夢と思い出
ランチタイムだと云うのにヘンリーは居なかった。何時もなら、食べはしないが意地悪をする為に席に付いている筈だが居なかった。ランチタイムに居ないからと云って問題がある訳では無い。食べたく無い奴は食堂に来なくとも良い。強制的な規則は無く、自力で立てない程危なくなった場合は医務班が動く。
「ルカ。」
「何?」
スプーンを咥えた侭ルカは大きな目を寄越し、口をもごつかせた。
「ヘンリー知らないか?」
スプーンの上には何も乗って居ないのにルカは咥え続け、知らないと云った。
「ヘンリーなら図書室に居たぜ。」
テーブルに足を置き、前後に椅子を揺らすブラッドがスプーンを振り回し乍ら云った。
「図書室?」
「嗚呼。ほら、彼奴。名前何だった、ルカ。」
「誰?」
「ダークヘアの、彼奴だよ。やたら長身の、ほらっ」
此処迄名前が来ている、と喉元を掻き、結局ブラッドは思い出さ無かった。ダークヘアの長身は、此の施設、何処を見ても居る。俺だってそうだ。
「………グレン?」
「そうっ、グレン。やたら奇麗な顔してやがるから、グレンダってヘンリーがからかってた。」
ブラッドの記憶力の悪さも流石だが、ルカの記憶力には脱帽する。
ルカは、一度見た物聞いた物、絶対に忘れない能力がある。記憶力が良い、のでは無く、彼はサヴァン症候群だ。口調がやたら幼いのは薬の所為と云うよりは此の理由が正しい。
「何でグレンと一緒に居るんだ?」
棟も違ければ、此処での場所も豪く離れて居る。一度位面識はあるだろうが、ヘンリーの口からグレンの名前は聞いた事無かったので驚いた。
ブラッドはスプーンをテーブルに投げ捨て、鼻で笑った。
「フ**クの最中だろうよ。」
深く意味を知らない筈のルカは楽しそうに手を叩き喜んだが、俺はブラッドを嗜めた。
「ブラッド、ルカの前でそんな言葉を使うな。日常的に使う大人になったら如何する。今現に、意味の判らない其の言葉を聞いただけで、見ろ。如何してくれるんだ。」
「へいへい。なら、愛し合ってる最中ですよ、管理官殿。」
「愛し合うって?」
「フ**クの事。」
「ブラッドっ」
居ないなら居ないで良いかと溜息を吐いた。其れよりもブラッドがルカに教える汚い言葉を止める方が俺には大変だった。
丁度、ルカとブラッドの真ん中に位置する場所、ヘンリーが座った時背中合わせになる席に座る奴がゆっくりと首を回し、今の話は本当?、そう恨みったらしく吐いた。
「何だ、御前居たのか。早く消えろ。」
「居るよ、毎日居るよ。」
「如何したアルフォート。」
何時も機嫌悪そうな顔を晒し、ダークヘアを肩迄伸ばす此の男。他人の髪を切ったり、物を隠したり盗んだり、問題ばかり起こす、ブラッドに並ぶ問題児だ。ブラッドとアルフォートの仲は非常に険悪で、仲裁をするヘンリーが居ない今、殴り合いになるだろうなとルカを知れず立たせた。
「ルカ、食器を戻したらヘンリーを呼んで来てくれるか?」
「良いよ。」
「良い子だな、連れて来てくれたら御菓子をあげる。」
頬に沿って伸びるブロンドを頬と一緒に撫で、数回優しく叩いた。
「急いでな。」
「判ったっ」
ルカの身体にはバランス悪いトレーをがちゃがちゃ鳴らし、捨てる様に置くと兎の様に飛んで行った。
「だから今の話は本当かって聞いてるんだ。」
喧嘩を見たいが為なのかは知らないが、アルフォートとブラッドが話し出すと周りは静かになる。全く音の無くなった場所で、アルフォートの声だけ響いた。二人を見る周りの目は何時も加虐色に揺れて居る。俺達だけ疲労を見せる。
「止めろ、アルフォート。」
「あんたは黙ってな。」
咥えていた煙草を床に投げ捨て、踏み潰した。無言で拾い上げ様としゃがんだ時、視界に黒い素早い何かが映った。其れがアルフォートの靴と判ったのは、俺が吹っ飛んだから。全身に痛みが走り、最も痛いのは蹴られた鼻では無く思い切りテーブルに打ち付けた背骨だ。
「嗚呼っ、最悪だっ」
「キースっ、大丈夫か?」
鼻に血の匂いが抜け、星が散って居る。とてもrightな状況では無い。
「アルフォートっ、何考えてるんだっ」
「別に、腹が立ったから。」
「だからって行き成り蹴り上げる奴が居るかっ」
アルフォートは善悪の判別が出来無い反社会性人格障害、通称サイコパス。だから俺達が幾ら正論を云おうが通用しない。
此処は更生施設と云うよりは、mental hospitalみたいだ。此奴等も俺達も頭がおかしい。crazyな奴がcrazyな奴を監視している。
「ブラッドが悪いんだ。変な事云うから。」
「何云ったよ。」
「グレンとヘンリーがファックしてるって。」
「事実だろうが。…嗚呼。」
ブラッドの不気味な顔は一層皺を作り、紫煙を上げた。
「御前とも、ファックしてたな。気持悪ぃホモ共。」
「ともじゃない。ヘンリーは俺だけ。」
「あそ。じゃあ、そう思ってれば。サイコパス。」
アルフォートの目が見開き、反対にブラッドの目は細まった。アルフォートはサイコパスの癖にサイコパスと呼ばれるのが大嫌いだ。
ブラッドの身体が飛び、見事に俺の上に落ちて来た。もう最悪だ。
「Oh my god...!」
内臓が出そうだ。其れで無くとも鼻血が出て大変であるのに。
「Som of a b***h!」
今度はアルフォートがテーブルに吹っ飛び、食器が悲鳴と共に乱雑した。
「良くも殴りやがったな、サイコパスっ」
殴り合う音と悲鳴が重なる。慌ただしく白衣が揺らぎ、二人は無理矢理引き剥がされたが、蹴り合っていた。頑丈に作られた重いテーブルが動く程の力で、自分の顔を想像したらぞっとした。
空の注射器が足元に落ち、足が竦んだ。俺は、先端恐怖症だ。靴先で其れを見えない処に飛ばしたが心臓は未だバクバク鳴っていた。
「何やってんの?」
真後ろでヘンリーの声が聞こえ、其の横にはルカを抱いたグレンが居た。
「サイコパスが暴れてる。」
「サイコパスが暴れるのは何時もだろう。」
誰の所為でサイコパスが暴れていると思っているのか、当然知らないヘンリー達はルカを擽って遊んで居た。
「ヘンリーっ」
歪んだ顔のアルフォートは泣きそうな声でヘンリーを呼んだ。
「…………何?」
「ヘンリーは、俺を愛してるよね…?」
笑っていた目は一瞬で興味無さそうに濁り、数回頷いた。
「好きだよ。」
likeと、はっきり云った。
鎮静剤でか絶望でかアルフォートは放心し、ずるりと床に座り込んだ。
「グレンは…?」
「好きだよ。」
「ルカは…?」
「勿論、大好きだよ。ルカは可愛いからね。此の可愛い天使さんっ」
云ってヘンリーはルカを擽り、状況が理解出来て居ないルカの笑い声が不釣り合いに響いた。ブラッドの名前が出ないのには笑えたが、笑える状況では無い。憤慨したヘンリーにアルフォートは吹っ飛ばされた。アルフォートが吹っ飛ぶ前に、グレンが床に頭を打ち付けた。
其れはスローモーションで見えた一瞬で、誰も止められ無かった。
アルフォートの腕が伸び、其れを掴み押さえ様と無数の腕が伸びた。ヘンリーを横切り、其の侭グレンの目の前に伸び、真下にあるルカの髪を鷲掴んだ。アルフォートが床に叩き落とそうとする力と医師達が引く力でルカは頭から床に向かった。其れをグレンが身体を反転させ、自らの頭を打ち付け回避した。行き成り髪を引かれた痛さと、グレンが床に頭を打ち付けた不可解さに恐怖を知ったルカは赤ん坊の様に泣き出した。其処迄ははっきり見えたのだが、如何やってアルフォートが吹っ飛んだのかは判らない。アルフォートが吹っ飛んだ瞬間、泣きそうなヘンリーの声がした。
「ルカっ、ルカっ。可哀相に、怖かっただろう。」
「ルカ、大丈夫?何処も打って無いわね?」
ルカの心配より、グレンは自分の頭を心配をした方が良い。打った事もそうだが、其の口調と女装癖を治すべきだ。
俺は同性愛者だが、此の、女の格好をし女言葉を話す特殊な人間が嫌いである。女装して無いと死ぬ、とグレンは云うが、だったら死んだ方が良いと思う程嫌いだ。
本当に俺は、女が嫌いだ。死ぬ程、殺したい程。
やっとルカは泣き止み、俺の痛い背中に張り付くと、ヘンリー呼んで来たから御菓子頂戴、と当然約束を忘れて居なかった。
「隔離決定だな、サイコパス。二度と面見せんなよ。」
同じく医師達に雁字搦めにされて居るブラッドは鼻で笑い、もう殴らないから離せと医師達を睨み付けた。
「ブラッドを離せ。」
ブラッド自身が云う様に、ブラッドはもう誰も殴らない。普段から、確かに女達にセクハラしたりと問題児だが、ブラッドは誰かに暴力を加えない。加える時は今の様に、やり返す時だけだ。
俺の声にブラッドは解放され、其の前にアルフォートが食堂から隔離された。
「蹴られた割には奇麗だな。」
「鼻より背中が痛い。ルカ、離れてくれないか?」
「嫌。」
ルカ曰く、俺の背中が一番張り付き易いらしいのだ。不安定になった時、何時もこうして張り付いて居る。何でも、大好きなテディベアに似ているとかいないとか。
驚いた事に、此の騒動は三十分も無かった。
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