護衛対象の教師

 此度の騒動で朝のホームルームと1限目が潰れた。
 湊は昼休みまで真面目に授業に出て、昨日と同じように屋上で食べる。

 ふと、食べる手を止める。
 お茶を飲んで口の中にあるものを胃に流し込み、一息つくと上に向く。

「なんの用だ、リボーン」

 昇降口の上にいる黒い影。そこから飛び降りた影は、湊の目の前に着地した。

 アクセントが付いたボルサリーノに黒いスーツとおしゃぶり、くるん、と丸まっているもみあげ。大きな瞳が愛らしさを引き立てるが、彼は鬼畜悪魔と言えるほど腹の中は真っ黒だ。
 殺し屋リボーン。彼と知人である湊は気だるげに目を向ける。

「なんでここにいるんだ、デウス」

 コードネームで呼ばれた湊だが、動じることなく返す。

「強いて言うなら仕事だ」
「学校に潜入するほどのか?」
「ああ。不本意ながら不定期な長期護衛だ」

 リボーンは驚く。
 湊は不確かな期間の護衛を受けない。それを引き受けるとはどういう風の吹き回しか。

 いや、待て。不定期な長期護衛?

「ツナと関係しているのか」
「……相変わらず鋭いな」

 嘆息する湊は弁当のおかずを口にする。それが最後の一口だった。

「依頼主は9代目か。お前、ツナと接触しないのか?」
「するわけがない。オレの依頼は陰ながらの護衛。向こうから一時的に接触するならまだ許せるけど、仲間に引き込もうとするなら、たとえお前でも容赦しない」

 お茶を飲んで言い放った言葉は不敵だった。相手は最強と謳われた人間。赤ん坊の姿はその力を封じ込めたもの。それを抜きにしても最強の名は伊達ではない。
 銃を向けるリボーン。しかし、湊は動じない。

「舐めるなよ。その気になればオレはお前を殺せる」
「好きにしろ。オレは何があっても組織に入らない。たとえお前の我が儘でもな」

 目を細めて見据えられる。異色の双眸は美しく、魅せられそうになる。
 相手は殺気を放っていない。それなのに妙な圧迫感を覚える。

 それはきっと、純粋な拒絶による威圧だろう。

「……どうしてお前は独りになりたがる」
「勘違いするな。オレは孤独を望んでいない。ただ利用されることが嫌なだけだ。お前達マフィアは他者を利用し、裏切り、切り捨てる。そんなの、オレはごめんだ」

 純粋な気持ちを込めた言葉は説得力がある。
 リボーンは胸中で舌打ちし、愛銃を懐にしまった。

「ツナはしないと思うぞ」
「さあ、どうだろうな。オレは信頼できない相手とつるむ気はないし、情をかけて引き摺らせるような奴は嫌いだから」

 その言葉はあらゆる人間を拒絶しているように聞こえる。

「お前は誰も信用しないのか」
「そうでもない。ただ信用と信頼は違う。知人と友人は違うのと同じだ」

 湊にとって、リボーン達マフィアは知人。友人ではない。
 理解したリボーンは眉を寄せ、ボルサリーノの鍔を下げる。

「……少なくともオレは、お前を友人と思ってる」
「オレは知人だと思ってる」

 友人なら偽らない。だから知人止まり。
 湊の『友人』の定義は厳しい。友人は切り捨てない、切り捨てられない者を言う。特に湊が友人と認定している二人は親友の領域に入る。

 だが、他の者達は知人。いつでも縁を切ることができる。

 湊は鞄に弁当箱を入れ、立ち上がる。

「じゃあ、オレは戻るよ。それと、今は和崎湊。今はそっちで呼んで」

 そう言い残して、湊は屋上から去った。
 鉄の扉の蝶番が軋み、鈍い音を立てて閉ざされる。その音が、今の関係を表している気がした。

 残されたリボーンは、どうやって湊の心を開こうかと思考する。

 初めて会った時は、ただの子供だと思っていた。裏の業界に足を突っ込むには早すぎる、非力な子供だと。
 しかし、その子供は自分に引けを取らないくらいの戦闘能力を秘めていた。
 武器の扱いも一流を超え、洗礼された動きにも迷いがなく、感覚も優れている。
 裏社会の人間なら誰もが羨むだろう天賦の才を持っていた。

 だが、一番の致命的な弱点があった。

 彼はとても優しかった。
 無慈悲のようでいて慈悲のある殺し方をし、心を痛めながら命を刈り取る。
 自分の首を絞め、いつか自分を殺しそうなほど、彼は闇を抱えていた。

 かつて彼に、なぜ裏社会に足を入れたのだと訊ねたことがある。

 あの時の答え。それは純粋に「生きたいから」だった。


『誰かの命を奪うことになっても存在意義を見つけたかった。この世に生まれた意味が欲しかった』



 ――そう、泣きそうな笑顔で言ったのだ。

 感情を殺すことに慣れていても、自分の心の内を話すことに慣れていないのか、どうしても感傷的な感情が表に出てしまう。
 あの時の笑顔は、傷ついた心を隠すために浮かべたものだった。

「……独りになるな」

 泣くくらいなら、誰でもいいから頼ってくれ。

 呟かれた祈りは誰にも届かず、儚く空気に溶け込んで消えた。


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bkm