「俺もネズのライブバトル行きたかったぁ!」

事務所へ盛大に響く声。ぐすぐすと泣き真似をする同僚へラリニは応えることなく、コーヒーを啜った。彼女の代わりに先輩が苦笑混じりで彼に相槌を打つ。

「そもそもチケット当たってないでしょ、あなた」
「そうッスけどぉ! それも含めての嘆きっス!」
 
倍率80倍だったらしいですよ、と同僚はくちびるを尖らせた。
彼が口にしている話題は、本日、ナックルジムで開催されているネズVSキバナのバトルのことだ。先の言葉通り、そのチケットの倍率はとてつもないことになっている。理由としては一線を退いたネズの久しぶりのバトルであること、加えてそれが『ライブバトル』という音楽ライブも共に味わえる、ひと粒で二度美味しいイベントになるからだ。しかも相手があのキバナ。

「そりゃチケットなんて取れないよね」
「ファンクラブ先行もリーグ協会先行も、一般の抽選も先着もぜーんぶ外れたんスよぉ」
「なら泣くよりも今日のライブバトルの映像化のお願いでもメールしときなさいよ。そのほうがよっぽど有意義じゃない。終わってすぐなら余計にファンアピールできるでしょ」
 
先輩の正論を受け、再び同僚は泣き真似を始める。人は時に、正論から目を逸らしたいときもあるのだ。かくいうラリニも彼ほどではないが、一般抽選に応募していた。やはりネズの曲はガラル民であれば一度は生で聞きたいし、相手がキバナということもある。あの日から、キバナは度々ラリニを指名してくれていた。そのため、彼の活躍を見たくなるのは自然のことだろう。
 
加えて、チケットが取れなかったことを惜しむ理由がもう一つ。ライブ終わりのファンがSNSで公開したセットリストの中に、ラリニが最近お気に入りになった曲があったのだ。

ネズの曲は最初こそピンとこない曲でも、あとから聞き直すと好きになってしまう不思議な魅力がある。それらはよく『ヤドンの燻製曲』と称されている。噛めば噛むほど味が出る、という意味らしいが――ちょっとゴロが悪いのではないかとラリニは密かに思っていた。
 
だから、あの曲も生で聞けるなら聞いてみたかった。少し残念な気持ちを抱えながら、残りのコーヒーを啜る。そもそも休みを取れたかもわからない。イベント終わりはタクシーも稼ぎ時なこともあり、殆どのドライバーが事務所待機を命じられるからだ。

そして、その事務所の電話が鳴り響く。事務員がそれを素早く取って会話を交わす。どうやらタクシーのご用命らしい。受話器をおいた事務員は、ラリニの名前を呼んだ。

「ラリニ、指名だ。ナックルジムへ向かってくれ」
「わかりました。お客様のお名前は?」
「――ネズさんだ」
 
後方で同僚の悲鳴が響く。


***



「キバナから聞きましてね。あなたならいろいろと安全だと」
「あ、ありがとうございます」
 
気怠げな雰囲気の中、まだライブの余韻が残っているのか、熱っぽい瞳を滾らせながらネズは荷籠に乗り込む。シートベルトもラリニが促す前につけ、行き先の住所を告げた。

「かしこまりました」
 
ラリニはすぐさま背に乗り、アーマーガアに指示を出し、ゆっくりと離陸する。バトルとライブを終えたネズはすぐに休みたいはずだと考え、一秒でも早くスパイクタウンへ向かうように努めた。

ふとラリニの耳がメロディを拾う。荷籠へ繋がれているインカムから流れてくるそれは、ネズの鼻歌だ。しかもそれはラリニが最近お気に入りになったあの曲。
思わずその曲名を呟けば、切り忘れたマイクがそれをネズの元へ届けたようだった。彼はわずかに喉で笑い、言う。

「この曲が気に入りですか?」
「は、はい! 最近のお気に入りです」
「なるほど」
 
そして次に告げた彼の言葉のせいで、ラリニは大きく運転を揺らすこととなる。

「恋をしていやがりますね?」
 
ぐらりと揺れた車体。慌てて体制を整え、ネズへ謝罪と無事を確認すると「今のはおれが悪いので、気にしないでください」とカラリとした声が返ってくる。

「それよりも、恋をしている自覚は?」
「え、ええと……」
 
なぜその話題を引っ張るのだろうか。ネズはいまだに件の曲の旋律を刻んでいる。

「ネズはただの曲を作らない。万人受けするような、ヒットナンバーは歌えない」
 
同じ人間でも、時と場合、そして抱く感情によって刺さる曲が変わる。

「そういう曲を、おれは作っている」
「…………」
 
つまりネズは、ラリニが恋をしているからその曲を気に入った、と言っているのだろう。そして心当たりがあるからこそ、複雑な気持ちがわきあがる。「曲一つで気持ちを決めるなんて」と思う反面、「でもネズの曲だから」という今までの彼への信頼もある。実際、彼女は歌詞やメロディにひどく共感を覚えていた。だから、あながちネズの言葉も誤りでないのかもしれない。
 
そんな会話をしているうちに告げられた住所の近くに着いた。スパイクタウンは比較的空き地も多い町なので、アーマーガアの着陸には困らない。先程の失敗を巻き返すように、揺れずに地面へ籠をつけた。
ラリニは念の為に周囲を確認し(ついでにひこうポケモンで追いかけてきたトレーナーがいないかも確認した)、ドアを開ける。
 
ネズが「料金は?」と尋ねてきたので、揺らしてしまった詫び分を差し引いた料金を伝えた。すると、彼は片方の眉をあげて、怪訝そうな声を出す。

「あの揺れはおれのせいです。正規料金を言ってもらえますか」
「いいえ、ネズさんのせいではありません。私の運転技術が未熟だからです」
 
ネズは再び口を開きかけ、言葉を飲み込んだ。まっすぐに彼を見つめるラリニはプロ意識に燃えていたからだ。ここで無理にでも正規料金を聞き出し払えば、それは彼女の誇りを傷つける行為と変わらない。そしてネズの本意でもない。
 
なら、と彼は荷物の中から一枚のCDケースを取り出し、提示された料金とともにラリニへ押し付けた。勢いのまま受け取ってしまったラリニは目を丸くしている。

「それ新曲です。未発表の」
「えっ!?」
「いわゆるプロトタイプというやつですよ。といっても、ちゃんとしたスタジオで録ったわけじゃない……ライブ前に気分がノッて書きなぐった曲なもので」
 
だからノイズ混じりで雑音も入っているだろう。適当においてあったキーボードだけがメロディのほぼアカペラの曲だ。CDに焼いたのも、ただ単に興が乗ったからに他ならない。

「その曲は知り合い――いや、弟分をモデルに作っていましてね。そいつも一丁前に恋をしていやがるんですよ。しかもよくおれに相談してくる。なんでも年上の女を想っているようで」
 
ネズは言う。その話を聞いて、この曲を作った。だから、きっと恋をしているラリニも深く刺さるはずだと。

「話を聞く限り、いい恋をしているようです。――だから、あんたもきっとわかるはずだ」
 
恋とはどんなものなのか。人を想うとはどういうことなのか。

「よかったら聞いてください。いい運転をありがとう。また頼みますよ」
 
ラリニが口を挟む間も与えず、ネズはひらりと手を振ってスパイクタウンの闇の中へ消えていった。残されたのはCDケースを握りしめるラリニのみ。怒涛の展開についていけず呆けている。
しばらくして、相棒の一鳴きのおかげで彼女はハッと意識を取り戻した。手にしているCDには雑な数字で本日の日付とネズのサインが書かれている。

「恋をしている、曲」
 
ホップの顔が、脳裏によぎった。



その後、帰宅したラリニはテレビに外付けしているディスクプレイヤーにCDを入れた。CDを始め、各ディスクを再生することができるそれは、読み込みに数秒ほど要したのちにテレビのスピーカーから音を流し始めた。
ネズの声で今日の日付と、軽い雑談が流れる。その後、曲名を告げた。キーボードでメロディを弾き始める。ネズにしては珍しいしっとりとした音の中で、彼の歌が響いた。
 
それはまごうことなき愛の歌。想い人を一途に愛し、でも自分は年下だからきっと見向きもされない。それでもその人を想わずにいられない。いつか、少しでもその心が自分に傾きますように、と祈る健気な歌。自分がその人を笑顔にできたら、そばにいられたら、なんと幸せなことだろうかと夢見る光に満ちた歌。
 
気づけばラリニは泣いていた。嗚咽は止まらず、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。この歌はホップの歌だ。直感的に彼女はそう思った。ホップとネズが知り合い同士でもなんらおかしくない。むしろ繋がりがあるほうが自然だ。
ホップが自分に向けていた想いを、ネズを通して知るなんてラリニは思わなかった。それほどまでに真摯に、まっすぐに、この曲の中のホップはラリニを想っている。
 
ネズは言っていた。「万人受けする曲は作らない」と。もしかしたらこの曲は、たった一人――自分に向けられて作られた曲なのかもしれない。ラリニはそう思った。
同時に自身の中にいつの間にか生まれていた感情が顕になっていくのを感じる。本人でさえ気づかず、大切にずっと抱えていたもの。芽吹くときを待っていた想い。それに向き合うと、ストンと何かが落ちていった。こうやって人は恋に落ちるのだと自覚する。
 
ホップに会いたい。会って、ちゃんと伝えたい。応えたい。ラリニは今が深夜なければ、アーマーガアに乗って、すぐさま彼に会いに行っていただろう。

私もホップが好きだよ、という言葉とともに。


<< novel top >>
ALICE+