保育係と未来人

 体育祭が過ぎ、少しずつ青葉が赤く染まる季節になった。
 穏やかな風は心地良く、秋を感じさせてくれる。

 そんな頃の並盛中学校、1年A組の教室では数学の授業が行われていた。
 在籍している沢田綱吉は、一番苦手な数学の授業を受けても上手いこと頭に入らない。
 いや、数学だけではない。ここ最近、授業を真面目に取り組めなかった。
 なぜなら体育祭の時、和崎湊に友人になりたいと申し出た際に見た、湊の反応が気になった。
 友人は二人だけで十分だ。そう言っていた。

(二人って……誰のことだろう……)


 湊が心を許す相手は、ツナの知らない誰か。それを考えると胸の奥がモヤモヤした。

「何あのかっこ…」

 不意に、生徒の囁きが聞こえた。
 一人が呟くと、それにつられて教室の入口に目を向ける生徒達。

「シマウマ?」
「パンダじゃない?」
「私は牛だと…」

 白と黒で有名な動物を口にする生徒達。最後の単語は、身近な子供を連想させた。
 教科書から視線を逸らしたツナもそちらを見て――叫んだ。

「ガ・マ・ン」
「ランボーー!!!」

 中小マフィア・ボヴィーノファミリーのランボ。
 最強の殺し屋・リボーンを殺し、ボヴィーノファミリーのボスになることを純粋に夢見ている子供だ。
 現在はツナに懐き、ツナの家に居候している。そして時々、ツナのいる学校に出没する。

 そんな彼は、涙と鼻水とよだれで顔を汚して青ざめていた。

「ツナ、チャックがこわれてしっこできない」
「アハハハ、ツナ御指名だぞ!!」

 どっと笑うクラスメイトに羞恥心から青ざめるツナ。

 ふと、椅子から立ち上がる音が聞こえた。
 そちらに目を向けると、湊がランボに近づいていた。

「『あと5分、我慢しろ』」

 そう言って抱き上げた湊は足早に教室から出て行った。
 思わぬことに呆然とする。我に返ったツナは、静かになった教室から出た。
 近くにある男子トイレに行けば、トイレの水を流す音が聞こえた。そして、笑い声も。

「ガハハハ! お前いい奴〜!」
「お前はよく我慢できたな。偉い」
「ランボさんはガマンの子ーー!」

 男子トイレから出てきた湊の腕の中にいるランボは笑顔だ。
 元気を取り戻したランボのパーマを撫でた湊は、呆然とするツナに気づいてランボを渡す。

「えっ」
「沢田の知り合いだろ? 早退していいから」
「あ、ありがと……」

 戸惑いながら頷く。
 湊は教室に戻ろうとしたが、ランボに呼び止められる。

「ねえねえ、お前だーれ?」
「湊だ」

 簡潔に名乗った湊は踵を返して去っていく。

 ツナより少し背が高いのに、なぜか小さく見える背中。
 その後ろ姿を見て、少し寂しくなった。


◇  ◇  ◇



 翌日の並盛中学校。
 湊は午後だけ風紀委員の仕事に専念していた。
 帰りのホームルームに出席して帰ろうとした時、校舎裏から爆発する音が聞こえた。
 爆発するところイコール問題児が集まる場所という方程式ができつつある湊は溜息をついて、様子を見に行った。

 近づくにつれ賑やかになり、泣き声まで聞こえてきた。そして、今度は大砲のような銃声が響く。
 校舎裏の陰からラズリの偵察能力で覗き見ると、沢田綱吉、獄寺隼人、山本武、リボーン、見知らぬ少年と少女がいた。

 少年はおそらく10年バズーカで入れ替わった10年後のランボだろう。

 少女は名門女子校で有名な緑中の制服を着ているので、情報にある通りならツナに惚れているという三浦ハル。

 10年後のランボはハルに近づいて挨拶する。
 しかし。

「キャアアアア、エロ! ヘンタイ!!」

 悲鳴を上げて平手打ちした。
 初対面に対して平手打ちとは失礼だが、ハルは10年後のランボのような色気のある男は苦手だ。しかも今のランボは開襟シャツのボタンをほとんど外している。
 年頃の女の子には刺激的な着こなしだった。

「胸のボタンしめないとワイセツ罪でつーほーしますよ!!」
「こ、これはファッションで…」
「何か全体的にエロイ!!!」

 顔を背けて叫ぶハルにショックを受けるランボ。

「ハル、わかるぞ! おまえの言う事はもっともだ。それに何だ、この変てこな首輪は」
「え」

 獄寺はそれをいいことに相槌を打ち、ランボのネックレスを掴む。

「おめーは鼻輪が似合ってるんだよアホ牛!!」
「ええ!」

 嫌な顔で笑う獄寺の発言に、さらなるショックがランボを襲う。
 ハルは仕方ないが、獄寺は明らかにただの苛めだった。

 酷い仕打ちに耐え切れなくなったランボはフラフラと歩き出し、泣きそうになっていた。
 その時、山本がランボの落とした角を拾った。

「おいおまえ。角落としてるぞ」
「あ…投げてください」
「あいよ」

 ここで湊は思い出す。一学期の体育の授業で受けた山本の投球を。
 あの剛速球が放たれた直後、湊は異能を解除して鞄を顔に翳し、角を受け止める。
 ドスッという音と衝撃に頬が引き攣る。鞄を見ると角の先端が鞄に減り込んでいた。

「えっ、和崎君!?」

 突然の登場に驚くツナ達。
 お節介を焼いてしまった自分に顔をしかめた湊は鞄から角を抜きながら言う。

「爆発する音が聞こえたから来たんだ。はい、これ」

 角をランボに渡すと、ランボは目を見開いて湊を凝視する。

「あ……あなたは……!」
「オレは和崎湊。お前は?」

 10年後ということは、湊の最大の秘密を知っているかもしれない。
 嫌な展開を予想して先手として名乗ると、ランボは口をぐっと引き結んだ。
 そして――

「10年後のランボです! お会いしたかったです、湊さん!!」

 エメラルドグリーンの瞳を潤ませて湊に抱きついた。

 突然のことに目を丸くする湊と、後ろで「んなーっ!?」と叫ぶツナ。
 目をぱちくりさせていると、ランボの肩が震えていることに気づく。

「……ランボ?」

 ぽんぽんと背中を叩いてやれば、ランボはさらに抱きつく。
 それを唖然とした様子で見ていたリボーン達だが、ツナだけが気づいた。
 震えているランボの瞳から、涙が零れていることに。

「もう……ご自分を傷つけないでください……!」

 泣きそうな声で告げられた言葉は、とても痛々しい。

「汚れ役ばかりで……心を傷つけないでください……!」
「!」

 何が言いたいのか判った湊は息を詰める。


「いつもお優しいあなたが傷つく姿を見るのは……嫌なんです!」


 叫ぶように言った瞬間、ボフンッと10年後のランボは煙に包まれて消えた。
 煙が晴れると現在のランボが現れ、湊を見上げると足にしがみついた。

「ランボ?」

 湊は片膝をついてランボの頭を撫でる。すると、ランボはわっと泣き出した。

「湊ー! ぬなー!」
「……え?」

 わんわんと泣くランボの叫びに困惑する。

 なぜいきなり死ぬなと言われるのか、理解できない。
 考えられるとすれば、10年後の自分に何かがあったということくらいだ。

「……向こうのオレ、何してるんだ?」
「ひっく……ずっと……寝てるってっ……! 半年、もっ……!」

 理解した。10年後の湊は危ない目に遭い、半年以上も昏睡しているのだと。
 10年後も変わらず裏社会で汚れ仕事をしているのだと知り、心が痛んだ。

 ただ疑問なのは、10年後のランボは、10年後の湊と親しげであるということ。そこからボンゴレファミリーの面々とも親しい可能性も考えられる。

「和崎君」

 ハッと我に返って振り向くと、ツナが心配そうな顔をしていた。

「大丈夫?」
「……別に」

 ずっと泣いているランボを抱いて立ち上がった湊は、ツナにランボを押し付けるように渡す。

「じゃあ、またな」

 湊は短く言って踵を返す。
 その小さな背中に、ツナはもどかしさから拳を握り締めた。


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