「随分とご機嫌だな」

いまにもミュージカルを始めそうなほどに浮かれているソニアへ、ダンデは苦笑気味に言う。先日届いたジョウトからの資料の中にダンデが関心を寄せていた論文集があったと連絡を受け、研究所へやってきたというのに――肝心のソニアがこんな調子だとは思わなかった。ダンデは彼女に隠れてこっそりと肩を竦めた。

なにかソニアが喜ぶようなものが発売されたか? と思考を巡らせるが、あいにくとダンデの脳内ライブラリにその手の情報は皆無。なにしろポケモンとガラル地方のことしか入っていない。
ソニアは幼なじみからの質問に嬉々として答える。

「そりゃ、ご機嫌になるって! むしろダンデくんがそんなに冷静なのが意外なくらい」
「オレが?」
 
困惑から疑問へ。自身も関わり、ソニアの機嫌にも影響すること。考えても浮かばない。強いていうならジムチャレンジだろうが。だが、今期のジムチャレンジについては『開幕に行われるチャンピオン・ユウリのエキシビションマッチを誰にするか』ぐらいしか議題が残されていない。去年は自分が担当したから、今年は――

「そういえばホップは?」
 
ふと、弟の姿が見えないことに違和感を覚えた。どんなに缶詰めになっていても、ダンデが研究所に来たのなら必ず顔を見せるに来る大切な弟でありライバル。しかし、いまだにホップはやってきてない。せっかくだからエキシビションマッチの候補に、と思ったのだが。

「出かけているのか?」
 
純粋な問いだった。ソニアがホップをお使いに出すことはよくあるし、今日もそうなのか、という軽い気持ちでダンデは尋ねた。しかし、その質問を受けた彼女はぽかんと目を丸くしている。

「なに言っているのダンデくん。今日のホップはデートじゃん」
「……デート?」
「そう。ずっと片思いしていたラリニちゃんと、晴れて恋人になってからの初デート……ってまさか」
 
ソニアのさっと顔が青くなる。彼らは仲のいい兄弟だから、ホップはとっくに兄へ恋人ができたと話していたのだと思っていたのだ。しかしよく考えればホップだってもう兄離れをしている年齢。いくら兄弟仲がいいとはいえ、一から十までを全てダンデに報告することなんて無いだろう。
 
無言を貫く彼から流れでる複雑なオーラ。父親代わりとして、信頼される兄として、なにより同じ男として――ダンデが自身の形容しがたい感情と戦っているのがわかった。
ソニアはフォローをしようと視線を彷徨わせる。

「……いい子だよ、ラリニちゃん」
 
それしかダンデにかける言葉が見つからない。同時に胸中でホップへ詫びる。
ごめん、ホップ。あとでダンデくんから質問攻めになるかも、と。


***


「っくし!」
「大丈夫? 寒い?」
「そういう感じじゃないんだぞ……。噂でもされているのかな」
「ソニア博士かもね」
 
ふふ、と笑みをこぼすラリニにつられ、ホップも微笑む。
恋人になった二人の関係は劇的に変わったわけではなかった。もともと仲が良い、というのもあったのだろう。なんとなく友人の延長としての付き合いになりかけ――たところに、ネズが『待った』をかけた。(一応、と思ってホップは彼へ報告をしていたのだ)
 
ネズはわざわざナックル・ミュージアムのペアチケットを贈り「二人でちゃんとデートをしやがりなさい」と釘を刺してきた。曰く「お前たち兄弟は放っておくとワイルドエリアの散策とかをデートコースに選びそうなんでね」とのこと。加えて「もらいものだからと言えば、相手も誘いを受けやすいでしょう」というテクニックも教えてもらった。その大人≠フ余裕に歯痒い思いを抱かなかったといえば嘘になる。しかし、先達に教えを乞う重要さもホップはよくわかっていた。かつ、それは兄よりネズのほうが向いていることも。
 
心の中で兄へ詫びながら、ホップはネズに女性のエスコートの仕方を学び、デートのいろはを己へ叩き込んだ。そして迎えた本日のデート。言われた通り「ペアチケットをもらったんだ」と誘えば、ラリニも遠慮することなく頷いた。(その人にお礼を言いたい、と言われ、必死に誤魔化したのもよい思い出だ)

そしてラリニの休日に合わせ、ソニアへ一日休みを欲しいと頭を下げた。新しい服を新調し、いつも以上に身支度を整えて、ホップは今日という日を迎えた。
ラリニもまた、恋人になってはじめての二人きりでのお出かけに緊張していないといえば嘘になる。友人の時でさえよくあったことでも、もう意味合いが異なるからだ。デート≠ニいう響きでこんなにも胸が高鳴るだなんて。行き先が美術館だから、と落ち着いた上品なコーディネートを雑誌やインターネットで探し、参考にした。たくさんの街を巡り、ようやく見つけた理想としていたロングのスカートをシュートシティのブティックで買う。その店がモデルにキバナを使っていたことに気づいたのは、購入したあとだった。
 
二人が相手と自分のためにとびきりのおしゃれをして、待ち合わせたナックルシティ駅の前。お互いが言葉を失ったのは言うまでもない。好きな人の特別な装いというのは、こんなにも感情を揺さぶるだなんて。まるでメロメロ°Zをくらったポケモンのように、二人の心は恋にとろけきっていた。

「恋人がおしゃれをしてきたなら、褒めるんですよ? 間違ってもポケモンに例えるんじゃねーですよ」とネズに釘を刺されていたホップが一早く我に返り、ラリニの服装を褒めちぎった。かわいい、似合っている、素敵だ、かわいい、と同じ言葉を繰り返すことになっても、何度も何度も。ラリニが叫び声をあげて制止するまで。そしてラリニもか細い声で「かっこよくびっくりしちゃった……すごくドキドキする」と呟いた。
 
甘いひとときを味わいながら、二人はミュージアムへ向かう。ちょうど特別展示として『ホウエン地方のコンテスト』を描いたポケモンの絵画展が開催されていた。バトルとは違い、パフォーマンスでポケモンの美しさやかっこよさ、かしこさなどを表現するポケモンコンテスト。ガラルにはない文化であるそれに二人はすぐさま夢中になった。ガラルには生息していないポケモンにはホップが小声で解説を入れる。自然と二人の距離は近付いた。

「チルタリス、かわいい」
「チルルっていうニックネームみたいなんだぞ。いろんな賞を取っているんだな」
「そうだね。丁寧にお世話されているんだなって伝わってくる」
 
チルルとそのトレーナーであるルチアはコンテストスターであるらしく、特別ムービーも流れている。それを見れば、彼女たちの息がぴったりであり、互いに信頼しているとすぐにわかった。ブルーの衣装で舞うルチアとその隣で優雅にパフォーマンスをするチルタリスを見て、ラリニは言った。

「カンムリせつげんにもチルタリスがいたよね。ホウエンのポケモンで、ドラゴン・ひこうタイプだから寒いのは苦手そうなのに」
「そのため羽なんだぞ。あと、チルタリスにはもう一段階特別な進化が確認されていて、さらに羽がふわふわになるんだ」
「ホップのバイウールーとどっちがふわふわかな」
「バイウールーと言いたいところだけど、毛の質がそもそも違うだろうし……そっか、役割が違うから……」
 
どんどんと研究者の顔になっていくホップにラリニは相槌を打ちながら、聞き役に徹する。しばらくすると、彼女を放ったらかしにしていたことに気づいたホップが気まずそうに頬を掻いた。

「止めてくれって……」
「なんで? もっと聞いていたかったのに」
「ラリニ」
「ふふ、さ、次いこ」
 
そっとホップの手を引いて、ラリニは先を促す。自然と触れ合った指先に、頬を染めたのは彼だけではない。彼女もまた、ほんのりと赤みを帯びていた。それを見逃さなかったホップは、一呼吸ののち、手をしっかりと絡める。いわゆる恋人繋ぎだ。途端にラリニが肩を震わせる。そして、ゆっくりと応えるように力が込められた。

「次はなんの展示だろうね」
「楽しみだな」
 
二人は手を繋いだまま次の展示室へ、向かっていく。



楽しい時間はあっという間、というけれど、本当に一瞬で過ぎ去ってしまったように二人は感じた。
美術館を回り、ちょっと背伸びをしたレストランで食事をする。当たり障りない、と言われればそれまでだけれど、ホップの中では大満足のそして自身を褒めてもいいぐらいのエスコートができたデートだった。慣れないところはあったが、そんなところもラリニは笑ってくれたし、気まずい時間は一秒たりともなかった。今日はアーマーガアタクシーも封印して、電車で移動したのも正解だった。
 
多幸感に包まれながら、ホップは最後の役目であるラリニを彼女の家まで送り届けるミッションを遂行中。本当はもう少し一緒にいたいけれど、焦りすぎるのもよくない。スマートな男がホップの目指すところである。
ラリニの案内の元、彼女の賃貸マンションへ向かう。親元を離れ、一人暮らしをしていることは知っていた。ゆえに、ここまでの道を必死に頭に刻み込む。万が一、彼女がSOSを求めてきたときに迷うことなく来られるように。

「そこが借りているマンション。だからここでお別れだね」
「そっか」
 
集合玄関まででいい、と彼女は言っていた。本当はドアの前まで、とも思うが、そこは彼女の気遣いを優先することにした。

「今日は楽しかった。ありがとう、ホップ」
「オレもすごく楽しかったんだぞ」
 
名残惜しいのはお互い様。ぽつりぽつりと静かな会話が続いていく。
ふいに、ラリニがホップの袖口を引いた。わずかな力のそれに違和感を覚え、俯き気味の彼女へどうしたのかを尋ねようとして、言葉を飲み込む。――髪の毛の隙間から覗いた耳がとても赤かったから。
ここで彼女から言わせるのはだめだ。ホップは今日イチの勇気を振り絞り、その耳へ囁いた。

「キス、してもいい?」
 
ラリニが小さく頷いたのを確認して、ホップは彼女の細くてやわい肩へ手を乗せる。

「顔、あげてほしいんだぞ」
「……ん」
 
真っ赤に染まった白い頬が露わになる。期待と恋に満ちた瞳がホップへ注がれた静かにそれが閉じたのを確認し、身をかがめた。甘いくちびるへゆっくりと自分のそれを重ねる。時間にして数秒。でも体感は永遠。

「……もう一回、していい?」
「……私も、してほしいと思ったから、いいよ」
 
ホップはまたラリニへキスをする。こんなにも幸せなことがあっていいのか、と思いながら。


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