幻想的な夢の中

 ランボの保育係がツナに決まった日の夜。
 ベッドの上で仰向けに寝転んでいるツナはリボーンに声をかける。

「なあリボーン。何で和崎君をマフィアに勧誘しないんだ?」

 突然すぎる問いかけに、リボーンはナイトキャップを被る手を止める。
 その僅かな反応に、やはり何かあるとツナは感付いた。

「何だツナ。和崎って奴を引き入れたいのか? それならそうと早く言え」
「そうじゃなくって!」

 ガバッと勢いよく起き上がる。
 ツナの顔は今までにないくらい真剣で、険しかった。

「いつも強そうな奴とかすごそうな奴をお前んとこの世界に引き込もうとしてるのに、何で和崎君だけ無視するんだよ。和崎君だって十分すごいのに、リボーンが反応しないなんておかしいだろ」

 リボーンは驚いた。
 いつも裏社会やマフィアという存在を否定しているツナが、リボーンの性格を理解し、その変化に気づいた。
 ツナの口振りからすると、その考えは今日に限ったことではないだろう。
 これもボスの資質だと、ツナの非凡な才能を垣間見た気がした。

「それに……和崎君もずっと独りだし……。今日だってつらそうだったのに、何で誰も頼ろうとしないんだよ。体育祭の時、友達になりたいって言ったら『あの二人以外なりたくない』って言うし……」
「あの二人?」

 リボーンが反応した。復唱した部分は意外にもピンポイントで、まるで和崎湊を知っているような感じがした。だが、知らない内容ということから、その違和感は心の隅に押し込んだ。

「知らないよ。和崎君、何も話してくれないから。つーか避けられてるし……」

 最後に見た湊の顔はつらそうで苦しそうだったことと、すぐに帰ってしまったことを思い出し、胸の奥が鈍い痛みに襲われる。
 キュッと眉を寄せるツナに、リボーンは疑問を持つ。

「ツナは何でそこまで和崎って奴と友達になりたいんだ?」

 最近のツナは湊に意識を向けている。
 友達になりたいと言っているが、遠慮や気後ればかりのツナにしては湊に対して執拗だ。
 ツナにも自覚はあるようで、思っていることを口にする。

「……ほっとけないんだ。ずっと独りでつらそうなのに……。苦しそうなとこ、見たくないっていうか……」

 同情からではない、純粋な気持ち。
 それを聞いたリボーンは複雑な心境になり、ナイトキャップを深く被った。

「それは本人に言ってやれ」

 そう言ってハンモックに登り、すぐに眠ってしまった。

 ツナはリボーンに聞きたいことが山ほどあったのに聞き出せなかった悔しさから口を曲げる。

「和崎君のこと、まだ聞きたかったのに」

 どうして興味を持っているのに引き込まないのか。
 どうして無関心を装っているのか。
 疑問はたくさんあるのに……。

 呟いて電気を消すと、ツナも寝転ぶ。少しずつ睡魔がやってくると、ツナは深い眠りについた。


 ……はずだった。



「……あれ?」

 眠ったはずなのに、見覚えのない場所に立っていた。
 ちらほらと淡い小花が咲いている、風で海のように揺れる緑色の草原。
 蓮池に囲まれた丘に聳え立つ、桜の巨樹。
 青白い満月と煌めく星々が照らす、美しい夜空。

 心が癒されるほど幻想的な光景に見入っていると、どこからか歌声が聴こえた。


 静寂の時は流れ
 色褪せたあなたの追憶

 永劫に朽ち果てた花は美しくて
 優しい声はもう聴こえないわ 叫んだって届かないのに
 蝶が舞う嘆きの空 虚ろな月景の郷へ
 幻想に包まれ眠るのよ 夜がまた降りていく



 心の底に秘めた感情を吐き出しているような、哀しい歌声。
 よく見ると、満開に咲く花の隙間に人影を見つける。

 雪のように舞い散る桜の花びらを愛でる人は、見たことがないほど美しい女性だった。
 射干玉の夜を体現した絹とも黒真珠とも言い表せる艶やかな黒髪は腰下まであり、風になぶられ揺れている。目を伏せて旋律を奏でる表情は綺麗で、儚い。
 桜を上品にちりばめた不思議な振袖がよく似合うほど、美しい人。

 頬が熱くなるほど儚げな人を見ていると、彼女はツナの存在に気づく。

「……迷子?」

 澄んだ優しい声は、誰かに似ていた。
 彼女はふわりと枝から飛び降りて、素足で蓮池の水面を渡る。
 途中で桃色の蓮の花を掬いあげ、こちらに歩いてきた。
 やっと見えた彼女の大きな瞳は、とても変わっていた。

 右眼は瑠璃色。
 左眼は紫色。
 どちらもガラス玉のように澄んで、神秘的な光を秘めている。
 凛としているようで穏やかな目元のおかげで、優しげな印象を与えた。

 近づいてきた女性に言葉を失い後ろ足を引く。それに気づいた女性は、そこで立ち止まる。

「どうやってここに来たの?」

 不思議そうに首を傾げて訊ねた女性に、また頬が熱くなる。

「えっ!? あの……普通に眠ったはずなんですけど……えっと、ここ、どこですか?」
「ここ? ここは私の精神世界。私の心を癒す空間だよ」

 精神世界とは何だろう。初めて耳にする言葉に首を傾げるツナ。

 女性は困った表情で苦笑し、もう一度訊ねる。

「ここから出たい?」
「えっ……」

 出られるのだろうか。もし出られるのだとしたら……。

「……もう少し、ここにいていいですか?」

 彼女と二度と会えない気がして、もう少し傍にいたいと思ってしまった。
 問い返せば、女性は優しく微笑んで頷いた。

「せっかくだから、こっちに来て」
「え……うわっ!?」

 ツナの手を優しく掴んだ女性は、トンッと地面を蹴る。瞬間、ツナの体も一緒にふわりと浮いた。
 突然の浮遊感に目を白黒させていると、あっという間に淡い紅色の空間に入った。
 よく見ると、それは桜だった。

「見て」
「あ……わあ……!」

 女性が促して前を見れば、とても美しい幻想郷が広がっていた。
 広大で美しい、だけど、どこか物寂しい世界。
 それでも隣にいる彼女は、とても穏やかに笑っていた。

 ――ドキッ……


 心臓が高鳴る。こんなに綺麗な人と近くにいることすらなかったので緊張してしまう。
 ふと、隣にいる彼女はツナを抱き寄せた。
 柔らかな感触に顔が熱くなるが、優しい香りに包まれて安心感を覚えた。

「あなたは生きることがつらいと思う?」
「……少しだけ。でも、悪くないなって思う時もあって……」

(あれ……? 何でこんなこと言ってんだろ……)


 初めて誰かに胸の内を話している自分に驚く。
 でも、悪くない。彼女に打ち明けてみて、心が和ぐように癒される。
 打ち明ければ、優しい抱擁が少しだけ強くなった。

「あなたは強い。そして優しい。その心を、どうか忘れないで」

 優しい声に心臓を掴まれる。じわりと広がる熱に絆されそうになる。

 ふと、ここで思い出す。彼女の瞳は、頭を撫でる手つきは、ある人に似ていて……。

「和崎……君……?」

 一瞬だけ、彼女の手が止まった。
 顔を上げると彼女は軽く驚いていて、最後にふっと儚げに笑った。


 ――ピピピッ ピピピッ


 電子音が聞こえた。意識が戻ると、いつもの天井が見えた。
 あの幻想郷は夢だったのか。でも、どうしても夢とは思えなくて。
 湊とあの女性を重ねて見てしまいそうになるが、きっと勘違いだ。
 ……でも、最後に見た女性の驚いた表情と微笑みで肯定しそうになる。

 泣きそうになる気持ちを押し殺して、ツナは起き上がった。


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bkm