正面から近づいていく。それと接触する直前、飛び上がった。宙に浮かんで背後に飛ぶ僕に気を取られたそれがしっかりと僕の姿を目で追った。その隙にクオリアがまず、足を狙う。一切打ち合わせはしていない動き。それでも忍鬼についてこられるほどクオリアの身体能力は高い。
クオリアの鉄パイプが足元を砕く。骨の一本や二本はすでにいっているだろう。ウゥ、と唸ったそれの背後からまずは首を狙ってくないを振りかぶった。
「クソッ」
動きすらもいつか見た記憶にコピーされてしまっているのか、痛みに耐えているはずのそれはあっさり僕のクナイを避けた。違う。僕が避けるように動いてしまった。それは何十年も里で過ごしてきたおかげで染み付いてしまった感覚だ。
守らなくてはいけない掟。掟というにはあまりにも当たり前すぎること。親を殺してはいけない。僕たちの里だけじゃない、他の国でもこれはきっと常識だ。でもそんな掟が作られるほどに僕たち子供は危うかった。
忍鬼の種族は同じ親から生まれるが、やがて自我を持った子供たちは二つの派閥に分かれる。人生を忍鬼の仕事に捧げ、任務を全うしていつか死ぬか。あるいは己の運命に抗い、親を殺してでも自分の自由を手に入れようとするか。
後者は圧倒的に少ない。里の教育はそのような反逆者を出さないように徹底されている。僕も従順な下僕の一人だった。だからテトイに送っても大丈夫だと、認識されていたのだ。
忍鬼は親の魂の一部だ。それは完全に切り離されて育つが、死ぬ時のみ戻る。親が死ねば僕たちの里も一族も種族も全てが終わりになる。もちろん、僕たちは生きたまま。それを知った時、後者の忍鬼は動くのだ。
親を殺そうと企てただけで僕たちは殺される。……正確には、親に吸収される。自我は消え、一生を終える。そんなのは絶対に嫌だ。でも犬死もしたくない。だから僕は後者の連中を救うためにも、意味のわからない使命感に心酔している奴の目を覚まさせるためにも、この学園で強くなって親を殺そうと決めたのだ。
簡単なことではないのはわかっている。僕が一番わかっている。親は信じて僕を学園に送り込んだ。僕はそれを裏切っている。僕が悪い。僕の恐怖は今こうしてミラージュに具現化されている。
「茉紘!」
ほんの少しぼーっとしていたのがクオリアにバレていたのだろう。着地してそれを見つめた。あれは偽物だ。そんなことわかってる。これを乗り越えないで、どうやって親が殺せるというんだろう。同じ姿をしたまがい物すら殺せないで。
それは黒々とした鬼火をクオリアに向けて飛ばした。質量がないことを知っている彼女は巧みな身のこなしでそれを避け、逃げていく。僕の存在をすっかり忘れてしまったかのようなそれを通じて、クオリアが今だ、と言っているように見えた。
クナイを握り直す。音を立てないように近づいて背後からまず首の頸動脈を切った。これしきで忍鬼は死なない。強力な魔力を秘めた鬼火を当てればそれで回復してしまう。すぐさま両肩の筋肉の筋を切る。ざっくりとクナイを深く突き刺して。次に足、アキレス腱の部分を切った。僕がなんども親を殺すため、考えた方法だ。皮膚の弱い親はあっさりと出血していく。ほのかに開いた足の間を通り抜け、正面に移動した。すでに修復は始まっている。今だけがチャンスだ。親を殺すには。
顔の距離が数センチに迫った。親の顔をちゃんと見たことはない。でも今、迷っている暇もない。クナイを二つ、わき腹に突き刺した。まだ。懐からナイフを取り出す。そして。
「……ごめんなさい、……」
自分がそれのことをなんと呼んだのか、わからなかった。ナイフが的確に刺さった心臓から溢れ出す血の色と、それの悲鳴が重なって僕をどこか遠いところへと飛ばしていく。ナイフから手を離すとそれはゆっくり、仰向けに倒れた。