいけないと常に考えていたのに、それはもうすっかり必要なくなったのだとわかったのだ。
もうホップは『誰かを守る側』にいる立派な大人の男であるのだと。

「オレにとってはずっと弟であることは違いないんだが――不思議とそう感じた。もうホップは立派な大人だと」
 
それはラリニと出会ったからだ、と彼は続ける。身体的成長は時間と共に。そして心の成長は人との関わることで育まれる。ダンデも自身の経験から理解していた。多くのライバル、トレーナーと出会ってきたからだ。

「キミのおかげだ。キミのおかげで、ホップは一人の男として大きくなれた」
「……そんなことないです。私が、だなんてとても」
 
ダンデはゆるりと首を横へ振る。

「ラリニくんがいたからだぜ。キミを愛おしいと想う気持ちが、ホップをまた成長させたんだ」
 
そう言って彼は被っていた帽子を取り、頭を下げた。

「ホップをよろしく頼む」
 
深々と腰を折るダンデにラリニは慌てて「頭をあげてください!」と声をあげる。そして、ホップとよく似た金の瞳にしっかりと目を合わせ、微笑んだ。

「こちらこそ、よろしくお願いします。あの、ありがとうございます。いろいろと」
「弟が選んだ女性だ。最初から信じていたさ!」
 
テレビでよく見た――いや、それよりも輝かんばかりの笑顔が向けられる。ホップとよく似た笑顔だ。兄弟だなぁ、とひっそり感想を抱く。

「アニキ、向こうでかーちゃんが呼んでいたんだぞ」
「ああ、わかった」
 
やってきたホップにダンデは応え、ラリニへ「またあとで。ホップの小さいころのアルバムを見せよう」と耳打ちし、母親の元へ向かった。彼が元いたポジションへ入れ替わるようにホップが滑り込む。そしてなぜか不満そうな表情を浮かべ、言った。

「アニキと何を話していたんだ?」
「なにって、ホップのことだけど」
「本当か?」
 
じとりとした視線に「おや?」と首を傾げる。ホップがこんな表情をして、湿った感情を表に出すのは珍しい。ちょっとだけ意地悪な自分が唆され、ラリニは尋ねる。

「もしかして、ダンデさんに嫉妬しているの?」
「……いくらアニキが相手だって、二人きりで話していたら気になるだろ」
 
図星を突かれたことが気まずいのか、ホップは顔を逸らす。耳が赤くなっているところを見ると、なかなか恥ずかしいことを言っている自覚があるらしい。ラリニは彼へ身を寄せた。触れ合う肩からさらに身を乗り出し、頬へキスを落とす。そして一言。

「私が好きなのはホップだけだよ」
「……知ってる」
 
そして、今度はくちびる同士が触れあった。


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