二人の交際は順調に日々を重ねていた。大きなトラブルもなく、付き合いたての恋人特有の甘い空気にもようやく慣れたといえるだろう。しかし、最近のホップはラリニと会えていない。彼女はカンムリせつげんの飛行免許を取得しようと、業務の合間を縫って講習に参加しているからだ。「ホップが頑張っているから、私も新しいことにチャレンジしてみたくなったの」と、はにかんで伝えてくれたのは記憶に新しい。ホップもまた、そんな彼女を応援しようと会いたい気持ちをぐっと抑え、彼女の免許取得までデートを我慢しようと決めた。

――だが、彼のライバルはそう思わなかったらしい。

「甘いね」

ずばりと告げたユウリへホップは「なにが?」と不満そうに答えた。
シュートスタジアムにある応接室。次のエキシビションマッチの候補として選ばれたホップはとりあえずライバルであり現チャンピオンであるユウリから説明を受けにやってきた。なのになぜ恋人との近況を話しているのだろうか。いつの間にか、誘導されていた。それも彼女の話術が巧みなせいに違いない。
そんなユウリはじとりとした視線を投げながら、真剣な声で言う。

「そうやって自然消滅する可能性があるんだよ? 付き合って三ヶ月めが倦怠期、だなんてセオリーじゃない」
「それはよく聞くけど……」
「メッセージのやりとりや電話をしているから大丈夫? 甘い甘い!」
 
ユウリはびしりと指をさして、さらに言葉を告げた。

「ちょっとでも顔を合わせて実際言葉を交わすのが大事とあたしは思います! というか、そろそろラリニさんに合わせてよー!」
 
ああ、なるほど。本音はそっちか、とホップはため息を漏らしながら、呆れた表情を浮かべた。別にラリニのことを隠しているつもりはなかったが、いつの間にか彼女はホップの恋人のことを聞きつけて「ラリニさんに会いたい!」と繰り返していた。名前だけではなくアーマーガアタクシーのドライバーまでやっていることまで嗅ぎつけているとは思わなかったが。

ユウリにあるのは単純な興味。しかし、それが逆に厄介だとホップは思っている。彼女の長所は勢いで、短所もまた勢いだからだ。あと二人はきっと仲良くなれるだろうから、恋人を取られてしまうのではないかという少しの不安。
晴れない表情のホップを見て、ユウリはくちびるを尖らせて不満を露わにする。次の瞬間、なにかを閃いたように「そうだ!」と叫んだ。

「今度ホップのお家とあたしの家族とでバーベキューやるよね? マグノリア博士とソニアさんも呼んで。その時にラリニさんも招待したらどうかな?」
「……家族に紹介は早くないか?」
「ホップの家族なら大丈夫だよ。――それにダンデさんへもちゃんと伝えるいい機会じゃない?」
 
その言葉はホップにはこうかばつぐん≠フ一言だった。うぐ、と呻き声がもれる。
初デートの翌日、ソニアが開口一番に彼へ放ったのは「ダンデくんに言っちゃった!」という謝罪。兄、というより家族には自分に恋人ができたなんて、自分からは照れくさくて言えない。ただそれだけのことだった。それに「黙っていてほしい」と周囲へ口止めしていたわけでもない。そんな些細な隠し事だったため、自分以外の誰かからバレることもあると覚悟はしていた。あと、家族に紹介するのはどうも『先のこと』を意識するようで――その覚悟がまだホップにはなかったこともある。
 
だが、ダンデは何も言わなかった。ホップと顔を合わせても「ソニアから聞いたんだが」と切り出されることもなかったし、いつも通りの兄のままだった。そのせいか、ホップは彼へ説明する機会をことごとく逃し、今に至る。なんだか嘘をついているようで心苦しさを感じていたのだ。
だからユウリの提案は確かに『ちょうどいい』のだろうとも思う。ラリニは本日、カンムリせつげんで現地飛行試験の真っ最中。それに合格し、後日に開催される筆記試験も基準点も満たせば免許が交付される。彼女ならどちらも一発合格できるだろう。バーベキューの日程には充分間に合うはずだ。

「……ラリニがいい、って言ったらな」
「やったー! ジムチャレンジ時代のホップの写真を探しておかないと。きっとラリニさん見たがるよね」
「はぁ!? それはやめるんだぞ!」
 
やっぱりユウリにバレたのはしくじった、と「見せる」「見せない」の問答を繰り広げている中、勢いよく扉が開いた。壊れたかと錯覚するほどの大きな音が立てられたものだから、二人はぎょっとしてその方向へ顔を向ける。
そこにいたのは肩で息をしているダンデの姿だった。オーナー服の裾を翻している。噂をすればなんとやら、とはまさにこのことかもしれない。

「ダンデさん?」
「アニキ?」
 
ユウリとホップは彼の名を呼ぶが、ダンデもまた目を瞬かせている。首をこてんと傾げ、呟く。

「……変だな、オレは玄関に向かっていたはずだが」
 
ああ、はい。いつものね。
そんな緩んだ空気が漂いかける三人の間を割って入ったのは一人のリーグスタッフだった。ダンデの後ろから登場したスタッフはおそらく彼を止めようとしたのであろうことが伺える。

「ああ! ちょうどよかった、チャンピオン・ユウリ!」
「ダンデさんはあたしたちで案内するから大丈夫ですよ」
「そ、それなら安心……ではなくて! ワイルドエリアのレスキュー隊より要請が来ておりまして!」
 
瞬間、空気が張り詰める。
ユウリがすぐさま続きを促せば、リーグスタッフは呼吸を整えて仔細を話し始めた。

「カンムリせつげんで、本日、免許試験が行われておりまして。その試験中にアクシデントが起こり、受験者が遭難したと運営本部から救助要請が届いたんです」
「カンムリせつげん……?」
 
ユウリは隣にいるホップの顔を横目で見る。彼の顔から血の気がみるみるうちに引いていくのがわかった。スタッフは説明を続ける。

「はい。今日はいたるところで吹雪になっている不安定な天候に加え、野生のポケモンたちがどうやら縄張り争いで殺気立っていたらしく……。レスキュー隊も天候とそのポケモンたちの相手をするにはかなり骨が折れているようで、リーグ本部へ援助要請が届いた次第です」
「あ、あの、その遭難した方の特徴は」
 
ユウリもまた祈るような気持だった。せめてラリニではありませんように、と。
しかしそれは次の瞬間、打ち壊される。

「ラリニという女性です。タクシーのドライバーで、そのアーマーガアと共に行方不明となっておりまして……。GPSなども働いていない様子です」
 
誰かの息をのむ音が響く。あからさまに狼狽える二人へダンデは口を開いた。

「別件で用事があったオレにもちょうどここへ着いたタイミングで連絡が来たんだ。それで玄関へ戻ったつもりだったんだが」
「逆走したのでびっくりしましたよ……」
 
肩を落とすスタッフへダンデは「すまなかった」と詫びつつ、弟へ声をかける。その声音は、リーグ責任者のオーナーとしてではなく彼の兄としての声だった。

「ホップ。どうしたい?」
 
名を呼ばれた男の肩が跳ねる。
本来、その要請に応えるのはダンデとユウリのみだ。たしかにホップはバトルの腕も立ち、ポケモンの知識も深い。かつてガラル地方を救ったこともある。しかし彼はあくまで一般人≠ネのだ。こうした場で現場へ行かれる肩書は持っていない。オーナーでも、チャンピオンでも、ジムリーダーでもない。ただのポケモン博士の助手なのだ。
それを理解しているのは他ならぬホップである。ぎゅうと拳を握りし、奥歯を噛みしめた。

「……オレも行きたい」
「し、しかし」
 
スタッフの言葉をダンデは手で制した。そのただならぬ雰囲気にスタッフも言葉を飲み込んだ。

「危険だぜ」
「わかってる」
「できることはないかもしれない」
「それでもここで待っているよりましなんだぞ」
 
ホップはダンデの顔をまっすぐに見つめる。凪いだ金の瞳と決意に燃える金の瞳が交差した。

「ラリニはオレの恋人だ! 今、ここでオレが行かなくてどうする!」

咆哮は止まらない。

「ブラックナイトを止めたように、ラリニだってオレが救ってみせる!」
「……よく言った! それでこそオレのライバルだぜ!」
 
固く重い手がホップの頭を豪快に撫でた。彼らの間に身長差はほぼ無い。むしろホップのほうが高い。それでもダンデは彼よりもずっと大きく、そして偉大だった。兄は弟と肩を組んだ。
目に映るホップの横顔はすっかり大人になって、大切な人を見つけた男となっている。ダンデはそんな弟を誇らしく感じた。

「あとでゆっくり聞かせてくれ。ラリニさんのことを。ホップの言葉で、彼女のことを聞きたい」
「アニキ……」
「オマエが選んだ人だ。たいして心配はしていないけどな!」
 
ダンデはそう笑って、スタッフへ「三人で向かうことにする。そうレスキュー隊へ伝えておいてくれ」と依頼する。すっかり放られていたリーグスタッフは我に返ったのか、急にキビキビと動き始めた。

「ユウリくんもよろしく頼むぜ。ホップをサポートしてやってくれ」
「わかっていますって!」
 
胸を張るユウリが頷いたのを確認し、ダンデは「早速行こうか」と玄関へ向かおうとして――

「そっちじゃないんだぞ、アニキ!」
「ダンデさんがここで遭難してどうするんですか!?」
 
と、お決まりを繰り広げてしまうのだった。


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