然様なら、初めまして
本当に夜中なのだろうか。此処に居る人達は皆、目を爛々とさせ、酒や歌に狂って居る。
一人で降りれるのに、ハンスは私を抱え、車から降ろした。他の者達は、生き生きと車から降り、楽しみ始めた。
「俺から離れるなよ、絶対だ。」
何かあってからでは遅いそう。其れもそうだ。私は軍人ではない。何をされるか、判ったものでは無い。
手を引かれ、輪の中に入ってゆくと、一人の女がハンスに気付いた。
「ハンス。」
「元気してたか?」
厚く抱擁を交わし、女はハンスの帽子を取ると被り、けたけたと笑い始めた。
「泣く子も黙る、独逸軍よ。」
「返せよ。」
「嫌よん。」
くねくねと云うかふらふらと云うか、相当酒が入って居るのだけは判る。そうして合った視線。
「あら?」
暗い中でも判る青い目。
「初めて見るわよ。」
「可愛いだろう。」
にやりと口角を上げたハンスの指が、顎を触る。
「可愛いという依りは、男前だわね。」
「昔は、本当に可愛かったんだよ。女みたく。」
「うふふ。」
女の柔らかい指。こんな風に女に触られた事は、今の一度も無い。細く、しなやかな冷たい指。其の手を、私は握った。
「男前?」
「うん。すっごくね。綺麗な顔。」
「有難う。」
何処で教わった訳でもないが、私は女の指を軽く噛んだ。其れに女は喜んだ様子で、抱き付いて来た。
心臓が鳴る。
帯の無い、其の身体の線を教える服は、私に女の体温を伝えた。
「待て待て。」
女を引き剥がし、又ハンスの指が顎を伝う。初めてこんな近くでハンスの顔を見た。長い睫毛に、高い鼻。矢張り、青い目をして居た。
「此奴は女を知らないんだ。如何する?」
其れを聞いた女は、益々私を気に入った様子で歓喜し、又抱き付いた。
「良いわねぇ。こんな良い男なのに、未だ知らないなんて。」
云って顔を近付ける。
「…キスも未だ、何て云わないわよね…?」
「其れは無いよ。」
笑い、女の耳元で云った。
「生憎、女役しかした事が無い。」
女は笑い、酒を飲んだ。
「なんて事、可哀相に。」
女の笑いに、私も釣られた。
女は片眉上げただけの顔でハンスを見た。
「相手は俺じゃないよ。」
「如何かしら。男もいけるんでしょう?」
「…其れは…まぁ、内緒って事で。」
「内緒になってないよ、其れじゃあ。」
否定とも肯定とも取れないハンスの言葉に笑い、女から酒を取ると流し込んだ。
酒の味は、遠の昔に覚えた。
日本に居る時は、彼が飲んで居た匂いでさえ駄目だったと云うのに。
人とは、容易く変わる。
変われるのだ。
「まあ、いけるのね。」
「大人に為り始めたって事かな。」
程好く酒が回る。此の瞬間が、心地良いとさえ最近は思い始めて居る。
「咥えるのも、男の物だけじゃないよな?」
「まあね。」
差し出される煙草。此れは、昔から嫌いでは無かった。彼のキスから受ける味に慣れ、何時しか其れを求め、今こうして咥える様に為った。
揺らぐ紫煙。彼の事を考えて居るのに、彼の顔が思い出せないのは何故だろうか。
「何て憎たらしい日本の坊やなの。」
頬を抓まれ、其処から愛が伝わる。
此れだ、私は此れが欲しかったのだ。
女はハンスを見ると、被った侭の、持ち主も忘れて居た帽子を返した。
「幾ら?」
「買うのか?」
「特別よ。」
正直、驚いた。金は動くだろうと思って居たが、まさか自分で動くとは思って居なかった。
「そうだなぁ…」
ハンスの其の目は、泣く子も黙る独逸軍の其れでは無く、男の目だった。
「日本人の初物、そう滅多な事が無いと、御目に掛かれないぞ?」
「日本人、って云うのが、良いんでしょう?ねぇ…?」
伸びる女の腕。鼻を擽る香水の仄かな匂いに、眩暈が起きる。
「要らないよ。」
「え?」
「金は要らない。」
女は驚いた様だったが、ハンスはそうだろうな、と云う眼をして居た。金が欲しくて、此処に来た訳ではない。
「其の代わり。」
他の物が欲しい。
「愛を、頂戴。」
囁いた其の言葉に、女は強く私を抱き締めた。
「良いわ、沢山あげる。だから貴方も、私を愛してね。」
初めて知る女の体温。其れがこんなに心地良いとは、知らなかった。
柔らかい身体、甘い声、私を飲み込む其処。私も昔は、こうだったのだと、知る。
女の様に小さな身体、筋肉の無い軟さ、高い声。女嫌いの彼が、何故こんな私を抱いて居たのか、矢張り其処には愛があったのだろう。
今も、無い事は無い。あるのだけれど、其れは私に向けられて居るのでは無く、彼の望む様に成長した身体に向けられたものの。
私は変わった。
彼が私を強く抱く様に、私も、女を強く抱いた。
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