ジキルとハイドと海と空


軍艦の上では就寝時、着替える事を知った。ハロルド達陸軍は遠征中、風呂には入るもの、シャツだけを新しいのと替え、其の侭軍服を着て居た。遠征先で無いのだし、香港から引き上げた時の荷物もハロルドにはある。寝巻はあるのだが提供された寝床にあり、取りに行くのも面倒臭い為、渡されたキースのシャツを着た。
ハロルドとキース、身長は五インチ程違うのだが、体格が似て居る為不自然は無い。
其れを見たキースは、又思い出した。
しっかりと床に乗る足、張った肩、動かす度に筋肉の収縮を見せる腕、ハロルドの姿に無駄は一切見当たら無かった。此れが在の、瞳孔開き怪しく炯々と窪んだ目を揺らし、支離滅裂な事を暴力に任せ喚き倒し、ありとあらゆる存在に唾を吐き掛け、皮と骨で動く筋肉等無いに等しい奴だったのかと、不思議を知る。
髪もそう。枯れ草同然の髪であったのに、今では其の柔らかさを光沢に乗せて居る。拓也が、ヘンリーの髪は芒みたいだと云うのも頷けた。
常に進化し続けるハロルド。其の姿はまさに、萌える薔薇であり、多様な姿を見せる月であった。
厚みのある、柔らかさとは決して無縁の腰にキースは腕を回し、優しく抱き締めた。
「なあに?」
優しく返答する声も、てめぇ等全員死んじまえ、天使は俺にキスしてよ、けどてめぇ等ファッキンマザーファッカー(糞垂れな陛下の犬共)はケツにしな、と悪態吐いた声とは全く違う。ハロルドに悪態吐いた記憶は余り無いが、キースははっきりと記憶し、思わず笑いが出た。
「何?」
「姿だけじゃなくて、声も変わるんだなって。」
「何の話?」
「施設に居た御前を思い出しただけ。」
繰り返し聞かされたハロルドの悪態をキースは繰り返し、そんな事は云って無いとハロルドは反論した。其の声は普通に、くたばれマザーファッカーの声と同じであった。
キースには衝撃であったのだ。汚い言葉を喚き散らす人間が存在する事に。ハロルドは群を抜いて汚い言葉を知り、そして喚いた。
「育ち、なのか…?」
ハロルド一人ならそうは思わないが、違う。正常な思考であるにも関わらず、ハロルドから絶句を貰い、母親からもヤンキーと呼ばれ、ハロルド以上に悪態吐く弟、アルバートが居た。
「済みませんね、教養無くて。執事をも従え、城に御住まいに為られて居た何処ぞのキース様とは違うんですよ。口の悪さは母さん譲りだよっ、悪かったなっ。」
汚い言葉は全て母親に教えて貰ったと続け、写真でしか見た事無いが、父親は嘸困ったに違い無い。不憫に感じた。
おっとりとした、争いを全く好まない雰囲気。其れを受け継いだのが末のウィルフレッドだけとは、リンダの遺伝子の強烈さを知る。其の強さは空気感染でもするのか、見事マシューに遺伝した。けれど其処にはキースが存在する。在のベイリー家の格式を見事植え付けたのだ。バッカスに叩き込まれたクラークが。
ハロルドが施設で“ジキル博士とハイド氏”と呼ばれた様に、マシューは第二の其れと為った。
なのでマシューは、何方かと云うとハロルド似であり、キースに似て居る所と云えば、ハロルドを愛して居る所位である。
息子と云うのは所詮、“ママ”に似るのだ。
こんなにも昔を思い出のは、沢山の事が起きたから。生きているのが不思議、何時死んでもおかしく無い状況。こうして又互いの体温を教え合える事が、倖せだった。
「アルバートの事、御免な…?」
ハロルドが英吉利を発った理由の一つに、弟の死がある。余りにもショックが大きく、心が追い付かず居た。そんな切羽詰まった状況で、昔の恋人が目の前に現れた。
失った弟と失った夢を、ハロルドは不覚にも重ねてしまい、駄目に為る自分をはっきりと感じた。
遣る事も考える事もあり過ぎる。なのに自分の身体は思い通りに動いては呉れ無い。ノイローゼ寸前だった。幾ら英吉利から逃げても変わらないのは判って居た。けれどハロルドには、逃げるしか他無かった。自分を殺し、英吉利に居れば、壊れるのはハロルド自身では無い。正確な判断力を失った先にあるのは、崩壊した英吉利の姿。敗戦国と烙印押された、母国の姿。元帥が変わり、衰退してゆく帝國軍を見て居たからこそ、強烈な確信をハロルドは知る。帝國軍を援護する、又香港を統率すると云う名目で、ハロルドは逃げた。
「良いよ、アルも本望だろうし。其れよりも、一人にして御免ね?キース。」
「寂しかったぞ。」
「俺もだよ。」
重なる手は何方が誘う訳でも無く力が篭り、自然と顔は近付いた。ゆっくりと視線を重ね、力を込め、同時に瞼を閉じると唇は重なった。吸い合って居ただけのキスは舌先を吸い合い、きちんと身体を向け合った時には唾液で口元が濡れて居た。
「御出でハニー…、一年分の愛をあげる…」
「嗚呼、呉れ…、沢山…。息が出来無く為る迄…。御前で埋めて呉れ…」
服が煩わしいと感じた。一秒でも早く、其の体温を直で感じたい。二人は同じ事を考え、互いの服を脱がし乍ら、至る所にキスをした。仄かに香っていた石鹸は、一度濃く香ると以降全く匂わず、其れからしたのは汗の匂いだった。手に感じる体温が熱く感じる度、眩暈を知った。
「キースのフェロモンは、一年振りに知るもんじゃ無いね…、強烈…。くらくらして来た…」
「同じ言葉を返すよ…」
チープなベッドは、チープな音を出し、二人には其の音が何か判らなかった。古い床を歩く様な或いはビニールが鳴る様なぎちぎちとした音で、其れがベッドからして居るとは考えもしなかった。聞かせ合う息遣いの前では、忘れ去られた。




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