闇を持つ君の涙

 二学期が始まって一週間が過ぎ、体育祭の日が近づいていた。
 並盛中学校でも体育祭はビッグイベントで、準備期間中から学校の雰囲気がガラリと変わる。

 誰もが楽しみにしている中、湊だけ憂鬱だった。
 なぜなら体育祭のクライマックスには男子のみが行う棒倒しがある。
 棒倒しは組の総大将が棒のてっぺんに上り、相手の総大将を地面に落としたチームが勝ちという変則ルール。
 総出で総大将を落とすために服を引っ張るどころか殴る蹴るは当たり前。勝っても負けても傷だらけになる。

 湊は女の子だ。そんな競技でもみくちゃになれば、女だと気づかれてしまうかもしれない。
 どうやって補欠しようか悩んでいるが、病欠はあからさますぎるので却下。
 当日まで、あと一週間。当日前日に最終会議が行われ、翌日が体育祭当日だ。
 どうしたものかと屋上で弁当を食べながら考え込んでいると、屋上に三人の少年がやってきた。

 沢田綱吉、獄寺隼人、山本武の三人だった。

「あ……和崎君もここ?」
「ああ」

 購買に寄っていたのか、昼ご飯にしては遅めだ。
 湊は弁当を食べ終わらせて鞄にしまうと、水筒に入れているお茶を飲んで一服した。
 残暑が残る9月の風は生温いが、屋上はほんのり涼しくて心地良い。
 秋晴も長続きしているので、体育祭はきっといい天気になるだろう。

 一学期に修繕したフェンスに凭れかかって寛ぐ。そんな時に獄寺の視線を感じた。

「……何だ?」

 居心地悪く感じた湊は獄寺を見る。
 じっとこちらを睨むように見つめていた獄寺は、無神経な言葉を口にした。

「てめー、家族いんのか?」

 ドクッ、心臓が嫌な音を立てた。
 自然と剣呑な目つきになり、獄寺を睨んでしまう。その目を見たツナと山本は緊迫感から背筋を伸ばした。

「人の心に土足で踏み込むなって言ったよな」

 硬質感のある声音で言えば、獄寺は睨み返す。

「怪しいんだよ。行く先々で10代目を助けて。何が狙いだ」
「ちょっ、獄寺君!」

 何でも怪しむ獄寺を牽制しようと声を上げるツナ。
 無粋な彼に苛立ちを持った湊は荷物をまとめて立ち上がる。

「逃げんのか?」
「短慮な子供の相手なんかしてられない」

 子供扱いされた。それに対して獄寺は青筋を立てて立ち上がり、湊に掴みかかろうとする。
 しかし、伸ばした手を払い落とされた。

「何なんだ、お前は。人の心を傷つけてそんなに楽しいか」

 険を帯びた厳しい異色の双眸に気圧されかける。それでも獄寺はぐっと眉を寄せて睨む。

「怪しすぎるてめーがわりーんだろうが! てめーの家族もロクなもんじゃねーだろ!」

 それは湊にとって禁句だった。
 起爆剤であるその言葉を聞いた湊はこれまでにないほどの殺気を放ち、叫んだ。

「黙れ!!!」

 これまで湊が声を荒げたところを見たことがなかったツナ達は息を詰める。
 いつも穏やかで優しい印象が強かった湊が怒りを露にするなんて想像できなかった。
 それをいいことに、獄寺は湊の心を傷つけた。

「オレの家族は殺された!! オレの目の前で……オレのせいで死んだんだ!!」

 その悲痛な叫びは自分を責めるものだった。
 ツナ達は瞠目する。湊の家族が、湊の目の前で殺されたなんて想像できなかった。

「オレが生まれたせいで……!! オレは存在するべきじゃなかったんだ!!」

 今までの穏やかな湊は、一体どこに行ったのか。

「お前に何がわかる!! 存在する苦痛なんて……!! お前に解るはずがない!!」

 もしかして、これが湊の本当の姿なのか。

「解かってたまるか……!! 自分に甘えてる貴様らなんかに解ってたまるか!!!」

 心の傷を吐き出した湊の瞳から、いくつもの涙がこぼれ落ちる。
 初めて見せる湊の涙に衝撃を受けた獄寺は硬直した。

 我に返った湊は歯を食いしばり、足早に屋上から去る。
 湊を呼び止めることなんて、今の彼らにはできなかった。


 廊下を歩く湊は後悔した。
 あんなことを他人に言うなんて自分らしくない。しかも感情的になってしまった。
 この調子では授業に出ることも難しい。ここは早退した方が精神的にいいだろう。

 そんな時だった。小さな気配を感じたのは。

「……リボーンか」

 湊は立ち止まって声をかける。
 目を向けなくてもわかった湊に驚くリボーンは、湊の背後に現れた。

「湊、さっきの話は……」
「本当だ。7年前の冬に、裏社会の人間に殺された」

 初めて聞いたリボーンは、あの言葉を思い出す。

『この世に生まれた意味が欲しかった』

 子供らしからぬ泣きそうな顔で告げた言葉は、彼の心の闇から来るものだった。

 ようやく知ることができた。それなのに喜べない。
 それはきっと、湊の心の闇が裏社会の人間が原因だからだろう。

「……お前が友人を作らないのは、オレ達を憎んでいるからか?」
「いや、違う。裏社会にも善良な奴がいるからな」

 即答した湊は本心から否定した。
 憎んでいるのではない。なら、一体何が理由だ。
 疑問を持つリボーンに、湊は答えた。

「オレが化け物だからだ」

 顔を見なくてもわかる。今の湊は、初めて本心を明かした時と同じ悲しいほど儚い微笑みを浮かべているのだと。
 優しくて穏やかな声音で言った湊は服の袖で涙を拭い、歩き出した。

 階段へ続く曲がり角を曲がると、そこに雲雀恭弥がいた。
 今日はリボーンが目をつけた者によく会う。内心で顔をしかめるが、表面上では無表情を取り繕って素通りしようとする。
 しかし、雲雀に腕を掴まれた。

「今の話、本当?」

 どうやら聞かれていたようだ。
 一般人に知られたくなかった湊は渋面を作りそうになったが、なんとか堪える。

「言ってどうする」
「君が群れたがらないのは、否定されるのが怖いから?」

 今日は嫌なことを言われることが多い。
 湊は目を据わらせ、苛立ちを露にする。

「信用したくないからだ」

 否定されることに慣れている。なら、はじめから周りを信用しなければいい。そうすれば簡単に切り捨てられる。
 関わろうとしてくるボンゴレファミリーの人間も、これまで関わった人間も。
 信頼できる人間以外、信用したくない。

「お前には関係ない。ほっといてくれ」

 冷たく突き放すように言って、雲雀の腕を強く叩き落とす。
 そのまま階段を下りようとした。

 ……が、雲雀に服の襟を掴まれる。

「ぐえっ。な、何すんだ、うわっ!?」

 突然横抱きにされ、驚きから目を白黒させる。

「君、本当に男? 細いし軽すぎる」
「……男だよ。ていうか何なんだ、この状況」

 動揺することなく冷静に返して愚痴る。
 暴れようと思ったが、相手は雲雀恭弥。トンファーの餌食になることは避けたい。

 不機嫌そうに、それでも大人しくしていると応接室に入った。
 なぜ応接室?と疑問を持つ湊を、雲雀はソファーに座らせた。

「和崎湊。君は裏の人間かい?」
「……言って何になる」

 肯定の意がある言葉に、雲雀は湊をじっと見据える。
 居心地悪く感じてぐっと眉を寄せると、雲雀はおもむろに口を開いた。

「風紀委員に入りなよ」
「……は?」

 突然の申し出……というより命令に怪訝な顔をする湊。

「何でそうなる」
「僕が気に入ったから」
「私情か。却下だ」
「条件をつけてあげると言ったら?」

 ピクリ、湊の眉が微かに震える。

「……条件、か。何でもいいんだな」
「僕は二言は言わない」

 確かに一度言ったことを撤回するような男には見えない。
 信用したくないが、利用するのも有りかもしれない。そう判断した湊は条件を考えて口を開く。

「体育の授業の免除。仕事時間は平日の放課後まで。執務はパソコンで作業する。以上だ」
「それだけ?」
「あとは体育祭に出ない許可が欲しい。体育祭が行われる時間中は仕事を手伝うから」

 意外だ。もっと要求するのかと思ったが、風紀委員として取り組むための真面目な条件だった。
 好印象を持てる真面目な条件に、雲雀は口端を僅かに上げる。

「……いいよ。その条件を呑もう」

 湊が風紀委員として取り組むのは平日の放課後までだが、少しは楽しくなるかもしれない。
 雲雀は心の隅で、そんな期待を持った。


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bkm