愛故に U


「ねえ、クラーク。」
「はい、何で御座居ましょう。」
夕食の用意をするクラークの横に俺は立ち、皿から摘み食いをした。俺の立ち位置は、凄く邪魔と思うが、気にせず其処に立って居た。ダイニングテーブルがあるのだから、其処の椅子に座って居れば良い話だが、クラークの邪魔をしたかった。マットはシャギィと、リビングで遊んで居る。
「執事って、料理もするの。」
「いいえ?料理は料理人が致しますよ。」
「でも、君、してるじゃないか。」
動いて居た包丁は止まり、怪訝な顔をクラークは向けた。
「私は、執事では無いですよ?家政夫です。」
「執事と使用人頭って違うの?」
唖然とクラークは俺を眺め、信じられないと云った顔で首を振った。
「私とバッカスさんを、同じに為さるとは…」
「バッカスさんは執事だよね、其れは知ってる。」
「私は使用人頭です。執事には、教養と主人の信頼が必要とされるのです。金銭の管理をしますので。使用人頭に指示を出すのが、執事、詰まりはバッカスさんに為ります。」
主人、執事、使用人頭、使用人、其の順位と云う。犬達で例えるのなら、主人は俺。執事はヴィヴィアン、使用人頭はテイラー、リスキー、キングに位置付けられるらしい。
主人の命令を逸早く耳に入れるのが執事、其の命令を使用人に知らせる為に使用人頭に伝える。そして使用人頭が振り分けをし、使用人に伝える。
聞いて俺は思った。
「面倒臭い…」
「其の点、今の私の家政夫は、非常に楽です。一人で全てをしますので。」
聞いて於き乍ら、俺は興味関心の無い頷きをした。
俺は何も、意味無く邪魔な場所に立って居る訳では無い。聞きたい事があった。
「所でねえ…クラーク。」
「はい。」
「俺の、珈琲カップを割ったのは貴方?」
サラダを作る為にレタスを千切って居たクラーク。ぐしゃりと、繊維が折れた音を聞いた。見開いた目で俺を見、血の気を引かす。
「いいえ…」
「マットかと思ったけど、マットは在の棚に触らない。」
触れない。余程背伸びをしない限り、在の一番上の棚の扉を開ける事は出来無い。第一、マットは食器類に興味を示した事は無く、触らないで、と家に来た時注意した切り、其の棚に何があるのかさえ完全に忘れて居る。
キースは、ティカップ集めが趣味。其の趣味の棚は俺でも触らせて貰えず、マットが来てからは鍵迄ある。御負けに珈琲に興味無く、俺もそうそう珈琲は飲まない。依って、在の珈琲カップに等端から興味示さない。
「貴方、触った…?」
「いいえ…」
「なら、何で割れてるの?」
云って、珈琲カップの残骸が入る袋をクラークの目の前、俎板の上に落とした。陶器の擦れ合う音、今のクラークには爆撃音みたいだろう。
「申し訳…御座居ません…。私の注意指導不足に御座居ます…」
「日本製。判る?大事な人から、俺だと思って持って居てくれって云われたカップ何だよっ」
紅茶が一般的な英吉利では珈琲カップは珍しく、何処探しても同じ物は無い。あったとしても、ミスターは使って居ない。俺でも使わず、一番上の棚に置いて居た。
「其れを、クラーク。割れた事にも気付かないのか。」
クラークで無ければシャギィ。大方、磨いて居たのだろう。其れに文句は無い。主人の物を大事に扱う、中将とて同じ事をする。
「下の奴の行動すら、君は知らないのか。」
此れに腹が立った。
何十、何百人も居るなら判る。けれどたった一人の行動予測さえ出来無い。毎日棚を見る癖に、何故判らない。
「シャギィを呼んで。」
「…仰せの侭に。」
丸で自分の事の様にクラークは蒼白し、リビングに居るシャギィを呼びに消えた。程無くして、クラーク以上に顔面を蒼白させたシャギィが現れ、仏頂面の俺に最敬礼した。
「申し訳御座居ませんっ」
「謝罪は良い。如何してくれるの。」
「其れは…」
「大体、何時割ったの。」
「今日…に御座居ます…」
「クラーク。」
「はい…」
主人の物を破損し、其れを主人本人に伝えず破棄する様指導を受けて居るのかと咎めた。
「いいえ。御伝えは、必ず。現物を提示し、事情状況に依って、処罰が変わりますので…」
「報告を受けて居ないのに、捨てられてたんだけど。」
塵取りの中身を捨てる様に、剥き出しの侭捨てられて居た。其れを見た時の俺の気持と云ったら無い。毎日其のカップに俺は珈琲を注いで居た。彼等がする様に。そして其れを口に運び、薄く笑う顔。
「カップが割れた事に、傷付いてる訳じゃない…。割った事を怒ってる訳でも無い。」
沢山の思い出が、ゴミみたく捨てられた事に、酷い悲しみがあった。割れたなら割れたで構わない。ミスターが帰国した様に酷く悲しいだけで、思い出は確かにあるから。
「何で一言、云ってくれないんだ…」
悲しみが深過ぎて、混乱する自分が居る。茫然自失な混乱の中で海の匂いを知った。蒼白する二人に、俎板を見た侭立ち尽くす俺。勝手口から帰宅したキースが“I'm home”と云うのを忘れたのは、当然かも知れない。血相変えダイニングに向かったシャギィが何時迄経っても戻らない事にマットは不安を覚え覗きに来たが、キースに追い払う仕草をされた。
「シャギィ…?」
「マット、向こうに行って居為さい。」
「ダッド…?何時帰ってたの?御帰り。」
「嗚呼、只今。」
「ねえ、御腹空いた…」
其の言葉にクラークは小さく声を出し、作り笑いをマットに向けた。適当に食事を皿に盛り、此れで少し辛抱を、そう云い一緒にリビングに向かった。
クラークの方針に、絶対にマットを一人で食事させない事、がある。行儀躾指導云々では無く、今迄の家庭環境を考慮し一番大事な食事の時に必ず愛情を注ぐ為である。
「ねえ、如何したの?」
「いいえ?何も御座居ませんよ?」
「でも、ダンが。」
泣きそうな顔をしてる。
マットの其の言葉にシャギィは事の重大さに気付き、力無くし床に座り込むと俺に縋り付いた。
「御免…、御免…ヘンリー…。俺…」
「謝らないでよ、余計虚しくなる…」
事情の判らないキースは、食べ終わる迄マットの傍に居るクラークの元に事を聞きに行った。荒々しい足音、荒く開くドアー、瞬間シャギィはキースに殴り付けられた。反発もせず言葉無く床に伸びるシャギィの胸倉を掴み上げ、何度も揺さ振る。
「御前、自分が何したか判ってるのか?」
「判ってる…」
普段の俺ならキースを止めに入ったであろうが、今の俺には俎板を見る事しか出来ず居た。
キースみたくシャギィに怒りを見せれたらどれ程良いか。
客観視し過ぎて、他人事に思える。悲しさしか無く、不行き届きなクラークへの怒りはあれど、シャギィへの怒りは皆無であった。
「俺はクラークに伝えた、だから御前にも伝わってる筈だ。絶対に在のカップには触るなと。」
「触って、ない。」
「でも割れた。結果は同じだ。」
「御免…」
「在れはな、ヘンリーの大事な物だったんだ。俺でさえ触らない、触ったらいけない物だったんだ。割っただけなら未だしも、無断で捨てただと?其れが御前、ヘンリーをどれだけ傷付けたと思ってるんだよ。御前はカップを捨てたんじゃない、ヘンリーの大事な思いを捨てたんだよ。」
泣く位なら何とか云えと、シャギィは責められて居た。そんな時でも俺は、微塵も同情しなかった。
「もう良いよ。」
「ヘンリー…」
「もう良いよ、キース。有難う。」
唯々俺は、キースへの愛情を持った。本来なら、俺がシャギィに云わないといけないといけない言葉だった。なのに代わりにキースが云った。怒りさえ忘れ悲しむ俺の代わりに。
何て憎たらしいんだ。格好良過ぎるよ、君は。
「俺は大丈夫。キースの手が腫れる方が嫌。」
俺の傷付いた心の様に、キースの手は赤くなる。そんな手を、自分自身の心を、後ろから抱き締め、握った。
「キース、キース…。もう良いよ…」
後ろから抱き締められ薄く笑うキースの顔、俺達の仲を見せ付けられたシャギィは、血の滲む唇を知れず噛んだ。




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