帰国命令


宗一の元に一通の手紙が届いた。差出人は時恵。其の懐かしい文字に顔を綻ばせ、目を通す。
時一では無く何故自分なのか。受け取った時そう思ったが、内容を見て理解した。
手紙は二通。
一通は差出人の時恵。もう一通は、此れが本来の目的である和臣から。弟からの可愛い手紙等では無く、元帥からとしての手紙。

――帝國軍軍医として、菅原両名、此れ受け取りし即刻帰国せよ。

色気も可愛気も無い内容に、修羅を感じた。
封に仕舞い、強く握った。
隣の処置室から聞こえた音に慌てて手紙に煙草を近付け燃やした。灰皿の中で燃え粕に為ったのを確認し、窓から捨てた。はらはらと舞う灰は、桜の花弁を宗一に見せた。
「其の後は如何?痺れはある?」
時一の声に紛れ、男の声が響く。
「痺れは無いが、未だ動かんね。」
笑う声。
「そりゃそうさ。銃弾を受けてナイフで抉られたんだ。そう簡単に動きゃしないよ。」
淡々と話す時一に、嗚呼在の独逸兵かと判る。
数週間前、至近距離から肩に銃弾を数発受け、尚且ナイフで其処をめった刺しにされた男。何をそんなに恨みを買ったかは知らないが、大変だったのを覚えて居る。肉は削げ、焼け、一つの銃弾は鎖骨に減り込んで居た。片目の時一に一人でしろと云うのは無理で、実際、宗一も苦難を強いられた。
「俺の手、動く様に為るか?」
「焦らないで。焦ると動く物も動かなく為る。気長に酒でも飲んで於く事だね。」
宗一が針糸の魔術師なら、時一は言葉の魔術師だ。宗一に心の安堵は与えられない。性格か其の気が無いのかは判らないが、時一の口から出る言葉で人は希望と安堵を与えられる。
言霊。
時一の言葉は其れであった。
包帯を外し、傷痕を確認した。皮膚の引き攣りは見られるが、動かす分に支障は無いだろうと時一は云う。
「あ、でも女とは遊ばない事。」
傷痕の経過をカルテに書き乍ら、思い出した様に笑う。
「何で?」
聞いた男に無言で顎に手を突き、ふふんと鼻で笑う。
「片腕で撃ち合いしたいなら止めないけど…?色男さん?」
「もう少し早く云って欲しかった…」
「あ…?」
変化した声色に男は首を振って、何でも無いと青褪めた。其の会話に声を殺し笑う宗一。
「女がリードするのは…?」
「駄目。」
即答し、カルテを閉じた。
「来週又来て。」
来週、其の言葉に宗一は扉を開けた。ノックも無しに開いたドアーに二人は驚き、時一は息を吐き手を振った。
「勝手に入らないで。女性だったら如何するんだよ。」
「御前、来週は来なくて良い。」
時一の言葉を無視し、宗一は話す。
「来なくて良いって、え?」
「嗚呼、言葉通り。」
時一からは未だ完治の言葉を聞いて居ない男は困惑した。最初に診たのは宗一だが、今診て居るのは時一、一体何方の言葉を聞いて良いのか戸惑う。
「一寸待て。彼は未だ完治して居ない。勝手に決めるなよ。」
肩を掴み、睨む時一。其の目に宗一は、完治して居ない、そんなの誰が決めた、決めるのは俺、偉く為ったもんだと鼻で笑った。
立ち上がった時一の代わりに宗一が座り、男の肩を診た。解す様に数回揉み、カルテを見た。
「痛いか?」
「痛くは無いんだが、重い。」
「そうか。」
云って宗一は男の腕を掴み上げた。動かない肩を無理矢理上げ、骨の音と呻き声が調和した。
「離せよ…っ」
無表情で腕を掴む宗一の腕を引き剥がし、行き成り来た痛みに震える男の肩を抱いた。
「乱暴するなよっ」
「乱暴…?」
煙草を燻らせ、鼻で笑う。
「動かなく為ったら如何するんだよっ」
煙草を灰皿に置いた宗一は、呆れ果てたと云わんばかりの息を吐いた。
「御前は何処迄御優しいんだ。」
「え?」
「おい。肩、重いか?」
男は云われ、気付いた。
「あれ…?」
数秒前迄あった張りや重さが無い。はっきりと、前の状態に持った事を確信した男は肩を回し、時一を見た。
「動く。」
「動く…?」
「動くぞ、若先生。」
ぐるぐると腕を回し、笑う男。
「わは、わはは。有難う、先生。」
「いいえ?」
肩を叩かれた宗一は椅子を回し、背を向け立ち上がった。腑に落ちないのは時一だ。
「乱暴だ…」
吐き捨てた。
「そうかな?」
「そうかな、だって?」
技量は申し分無いのに、時一には少し甘い所がある。出来無いと云われたたら、嗚呼そう、と納得して仕舞う。
「遠の昔に完治してたんだ。其れを時一、御前は判らなかった。」
振り返り、男の肩を小突く。垂れた目は、楽しそうに形を変えて居た。
「身体が痛みを覚え、恐怖で動かせなかっただけなんだよ。痺れが無かったのは其の所為。」
男の肩に手を置き、揉み解す。
「重いのは、筋肉が緊張していたから。無理も無い。ずっと庇って力を入れてたんだから。」
だから、無理矢理腕を上げた。
宗一は背中を叩き、男を立たせる。
「帰って良いぞ?」
「あ、嗚呼。有難う。」
肩を動かし乍ら、男は笑って姿を消した。
「はい、一人終わり。」
紫煙の奥で、不満そうな時一の目が映る。
「問題ある?」
「…いいえ。」
首を振り、同じ様に紫煙を上げた。
「貴方には、頭が上がりませんよ。」
「まあなあ、時一には無理だろうなぁ。」
嬉しそうに口角を上げ、時一の顎を掴んだ。唇に触れた宗一の唇。
離れ、触る。
「宗一からして来る何て、久し振りじゃない。」
「何と無く。」
「其れだけ?」
「うん。」
時一は声を出して笑い、煙草を消した。
「他に、何かあるのかと思った。」
机に腰掛け、首に腕を回し、引き寄せた。机に手を突いた宗一は、矢張り同じ様に煙草を消した。
宗一の腰を足で挟み、囁いた。
「例えば、こんな理由。」
今度は時一からキスをし、唇を舐めた侭項を優しく撫でた。
「折角の御誘いだが…」
低く呻き、腰を離す。
「話がある。」
消えた重みに息を吐き、椅子に座った。興が逸れた時一はカルテの整理を始め、聞いた。
「何?」
「二日以内に此処を出る。」
「…………何?」
振り返り、見た宗一の背中は心中を隠して居た。
「仕事は如何するんだよ。今は戦争中だよ。」
時一は鼻で笑い、そうか、遠征か、と考えを変えた。
「場所は?」
口から上げた紫煙を掴み、床を見詰める宗一。
「日本。」
其の言葉に時一の背中は冷たく為り、行き成り氷を落とされた気分だった。
此の建物からでは無く、独逸をから出る。
「日本に、帰るって事か…?」
「元帥命令。」
何時に無く時一の口元は震え、聞かされた言葉を理解し様とした。けれど頭は追い付かず、理解したく無い自分が居た。
「日本は英国軍と手を組んだ。詰まり。」
煙草を消し、俯く。
「独逸は敵国に為った…」
頭を抱え深い溜息を漏らす宗一、時一の身体は震え上がった。
「待っ、て…。俺達は…」
「嗚呼…」
こんな形で独逸から離れるとは思って居なかった宗一は、必死に自分と戦って居た。戻るなら自分の意思で、そう思って居た。きちんと自分の目で見、決め、日本に、和臣の元に戻る積もりだった。
其れが行き成り、一通の手紙で決められた。
和臣の横暴な命令に眩暈を覚えた時一は首を振った。
独逸を離れる。今迄も此れからも自分は独逸軍の力に為ると思って居た。
なのに。
時一は俯き、強く手を握り締めた。
「Nein...」
掠れた声。
黙った侭宗一は視線だけ向けた。
「嫌だ。嫌だ、絶対嫌だっ」
立ち上がり、頭を抱えるだけの宗一に掴み掛かった。文句を云う相手が違うのは重々承知して居る。けれど、云わずには居られない。
「俺は、日本を捨てたんだ。姉上に二度と会えない覚悟で此処に来た。独逸で、此処で、俺は男に為ると決めたんだ…っ」
喚く時一の気持が痛い程判る宗一は黙って揺すられて居た。時一の為には独逸に居る方が良い、然し、和臣に対する思いもあり、葛藤して居た。
「日本に戻る?ふざけるなよ。今更日本で何が出来る、何に為る?元帥命令?木島は俺の元帥じゃないっ」
幾ら喚こうが宗一は揺さ振られるだけで何も云わず、そんな宗一に苛立ちが隠せない。
「何か仰ったら如何です、兄上っ」
掴まれる手。
「云って、遣ろうか…」
捩り上げ、其の侭ソファーに投げ飛ばした。
「俺は、和臣が修羅に為った時、帰ると誓った。泣く彼奴を振り払って此処に来た。全ては。」
頬に落ちる涙。
時一と和臣、今自分を必要とするのは果たして何方か。
「和臣の、為なんや…」
宗一の目から溢れる涙。
「和臣が、うちを必要としてんねやぁ…」
掛けた天秤、其れは重く、計れないと知った時、一方は飛ばされ一方は落ち、壊れた。
壊れた天秤に時一は唇を噛み、震えた。
「だったら…」
響く怒号。
「だったら御前だけ日本に帰れば良いっ、愛しい愛しい元帥の元にな。俺は帰らないっ」
此れは本心では無い。こう喚けば宗一は傍に居て呉れるだろうかと、浅はかな希望で云った。本当は云って欲しい、独逸に残ると。自分の方が大事だと。
「宗一…、御願い…」
壊れた天秤を眺める宗一に希望は消え、時一は崩れ落ちた。
「俺を見てよ…、宗一…」
宗一を必要として居るのは兄さんだけじゃない、俺も必要として居る、けれど宗一は何時も兄さんしか見ない。
「傍に居て下さると、仰ったではありませんか…」
一人にしないと云った在れは、結局和臣に向いて居た。
「何で…何で…」
和臣に勝てないと知った時一は泣く事しか出来ず、如何すれば宗一が自分から離れないか、其れを必死に考えた。
「御免な、時一…」
離れた気配に時一は顔を上げ、掴もうとしたが、知って居た。
本当に欲しい物は、何処にも無い。
「如何しても独逸に居たいん遣ったら…」
扉を開け、時一を見ずに云った。
「此処で御別れや、時一…」
ばたんとドアーは閉まり、時一はピントの合わぬ目で見詰め続けた。




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