野球少年の愚行

 カラッとした天気が続く6月末。

 本日の体育で行われる内容は、男子は野球、女子はソフトボール。
 見たこともやったこともない湊はルールがわからず、どっちのチームに入ればいいのかもわからなかった。

「和崎、こっち来いよ」

 困っていると、Bチームに呼ばれた。
 湊にとってどのチームに入っても構わなかったので、そちらのチームに入った。
 ホイッスルが鳴り、体育の教師が確認を取る。

「チームわけはおわったか?」
「あと一人です」

 湊は両チームの間にいる沢田綱吉を見る。
 彼の場合は取り合いではなく、押し付け合いだった。
 ツナは勉強も運動も苦手。彼を引き入れたチームは必ず負けると言われている。
 ぽつんと立ち尽くすツナは苦痛そうで、重々しい溜息をついた。

「いーんじゃねーの? こっち入れば」

 そんな彼に声をかけたのは、爽やかそうな少年だった。
 黒い短髪の少年は、1年生にしては長身。顔立ちも爽やかなスポーツ少年を描いていた。

「まじ言ってんの山本〜〜〜っ。なにもわざわざあんな負け男」
「ケチケチすんなよ。オレがうたせなきゃいーんだろ?」
「山本がそう言うんなら、ま、いっか」

 山本武。自他共に認める野球好きのスポーツ少年。
 1年生にして野球部のレギュラーに入った期待の星。
 クラスメイトからの信頼も人望も厚く、女子生徒もファンクラブを作るほど人気が高い。

 彼に引き入れてもらえたツナは、初めてじゃんけん以外でチームに入れてもらえたことに感激する。
 それを見た湊はほっとして、自分の番が来るまで観戦した。

 ――カキーン


 爽快感のある音とともに、白いボールが空高く飛ぶ。
 Aチームの山本のホームランだ。一気に走りきって戻った山本にチームメイトは肩を叩いて褒め称える。

「ナイス!! 山本!」
「イエス!」
「さすが野球バカ!」

「「たけしー、ステキー!」」


 ソフトボールをしている女子側も、ファンクラブが歓声を上げる。

 続いてBチーム。
 山本がピッチャーを買って出ようとしたが、彼の投球は凄まじいので教師から止められる。
 順々に満塁になると、湊の番が来た。
 バットを受け取って一度だけ素振りをすると、風圧ができるほど空を切る音が鳴る。それを見た教師は、山本をピッチャーに据えた。

「よっしゃ。いくぜ、和崎」
「ああ」

 グリップを握り締めて構えたところを見て、山本がボールを投げる。鋭い剛速球に、グローブを持つ味方が呻く。
 一度見送った湊。それは山本の投球速度を見極めるためだった。
 二度目の投球。見切った湊は鋭くバットを振った。

 ――カキーン


 ボールが空高く飛び、ホームランの域に入る。
 満塁だったため一気に四ポイントも獲得して、チームメイトは湊の背中と肩を叩く。

「和崎! お前すごいな!」
「あの山本の球を打つなんて!!」

 興奮気味のチームメイトに苦笑した湊。相手チームは湊の実力を見て呆然とした。

 試合の結果、Bチームが勝ち、Aチームは負けるのだった。


◇  ◇  ◇



 翌日の朝、ショートホームルームが始まる前に一人の男子生徒が教室に駆け込んできた。

「大変だー!!! 山本が屋上から飛びおりようとしてる!!」

 彼の叫びに、クラス全員が「エエッ!?」と信じられなさそうな声を上げた。

「山本ってうちのクラスの?」
「おいおい、あいつにかぎってありえねーだろ!」
「言っていい冗談と悪い冗談があるわ」

 山本の能天気さを知るクラスの男子と、山本のファンクラブの女子が否定する。
 けれど――

「あいつ、昨日一人居残って野球の練習してて、ムチャしてうでを骨折しちまったらしいんだ」

 現実味のある報せに顔色を変えるクラスメイト達。

 中でもツナは、冷や汗を流していた。
 昨日のトンボがけのとき、山本から真剣な相談を受けた。それをいい加減な言葉――「努力しかないよ」と言ったのだ。

(まさか…オレのせい…!!?)


 自分の言葉で追い詰めてしまったのだと気づいて、ツナは真っ青になった。

「とにかく屋上にいこうぜ」
「おう!」

 クラス全員が教室から出ていく。
 湊は気後れするも、重たい足を屋上へ向かわせた。

 屋上に出るとクラスメイトから他のクラスの生徒の人集りができていた。
 錆びたフェンスの向こう側に、山本武がいた。

「オイオイ、冗談きついぜ山本ー!」
「そりゃやりすぎだって」

 クラスメイトが冗談だと受け取ったまま声をかける。
 右腕をギブスで固定し、三角巾で吊るした山本は遠くを見つめていた。

「へへっ。わりーけど、そーでもねーんだ。野球の神さんに見すてられたらオレにはなーんにも残ってないんでね」

 能天気で楽観的。野球への熱意は人一倍で、野球のためなら日々の努力も惜しまない。
 けれど、初めての挫折に焦り、疲労骨折という絶望を味わった。
 何もかも投げ出してしまいたいほど追い詰められたのだ。

 いつもと違い覇気のない声で、本気だと気づいた生徒達は焦りを覚える。

「まさか…本気!!?」
「フェンスがさびて今にも折れそうなのに!」
「たけしくん、やめてーっ」

 折れそうなフェンスの向こう側にいる山本をどう止めればいいのか。
 混乱する男子や泣き出すファンクラブの女子。

 これを見た湊は腹が立った。こんなに想ってくれる人がいるのに、捨てようとしている。しかも目立ちやすいところで投身自殺をしようとするなんて止めてくれと言っているようなものだ。
 愚かすぎる彼の行動に、湊は悲痛な顔を隠せなかった。

「あたっ、いつつ………っ」

 群衆の中からこけるように前に出たのは沢田綱吉だった。
 彼ははおろおろして、この状況に焦る。

「止めにきたならムダだぜ。おまえならオレの気持ちがわかるはずだ」
「え?」
「ダメツナってよばれてるおまえなら、何やってもうまくいかなくて死んじまったほーがマシだって気持ちわかるだろ?」

 押し付けがましい言葉に、余計苛立つ湊の眉間にしわができる。

「えっ、あの…っ、いや…山本とオレはちがうから…」

 ツナは戸惑い、俯いて言った。
 その言葉は、山本の癇癪に障った。

「さすが最近活躍めざましいツナ様だぜ。オレとはちがって優等生ってわけだ」
「え! ち、ちっ、違うんだ! ダメな奴だからだよ!!」

 八つ当たりする山本に、沢田君は焦って言う。

「オレ、山本みたいに何かに一生懸命打ち込んだことないんだ…。『努力』とか調子のいいこと言ったけど、本当は何もしてないんだ。………昨日のはウソだったんだ………ごめん!」

 山本に頭を下げて謝ったツナは続ける。

「だからオレは山本とちがって死ぬほどくやしいとか挫折して死にたいとか…そんなすごいこと思った事なくて…。むしろ死ぬ時になって後悔しちまうような情けない奴なんだ……………どーせ死ぬんだったら死ぬ気になってやっておけばよかったって、そんなことで死ぬのもったいないなって……………」

 そう言うツナが、改めて強いと思った。
 こんな大勢の前で自分の気持ちを吐き出して、山本の心を動かそうとするなんて、並大抵ではできない。

 いつの間にか群衆もツナを見つめていた。そんな自分に気づけないほど。

「だからお前の気持ちはわからない…ごめん…。じゃ!」

 ツナは逃げるように踵を返す。
 しかし――

「まてよツナ」

 山本はツナの袖を掴むと、ツナは足を滑らせてフェンスに当たる。
 脆くなったフェンスは壊れて、落ちた。

 悲鳴が上がる。誰もが目を瞑る。湊は冷静にフェンスに近づき、死ぬ気になったツナを見る。

「かゆーーい!!!」

 シリアスな場面を壊す叫びに、湊は一瞬噴き出しかけた。
 旋毛からスプリングが出てきたところを見て、死ぬ気弾による効果だと理解した。

 助かった二人を見て、湊はほっと安堵した。
 同時に剣呑な顔になる。山本の愚行は許せるものではないのだから。

 冷たい表情で見下ろした湊はきつく目を閉じ、踵を返して屋内へ戻った。


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bkm