体育祭は不参加

 応接室に簡易的な机とパソコンを設置されてから、湊は正式に風紀委員会に入った。
 学ランは着ないが、仕事時のみ金糸で刺繍された赤い腕章を左腕につけ、応接室で書類を作成する。
 慣れるまで時間がかかるだろうと思っていたが、たった一日で手順を覚え、以前からそこに居るような錯覚を持たせるほど溶け込んだ。
 事務仕事をそつなく熟せるようになって一週間余り。とうとう体育祭の当日を迎えた。


 いつもと同じ時間帯に登校した湊は朝から熱中症になりかけていた。
 保冷剤を貰おうと保健室に入ると、保険医がいない代わりに沢田綱吉がいた。

「沢田?」
「えっ、和崎君!? ど、どうしてここに……」
「保冷剤をもらいに来たんだ。そういう沢田は?」

 普通に話しかける湊に、ツナは戸惑う。
 先週から湊は誰とも関わろうとせず、時々授業を抜けていた。
 特に獄寺を嫌っているように見えた。それはきっと獄寺の失言のせいだ。
 けれど湊はツナに普通に話している。あの日のことは忘れていないはずなのに。

「……えっと。風邪ひいちゃって……」

 昨日、ツナがA組の総大将に無理矢理させられたことを知っている。 少し顔が赤いツナに熱中症かと思ったが、熱中症にしては症状が軽そうに見える。 本当のことなのだと理解した湊は、自然と柳眉を寄せる。

「また獄寺達か」

 湊の知識には、川原で棒倒しの練習をして、獄寺と笹川了平の二人のせいで川に落ちた――と、ある。おそらくそれのせいだ。

 険を帯びる湊の眼差しに怯えそうになるツナ。それに気づいた湊は溜息をつき、薬品がある棚から小さな箱を取り出し、二錠の薬をツナに渡す。

「えっ、あの……」
「解熱剤。それで少しは楽になると思うよ」

 箱を片付けて冷蔵庫からスポーツ飲料を取り出し、ツナに投げ渡す。受け取りやすい投げ方に、ツナは両手でキャッチした。
 湊は冷凍庫から保冷剤を取り出すと、ぽんっとツナの頭をひと撫でして保健室から出た。

「……和崎君って……」

 不思議だ。頭に手を当てて見送ったツナは胸中で呟く。
 他人を拒絶しているように見えて優しく、あからさまに突き放すのではなく一定の距離を保っている。
 謎が多く、秘密が多い。それでもツナ達を拒むことなく、追うこともない。

 来る者は拒まず、去る者は追わず――まさにそれだった。

 最初は穏やかで優しいという印章が強かった。しかし、先週の一件で覆された。それなのに、湊は変わらず接している。
 彼は脆くて儚い。それでいて強い。この矛盾したものを持つ彼を見て、惹かれるものを感じたツナは――

「友達に……なれるかな……」

 ぽつりと呟いた。
 その後、クラスメイトでツナの憧れの美少女、笹川京子からハチマキを受け取り、逃げられない現実を突きつけられるのだった。


 応接室に行った湊はソファーに鞄を起き、パソコンを起動させる。
 いざはじめようとしたとき、ちょうど応接室に雲雀恭弥が応接室に入ってきた。

「あ、おはよう」
「……5分遅刻だ」
「保健室に寄ってきたから」

 普通に返して席から立ち上がった湊は給湯室に入り、数分後にお茶を入れた湯呑を載せたトレイを持ってきた。
 お茶を雲雀の執務机に置いて、自分用のコップを持って席に着き、パソコンを操作する。

 雲雀は万年筆を紙面から離してお茶を飲むと、程良い香りが口の中と鼻腔の奥を満たす。
 ちらっと湊を見れば、真剣な表情で画面を見ながらキーボードを指先で軽やかに叩いて文字を打ち込んでいる。その迷いのない手早さを見る限り、わからないことはなさそうだ。

 本当に彼を風紀委員に引き入れて正解だった。仕事は有能。気が利き、淹れるお茶はおいしい。なにより強く、雲雀を恐れない。
 この対等と言える関係は、雲雀にとって意外と心地良いものだった。

「何?」

 パソコンから目を離して雲雀を見る。
 その異色の双眸はガラス玉のように美しく、凛とした光が宿っている。そして穏やかな目元のおかげで優麗な印象を与える。これもあって和崎湊は男というより女に見えた。

「君、女顔って言われたことある?」
「……なんだよ、藪から棒に。確かにあるけど……それがどうしたんだ」

 不愉快そうに眉を寄せて雲雀を軽く睨む。
 遠慮のない態度は、これまでの草食動物ではありえないものだ。

「人は見かけによらないという意味がよくわかった」
「……失礼な奴だな」

 ムスッと不機嫌な顔をして、パソコンに視線を戻す。
 大人っぽいところもあると思えば子供っぽいところもある。
 こうした曖昧なところが不思議な感覚を持たせ、人を惹きつけるのだろう。
 なんとなく思った雲雀はお茶をもう一口飲むと、執務を再開した。


 外で体育祭の開始を告げる放送とともにBGMが流れる。
 外は賑やかだが、応接室は比較的静かだ。冷房とパソコンを操作する音、万年筆で紙面にサインを書く音くらい。
 快適な室内で黙々と作業をしていると、時々雲雀からお茶を要求される。
 湊はそれに応え、お茶を淹れてから書類を書き上げる。
 完成した数十枚を印刷して提出すれば、雲雀はしっかり目を通してサインを書き込む。

(この子に欠点なんてないのかな)


 完璧な書類の文面を見てなんとなく思う。

「湊」

 不意に名前で呼ばれた湊は驚いて雲雀を見る。そのきょとんとした表情は、どちらかというと子供っぽかった。

「苦手なことってあるのかい?」
「え。……んー。暑いのが苦手だな。夏とか。あとは虫とか爬虫類とか」
「女子みたいだ」
「苦手なんだ。しょうがないだろ。そういう雲雀も苦手なものってあるのか?」

 渋面を作って言い返す湊。すると、雲雀は――

「恭弥でいい」

 斜め上のことを言った。
 名前呼びを許すとは雲雀らしくないが、湊は深く考えずに頷いた。

「わかった。恭弥に苦手なものってあるのか?」
「僕にあると思う?」
「群れが苦手だろう」

 指摘すれば雲雀は軽く眉を寄せる。

 雲雀が群れを嫌うのは、群れというアレルギーで蕁麻疹じんましんが発症するからだと湊は知っている。小動物は平気だが、人間の群れは絶対に無理らしい。
 雲雀も人間だと思える部分があることに安心するも、雲雀は不機嫌になって右手にトンファーを出す。

「咬み殺されたいのかい」
「いや? あ、弁当作ってきたけど」
「いらない」
「ハンバーグも作ったのになぁ」

 そっぽ向いた雲雀はムスッと不機嫌になる。
 うまく誘導されている気がして腹が立つが、楽しそうに笑う湊は見ていて不快にならない。

「……しょうがないね」

 苛立ちが鎮静されて、素っ気なくても食べる意を見せた。
 湊は嬉しそうに笑い、仕事に切り替える。

 公私の切り替えが早いおかげで、雲雀の表情の変化を見落とした。
 今の湊の笑顔は本当に女性的で、不覚にも見とれてしまった。それを自覚していない湊はある意味性質たちが悪い。
 真面目に執務に励む湊を見て雲雀は我に返り、万年筆を動かした。


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bkm