日記帳


寝巻きに着替え、家中の電気が消えるのを待つ其の時間が、途轍も無く長く感じる。
在れから戻った私は、案の定、使用人達が粗相をした時に閉じ込められる部屋に監禁された。小さな窓しかない部屋。唯一のドアーはきつく施錠されていた。見上げた小窓から、果たして身体が抜け様か。ドアーの外に立つ使用人の気配を伺い、音を出さない様に椅子を持ち出し、試す。肩の所で如何しても引っ掛かり、肩さえ抜ければ、後はすんなりと抜ける筈だった。
なのに。
如何しても、肩が抜けない。其の時、ドアーがノックされた。
「時子様。」
私は慌てて窓から離れ、椅子を戻し、ベッドに潜る。
「明かりを御消ししますわ。御休み為さいませ。」
使用人はそう微笑み明かりを消し、又ドアーを重く閉じた。月の光だけが差し込んだ部。私は其の明かりを頼りに、椅子を置き、時計の文字盤を照らす。時刻は、十時を回った所だった。一時間したら外に居る見張りも寝に行く。そして、大広間の大時計が十二時を知らせれば、私は、此処から、抜け出す。幸い此の家には番犬が居ない。父が犬嫌いだからだ。外にも、兄が居るかと見たが、見張りが居る様子は無い。まあ其れも、そうだと思った。家の中、行きたい所があれば行けるので、其れに付いて行く使用人を一人、ドアーの横に付けて置けば良いのだ。
十二時迄暫く時間があり、私は月光の道をぼうっと眺めていた。すると外に居た使用人が声を掛けて来た。
「御嬢様。」
其の掠れた声に私は寄った。
「何?」
「御逃げに為るのでしょう。」
どきりとした。何を馬鹿なと笑う事も出来たのだが、無言になる。暫く互いに無言で、使用人は息を吐くと
「でしたら、御力に為りますわ」
そう言葉を続けた。
「何を、馬鹿な…」
私は云った。其の後自分が如何為るか使用人は判っている筈なのに、何故そんな事を云うのか、私は理解出来無かった。がちゃりと施錠が外れ、開いたドアーに居たのは、髪を解いた使用人だった。
「私も、逃げますので。今日。」
エプロンを外し、其の侭ベッドに放り投げ、私を見た。
「逃げましょう、御嬢様。」
「何故、貴方は逃げるの?」
聞いた私に使用人は笑い、此処には居れない、そう云った。
「坊ちゃまの子を、身篭っておりますので、此処には居れません。」
「御兄様の、子を…?」
使用人は薄く、辛そうに笑った。其の笑顔に私も似た様な笑顔を顔に浮かべ、二人でベッドに腰掛けた。
「そう…貴女も、辛いのね。」
兄と此の使用人が、恋仲とは考えられない。そうなると、無理矢理関係を持たされたに違い無い。
政略結婚をする令嬢、雇い主の息子に犯され孕んだ使用人。何方の人生の方が、他人には不幸に映るのだろう。考えても、答えは出なかった。いや、如何考えても、後者だった。
自分だけが不幸と思うな。
兄の其の言葉が、酷く突き刺さった。
私は重苦しい空気に息を吐き、時計を見ると、十二時に迄十分を切っていた。使用人の顔を慌てて振り返ると、使用人は小さく頷き、立ち上がると私の腕を取った。
「参りましょう。」
「待って。正面から行くの?」
「正面?まさか。」
使用人は解いた髪を再度縛り上げると、静かにドアーを開いた。
「私が、騒動を起こします。其の間に、御逃げ下さい。」
かちかちと秒針の音が響く。
後、一分。
使用人は、何処から見付けて来たのか長い棒を持ち、私を椅子に立たせると背中を触った。
「御元気で、御嬢様。御幸せに。」
其の声と大時計の音が、重なった。其れを掻き消す様に使用人はドアーを閉めると、長い廊下を走り出し、鳴る大時計の硝子を叩き割った。時計の壊れる音に私は時計を捨て、窓に手を掛けた。先に腕を伸ばし、乗り出す。そうすると、簡単に肩が通過し、私は、笑った。
「時子。」
窓硝子が割れる音に紛れ小さく聞こえた、彼の声。私は椅子を蹴り、半身を、此の身体を窓の外に放り出した。
「――――っ。」
声無く彼に受け止められ、私は安堵の涙を流した。家の彼方此方で電気が点き、私は其れを見ていた。何時の間に向かったのか、三階の長い廊下を、兄の部屋に続く廊下を在の使用人が歩いていた。ふと其の足が止まり、目が合った。其の満面の笑みに、私は一種の恐怖を感じた。背を向けた使用人が振り上げた棒は、兄の部屋目掛け振り落とされた。
「御兄様…」
「逃げるぞ。」
強く腕を引かれ、月光の中、離れた場所に止まっている馬車に向かった。
在の後、在の使用人や兄が如何為ったか、私は知らない。振り返らなかった。振り返れば戻ってしまいそうだったから。其れに、兄が在の使用人に殺され様が、私には関係が無かった。
考えたのは唯一つ。
こうして、何時迄も、手を引いていて貰いたい。
其れだけだった。




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