帰るべき理由


 耳がその音を捉える。ざわめきの中で不思議とそれだけが耳に届いた気がした。
「クオリアさん?」
「ん? あぁ、悪い。じゃ、そいつら後は頼んだわ」
 ドクフラシから逃がした人たちを救助テントのほうへ送り届けた直後。同じ生徒にぼんやりしているところを突かれたが、実際避難者をここへ送り届けた時点で俺の役目は終わっている。引き止める声を無視して音が聞こえたような場所へ走り出した。
 いってらっしゃい。
 出発前、偶然会ったミケの笑顔を思い出した。帰らなくてはならないとなんとなく意を決した。彼女が俺にそう言わなくても確かに俺は死ぬ気など到底ないのだが、それでも。あの子にそう言われただけで何が何でも生きて帰ろうとしてしまうのだ。
 地震が起こる。揺れた大地に足を取られながらも走った。誰かが何かに遭遇している。それを助けるのに、理由はいらない。野生の勘のようなものだ。俺はこういう気配に慣れている。
 これまで生きる理由は全部自分だった。アイゼンでは俺が死んでも誰も悲しまなかった。むしろ俺が死んだという事実すらも誰にも知られなかったかもしれない。それが悔しくて、悔しくて、仕方なかったのだ。こんなに頑張って生きてるのに誰にも認められない苦しさ。けれど今は、ちゃんと俺を知ってくれてる人がいる。俺のことを覚えてくれていて、ましてや帰りを待っててくれている人がいる。それに応えない理由がどこにあるだろう。俺の生きる理由は、いつの間にか学園になっていた。
「……この匂い……ゾンビドラゴンか」
 まだ距離があるのか、その腐臭はさほど強くはない。けれどこの匂いを俺は嗅いだ。紛れもなくあのデカブツのはずだ。誰かが遭遇中なのだろうか。だとしたらそれは何人だ? 住民の避難は住んでるのか? もし、もしもう手遅れだったら?
「……チッ、情けねぇな」
 自分の思考に自分でも驚いた。少し前にゾンビドラゴンと遭遇した、あの衝撃がまだ残っているのかもしれない。俺らしくない。ごちゃごちゃ考えるのは後だ。早く追いついて、殺さなくては。腐臭が近づく。その影が見えるまで後少し。