葬列
鬱々と降る雨。雷が鳴る程では無いが在の日から、一向に止む気配は無い。梅雨特有の鬱々とした空気は何時晴れるのだろうと、窓を伝う雫を時恵は眺めていた。
「姉上。御時間です。」
時一の声に時恵は顔を動かし、窓から目を離した。
木島一人が居なくなっただけで、何と陳腐な邸なのだろう。テーブルに置かれた木島の姿に、時恵は俯いた。
「こんなに、小さくなってしまわれて。」
骨壷を指先で触り、そっと離した。
木島が死んだからと云って、終った訳では無い。残された者達には、未だしなければならない事がある。此の世で一番醜い、遺産相続の問題。
本来なら長男である宗一に、一番多くの遺産が入る訳だが、木島の意向により、正妻の長男である時一が相続の半数を占めていた。其れに続き、時恵。順に宗一、和臣と続く。愛人であった夫人には、長年住んでいた邸を譲渡するとされていた。
其れに納得いかないのは、夫人である。機械的に話す弁護士に掴み掛り、血相を変える。
「一寸待ちなよ。何であたしが家一個なんだい。時子さんが居ない今、正妻の位置に居るのはあたしだろう。」
正妻の位置、遺産相続権が二分の一。相続権利が半分で無くとも、家一つは余りにも馬鹿にされて居る気分だった。
「あたしはずっと此の柵の中に身を費やしてたんだ。十五の時から今迄ずっとだ。判るかい。家一個貰って、嗚呼そうですか、で済むもんかい。」
「旦那様の御意向です。」
「意向も糞もあるかい。あんな家、売った処で精々五年生活出来るか否かだよ。あんた、あたしに死ねって云ってんのか?」
妾である夫人は、収入源の木島が居なくなった事で一切の金が入らない状態になった。家を貰った処で、金が入らない以上生活は出来ないのである。
出て行くのは一向に構わないが、自分が死んだ後も不自由無く面倒を見るのが妾を持つ人間の甲斐性だろうと夫人は喚き立てた。
「第一、何で和臣が一番最後何だよ。法律上、和臣が第一子だろう。此れじゃあ、和臣が可哀相だ。」
鬱々とした中で烈火の如く怒り狂う夫人に弁護士は怯み、耐え兼ねた宗一が口を挟んだ。
「なあ、御母ちゃん。」
宗一の呆れ果てた声に夫人は舌打ちし、掴んでいた弁護士の胸倉を放した。荒々しくソファに座り、夫人の心の様などす黒い紫煙を吐いた。
夫人は何も、金に執着して居る訳では無い。無理矢理妾され、子供迄産んだ其の代償が場に合わないとに怒りを見せているに過ぎない。
宗一に其の気持は痛い程判って居た。
「うちの相続分、見せて貰てもええ?」
宗一の頼みに弁護士は書類を渡し、渡された書類に目を通した宗一は頷いた。
「成程なぁ。邸と、申し訳程度の端金。んー、腑に落ちひんなぁ…」
「そうだろうっ?絶対おかしいだろうっ?」
「おかしいわ。」
二人に云われ、宗一はゆったりとだが夫人の早口に弁護士は、穏便に、としか云え無かった。
夫人の吸っていた煙草を勝手に吸い、夫人の横に座ると肩に頭を乗せた。
「おかしいわ、絶対。不公平やわ。なあ、御母ちゃん。」
同調し夫人は頷いて居たが、次に出た宗一の言葉に表情を強張らせた。
「第一、ええ?うち、木島宗一郎の息子違うで。菅原蛍の息子や。何で他人が、認知されてる和臣より多いんや。」
書類を叩き乍ら、相続者にされている自分の名前に鼻で笑う事しか出来無かった。
「木島宗一て、誰やの…」
無言で其の名前を見詰めては見たが、口にした事で怒りは腹から込み上げて来た。吐き出すまいと唇を痛い程噛み締めるが、見れば見る程腹が立ち、ソファから立ち上がった。
「おかん殺しといてなぁ、今更こないなもん、要らんわっ。」
声を張り上げ、持って居た書類を破き捨てた。木島本人を踏み付ける様に紙屑を踏み付け、今度は宗一が弁護士に噛み付いた。
「うちは菅原宗一や、こないな男から鐚一文貰う積もり無いわっ。馬鹿にすんのも大概にしてんかっ」
滅多な事では怒りを見せない宗一が見せた怒りに夫人は溜息を吐き、木島に対しての嫌悪を剥き出した姿を初めて見た時恵達は一層押し黙った。
「何処迄…人を馬鹿にしたらええんや…」
掴んで居た胸倉を離し、噎せる弁護士に宗一は一言謝罪した。座り直したソファの風が紙屑を散らし、一枚一枚弁護士は拾った。掌に乗る紙屑を確認し、机に並べた。
「張り合わせれば…何とか…」
「要らんわ…。まあ、似合いやな。継ぎ接ぎだらけの書類何ぞ…。滑稽やわ…」
自分達親子の様な紙屑に宗一は鼻で笑い、夫人の肩に額を付けた。
認知したかも覚えて居ない木島に、怒りよりも軽蔑を覚える。慰める様に頭を撫で、机に姿を見せる宗一の契れた心を横目で見た。
「宗一には、良いだろう。やった処で、宗一を傷付けるだけだ。此奴を此れ以上、木島の所為で傷付けるのは止めてよ…」
宗一の頭をしっかりと抱き、威勢無く頼む夫人の姿に時一は胸が痛くなった。
自分は、宗一の母親に傷を付けられた。其れは仕様の無い事だが、宗一は生まれた時から実父に傷を付けられて居た。血の繋がらない宗一の母親に傷を付けられた自分と、血の繋がる自分達の父親に傷を付けられた宗一。
御互い様な気がし、木島の所為でもあった。
「僕のも、宜しいですか…」
黙って居た時一の静かな声に弁護士が顔を向け、書類を渡した。一番多い遺産相続分に渇いた笑いが出、部屋を見渡した。
「此の家に、株、其れから…。こんなに土地あるんだ…、住んでると判らないや…」
「別荘地も御座居ます。」
「多いなぁ…」
十五歳の自分には有り余る遺産に笑う事しか出来ず、次に時恵の書類を見た。
全遺産の半分以上時一が占め、残り半分の二分の一が時恵に譲渡されていた。宗一は其の半分の三分の二、和臣と夫人には均等だった。
余りにも馬鹿馬鹿しい分与に、宗一でなくとも怒りが沸き、時一は呆れの方が強かった。
「僕は確かに正妻の長男ですが、此れは余りにも不公平です。」
「ワタクシも、そう、思いますわ…」
時一に渡された書類を確認した時恵も重く口を開き、机に置いた。
幾ら認知されて居ないとは云え、木島の第一子は宗一である。けれど宗一に貰う意思は無く、無理に押し付ける事は侮辱と捉えた。
問題は和臣である。
法律上では完全に第一子であるが、嫡子では無い。けれど木島は和臣に全てを渡したと云っても良い。自分の持つ権力全てを和臣に使い陸軍元帥にし、時恵や嫡男である時一には一切使って居ない。時一よりも和臣の方が、嫡男らしいと云え様。其れでも時一の嫡男としての権利を通した木島の意図は、奇妙さがあった。
「嫡男だからにしては、法外過ぎやしませんか、姉上。」
「そうね。御兄様が一番少ないのは、確かに変ね。」
在れだけ執着して居た和臣に何故…。
幾ら二人が揃って険しい顔をしても死んだ木島の意図が判る訳も無く、寄せていた眉間の皺を解いた。
「子供…?」
「子供?」
時一の言葉に同じ事を聞き返し、時恵ははっとした。
物では無く、権力を象徴する遺産。
「木島の、名前…」
「其れですっ。」
気付き、時一は書類の日付を見た。
「間違いない…。兄さんが結婚された日付です。」
「御兄様には御子が産まれる…」
「詰まり、木島の名前が続く。」
宗一と時一は同性愛者、時恵は本郷の人間、名前を継げるのは確実に子供の居る和臣。仮に女子が産まれても流れても散々子供を作って居た和臣の事だ、一人では済まない事は判って居たに違いない。
時一の言葉に夫人の顔が複雑に歪む。
「何よりも、最悪な物だな…」
「せやけど、和臣以外には、居てへんもな…」
木島が望む物を必ず手にする人間。時一には何れ無くなるであろう詰まらない代物で、和臣には必ず守って貰いたい物。其の滑稽極まり無い違いに、時一は俯き、肩を震わせた。
くつくつと喉奥で笑い、包帯を押さえた。
「要りません…」
結局自分は、時恵と同じに木島の御飾りでしか無かったと、何も与えられ無い事に傷を知った。
「形だけの嫡男扱いでしたら、結構です。僕は、ずっと、父上の子供である事に誇りを持って居ました。」
道理で、と膝に額を付けた。
「僕が何をしても、父上は、御叱りに為らない訳だ…」
始めから期待等されて居なかった。木島の期待等考えた事も無かったが、はっきりと知ると悲しみがあった。
「木島の名前等、御望み通り、兄さんだけにして差し上げますよ…」
「時一…?」
肩に触れた時恵の手に涙が流れ、ぼやける書類がぐにゃりと形を変えた。
「早く、居なくなりたい…。こんな場所。嫌いです、こんな家。」
昔から好きでも無く嫌いでも無く、住んで居る、と曖昧な事しか考えて居なかったが、家の本当の意味を知った今でははっきり嫌いと云える。
「居なくなりたいって、一寸時一。止めて頂戴…」
物騒な事を口走る時一に、自殺でもするのでは無かろうか時恵は狼狽した。人一倍繊細な時一は、其れをし兼ね無いのだ。
面白い程震える時恵の声に時一は顔を上げ、膝に肘を乗せた状態で顔を見た。
「嫌だなあ、違いますよ。」
「そうなの…?良かったわ…」
安堵の息を吐く時恵にきちんと向き、膝の上に乗る時恵の手を握り締めた。
「僕ね、姉上。兄上と考えたんですが、独逸に行く事にしました。」
行き成り云われた提案に、時恵だけでは無く夫人と弁護士も驚き、言葉を無くした。其れを良い事に時一は勝手に話を続け、宗一は何処吹く風、知らん顔で破き捨てた書類を一枚の紙に糊付けして居た。
「宗一様…、時一様の御話は…」
「ほんま。独逸に行って、医者にしよかなて。」
時一が自ら望んで木島の名前を捨てるのは予想外ではあったが、宗一は独逸に連れて行くなら其の積もりであった。説得する手間が省け、宗一には都合が良い事に変わりは無いので、頷いた。
時一が自ら望んで木島の名前を捨てるのは予想外ではあったが、宗一は独逸に連れて行くなら其の積もりであった。説得する手間が省け、宗一には都合が良い事に変わりは無いので、頷いた。
「日本に居てたて、時一、学校行かないもの。此処でぐうたらさせて、和臣の二の舞になるんやったら、せやたら独逸行って、人生知ったらええやん。」
宗一の前向きな考えに時恵は目眩を覚えた。確かに此れから先、時一の人生に不安感はあったが少々飛躍し過ぎでは無いかと。
「当ては、御座居まして?兄上…」
独逸に行き、結局何も変わりませんでした、では母親代わりをして居た自分自身にも母親にも面目が立たない。
不安な時恵に宗一は口角を上げ、糊の付いた指先を拭いた。
「当て位あるわ。うちを誰やと思てるのぉ?」
先程怒りを剥き出しにした同人物とは思えぬ宗一の変わり様に、時恵は不安乍らも時一を見た。母親の許しを貰う様な時一の目に息を吐き、書類に目を向けた。
「相続権は破棄し、ワタクシに渡し為さい。そして菅原時一として、独逸で、頑張り為さい。」
時恵の言葉に時一は目を見開き喜んだが、暗い顔に眉を顰めた。
「弁護士さん、破棄の続きをして下さいませ。」
話し乍ら書いた書類を弁護士に渡し、渡された弁護士は目を凝らした。
「時恵様…?」
「其処に書いてある通り、ワタクシは、一切の権利を破棄致しますわ。」
瞬間、夫人はソファの背凭れに倒れた。見詰める天井がぐるぐると回り、気分が悪くなって来た。
宗一の相続権は時一に渡り、其の時一の相続権は時恵に渡った。三人分の相続権を持った時恵は全てを破棄し、和臣に渡すと書類に記入してしまった。一瞬で、木島の全てを手にした自分の息子に言葉が無くなり、夫人は頭を振った。
「詰まり…、意味が判るんだけど判らない…」
「旦那様の遺産全て…、いえ、一海様が相続為さるの以外全て、和臣様に相続権が御移りに。」
「判ってるよっ、そんな事っ」
頭を抱え、何で馬鹿な子供達だ、と夫人は嘆き、本邸と此処の土地だけでも時恵が貰ってくれ無いかと懇願した。けれど時恵は首を振り、一切貰う積もりは無いと言い放った。
「相続税、どれ程掛かると御思いですの。要りませんわ。」
「頼むよ、生家だろう?な?実家が無くなるのは辛いだろう?」
何度も必死に、土地は和臣にやっても良いから建物だけは頼むと頭を下げた。
莫大な相続税が掛かる事を嫌がって居る訳では無く、税金位此の屋敷が残るのなら痛くは無かった。夫人が懇願するのは、和臣に渡った後、果して本当に此の屋敷が残るか判らないからだった。
何時でも自分を支えてくれた大好きな時子が居た場所、皆が笑顔で居れた場所、夫人は其れを無くしたく無かった。
無言で頭を下げる夫人の手を握り、でしたら夫人に、そう云った。
「夫人に、此の屋敷と土地の相続権を譲渡しますわ。其の後は、御好きに為さって下さいませ。」
母親そっくりに笑う時恵に夫人は有難うと繰り返し、書類に捺印した。
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