その声の主



「嫌だ!」
 聞き覚えのある声が聞こえてハッと足を止めた。聞いたこともないような声音だが、それはどこか茉紘の声に似ている。どちらにせよ、だいぶ切羽詰まった声だ。誰かがミラージュやマネルと遭遇しているのかもしれない。戦闘力が足りないなら助けに行こう。
 己の勘を頼りに森の中を突き進んでいく。ゆらりと黒い、何か揺れるような影を見つけてとっさに飛び出すと、そこには信じたくない光景が広がっていた。
 あれは、なんだ。形容できない。黒いもや、いや、中心に人の姿があるのはわかるが、その周辺を黒いもやと青黒い炎が飛んでいる。その炎は普段茉紘が使っている炎によく似ていたが、茉紘の使っているものの方が何倍も綺麗だった。
「……茉紘!」
 問題はそこじゃない。事態を認識すると同時に体は動いていた。茉紘の首にかかっていた腕を鉄パイプで殴る。痛みに力が緩んだのか、それは後ろに後ずさった。突如酸素の行き渡った茉紘の喉は耐えきれなかったのかなんども咳き込んでいる。
「や……やだ……死に、たくな……」
 こんな茉紘を見るのは初めてだった。普段は偉そうに小さな体を踏ん反り返らせてドヤ顔をしている茉紘が、今は何かに怯えるように目を見開いて口を半開きにさせ震えている。茉紘の肩を掴んだ。なんども激しく揺すっていく。
「茉紘。おい、茉紘! 俺だ、クオリアだ」
「……やだ……」
 茉紘の目には完全に俺が映っていないようだ。仕方ない、あとで怒られそうだがここは……ビンタするしかない。できる限り手加減して、しかし意識は戻りそうな勢いで頬を叩いた。驚いた茉紘が俯いて状況を理解しようとしている。その顔には親にもぶたれたことないのに、と書かれているようだった。
「おい、茉紘? 気づいたか?」
「え、は……? クオリア……?」
「おう。俺だ」
 ぽかんとしたアホ面の茉紘は未だ事態を理解しかねているようだ。と、後ろで唸り声がする。振り返ると先ほど退けた化け物がこちらを睨んでいた。瞳は黒いヴェールの中に隠されていてよく見えない。
「あれ、ミラージュか。ぶっ殺していいか、茉紘」
「……アンタ……」
 確認を取ろうと振り返った時、茉紘はやはりうつむいていた。まだ体が震えている。それが先ほどとは違う意味であるとようやく気付いた頃には、茉紘の怒号が飛んでいた。
「アンタ、今僕の顔殴ったでしょ!? ちょ、鏡ないの!? どうしよう、僕の可愛い顔にアンタの赤い手形とかついてたら……! ほんっとに最低!」
 そこにはすっかりいつも通りの茉紘がいた。先ほどまでのは幻覚だったのではないかと思うほど普段の茉紘だ。腹たつくらいの。意識が飛び、死にかけていたところをビンタ一つで救ってやったのだ。安いものだろう。茉紘は未だ鏡、鏡、と服の中を探っている。実際力の調整はちゃんとしたから赤く腫れてなどいないのだが、茉紘に言ったところで信じないだろう。
 下手に心配して損した、と考えたところで吹き出した。怪訝そうに茉紘がこちらを睨む。
「ちょっと、アンタ本当に責任どうやって取るつもり? 死ぬの?」
「死にかけてたのはお前だろ。で、あれはどうすんだよ」
 化け物の方を顎でしゃくってみせると茉紘の顔に緊張感が戻った。しかし、先ほどのような恐怖は見て取れない。すっかり意識は戻ったようだ。
「……あれは、殺す」
 ただミラージュを殺す、と言っているだけではないような気がした。……いや、俺には関係ないことだ、殺すと決めてくれたならそれに全力で尽力する。俺はそのためにここにいる。
「あれ、本来はなんなんだ? 弱点とかあんのか?」
「心臓。元は生きてるただの鬼だから」
 短く答えた茉紘が立ち上がった。地面に転がっていたクナイを拾い上げ、いつもの構えになる。
「アンタ、親いるんだっけ?」
「あ? ……いることにはいるけど。俺は認めてねぇ」
「ふーん。ま、どうでもいいけど」
 じゃあ聞くなよ、と言いかけて茉紘を見るとその横顔はいつもよりも真剣でいて悲しげだった。俺にもわかる。まるで何かを諦めてしまったかのような表情だ。
「あれは僕の親。……子供の宿命だね、親に悩むってのは」
 そういうと茉紘は駆け出した。ついてこいの意味だろう。鉄パイプを握りしめてその後ろを追う。動き出した俺たちを見てそれも動き出した。

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