にじさんじ農業高校の野球部は強豪だ。と言われ始めてここ数年、毎年トップクラスの新入生が入部している。舞元監督も嬉しそうに生徒の話をする。私もそれを聞くと嬉しい。
私は顧問の部活は持っていないが高校時代野球部のマネージャーをしていたから、彼らがどれだけ頑張って練習してる甲子園を目指しているか身に染みてわかる。吐くほど練習して、でも勉強も頑張って、本当に全員のテストを免状してあげたいぐらいの気持ちはある、実際はしないけど。そう思いながら葛葉くんの小テストに0点をつけていたらいきなり慌てた様子の舞元監督が職員室に入ってきた。
「先生!ちょうどいい所に!」
「え?」
「申し訳ないんだけど、ちょっとの間野球部のこと見ててくれないかな、大事な会議あるの忘れてて、しかも今日コーチ休みでさ」
「えぇ…?」
「確か高校時代野球部のマネージャーだったって言ってたよね!頼む!今度なんかお詫びに奢るから!」
「わ、わかりました…」
「というわけで、ちょっとだけ練習を見ることになったの」
部員のみんなは突然現れた全く関係のないはずの私に驚いて、「先生なんでいるんすか!?」「舞元監督は!?」「え、監督なんかやらかした?」とか凄い質問してきて、練習どころの話ではなかった。
「そういうわけだから、普通にいつも通り練習してて、先生あっちのベンチにいるから」
『はいっ』
そういうと彼らはいつも通りの練習メニューをこなし始めた。舞元監督が頑張って引き抜いた葛葉くんも授業の時とは違って真剣な顔つきをしている。私の授業の時もあれぐらい真面目に受けて欲しい、上の空で黒板を見て板書しないのは頂けない。そんな事を考えながら練習風景を見ていたら葛葉くんと目が合った。すると先程まで続けていた練習を切り上げこちらにくる。
「あ゛〜あちいっす先生」
「そうだね…ていうか練習はいいの?」
「溶けたら元も子も爆散すっから休憩っす」
「元も子も無いね……」
造語を作るのはこの子の得意分野だろうか、なんか前もよく分からない言葉を作り出して流行らせてた気がする。
「あ、冷蔵庫にスポドリあんじゃん、なんで?」
「それ皆に買ってきたやつだから葛葉くん飲んでもいいよ」
「えっ、まじすか」
「どうぞ〜」
嬉しそうに冷蔵庫からスポドリを出して私の隣のベンチに座った。よく見るとすごい汗だくで顎から滴り落ちていた。今年の夏は熱い。
「そう言えば先生って元野球部マネだったんすね」
「そうだよマネージャーしてた、にじ農みたいに強いところじゃ無かったから甲子園とかには行けなかったけど、みんな甲子園に連れてってやるって言ってくれて嬉しかったんだよね〜」
「へ〜マネージャーって大変すよね」
「まぁそれなりには大変だったけど、選手の方が大変だからそれぐらい平気だったよ」
「先生えらいっすね」
「仮にも先生なんだから偉いはダメでしょ」
携帯電話に着信が入る、舞元監督からだ。
「もしもし」
『あ、先生会議終わったからグラウンド向かいます!すまん!』
「全然大丈夫ですよ〜お気をつけて」
「なに?監督帰ってくるって?」
「うん、そろそろ学校戻る準備するから、全員休憩に入ったらあの中のスポドリ皆にあげてね」
「りょーかいっす」
少し汗の引いた葛葉くんはスポドリを持ったままぼーっとグラウンドを見つめていた。彼はこの学校のエースで1番期待されていて、プロからも注目されている。それだけ期待されていれば大変なこともあるものだろう。次の小テスト、少し簡単にしてあげようかな。
「先生」
「なに?」
「先生は甲子園いけなかったんだよな」
「うん、あんまり強いとは言えないチームだったから」
「じゃあさ、俺が連れてってやるよ」
「え?」
「甲子園のベンチに先生連れてってやるからさ、また練習見に来て…ください」
先程までグラウンドを見ていたはずの真っ赤な目がこちらを見ていた。水分補給をして落ち着いたはずなのに少し顔が赤くなっていた。
『甲子園に連れてってやる』何年ぶりかに言われたその言葉に胸から何かが溢れるような感覚がした。あの頃に戻ったような、でもまた違う感覚で国語の教師なのになんの言葉も出てこない。そこに畳み掛けるようにまた葛葉くんが口を開く。
「あと、甲子園いけたらご褒美になんか奢ってください」
「えっ、あ、うんいいよ」
「おっし、がんばる」
「え、それでいいの」
まだ何を奢るかなんて言ってないけど、それでやる気が出たらしい。やばい葛葉くんめっちゃ変な子かもしれない。
「んじゃ、おれ練習戻りまーす」
「う、うん頑張って」
見送る背中が、大きく見えた。マネージャーをしていた頃みた背中でも、先程まで見ていた生徒の背中でもなく、野球選手としての背中だった。きっと彼は甲子園に連れていってくれる。そうなんだか確信が生まれた。
その後結構舞元監督は予定より遅れて帰ってきた。
「先生〜!ごめんなさい!遅くなって」
「監督、大丈夫ですよ」
「いや〜横須賀流星の社監督と話し込んじゃって」
「仲良いですもんねお二人とも」
「趣味が合うもんで」
「舞元監督、お願いがあるんですけど」
「おっ、なんですか」
「今後も練習見に来ていいですか」