清涼求めて


「十分の、遅刻です、八雲君…」
「はあ…、申し訳ありません…」
来た早々、御前より薄情で冷徹な能面は無いんじゃ無かろうかと云う加納に厭味云われた。
「暑い…、暑いです、八雲君…」
「はあ…」
八雲の所為で暑い訳では無い。八雲で気温が調整出来るなら、後十五度は下げる。
然し何だ、此の能面は、等々頭が茹だったのか。
「何を、元帥…」
「暑いのですよ…、ワタクシ…」
「いえ其れは、もう。見た侭…」
「壁、冷たい…。良かった、コンクリートに改装して於いて…。柊二号の予算を全て此の部屋に注ぎ込んだ甲斐があった…」
何をして居るか、加納は軍服の上着を椅子に掛け、冷たいと云う理由で壁にへばり付いて居た。そんな奇妙な格好を晒して於いて良く厭味が云える。
「冷たいん、ですか…?」
「ひゃっこい…」
「……私も、して良いですか…?」
此処迄能面を破顔さすとは、侮り難し白壁。
「離れて為さい、横でされると暑いです。」
「上着、脱いで良いですか?」
「全裸以外なら何でも。嗚呼、冷たい…」
成程、加納の云う通り壁は冷たい。思わず声を漏らすと「気持悪い声を出すな」と背中が凍る程の声を貰った。
守宮みたく男二人で壁に張り付き、書類を持って来た中将は、目を合わせぬ様机に書類を置き、五分程同じ態勢をし、部屋を出た。
蝉の声だけが、二人に寄る。五分置きに二人は場所を移動し、机の傍に来た加納はちらちらと書類確認し、仕事を済ますと又壁に張り付いた。そうして八雲が机に寄ると其の書類を持ち、中将に届けた。
「靴が暑いんだろうか…」
一周した頃か、加納は呟いた。
加納の独り言は、語調が普段と違う。其の語調の侭で居れば周りも馴染み易いのに、と余計な節介を八雲は焼いたが、加納は敢えてそうして、周りを遮断して居る。
「馨…ぅ」
蝉より暑苦しい、加納の側近佐々木大和の声が響いた。暑さにばてて居た佐々木だが、二人の異様な姿にぎょっとし、はぁはぁ唸り乍ら口を開いた。
「おいこら能面。なしおいが、待機か。」
暑さか怒りか、普段から厳めしい佐々木の人相は暑苦しい程歪んで居る。
佐々木の不満に壁から身体を離し、「佐々木軍師」と眼鏡を外した。
「眼鏡が熱い…」
「知るかッ」
「貴方、側近。」
「無理矢理な。」
「元帥が居ないのに何故軍師が休暇を取るのです。」
「いや…、いや待てって。御前が待機すれば良い話や無いとか?」
ぎん、と切れ長の目が佐々木を捉え、八雲が何故か凍り付いた。
「ワタクシは、絶対。ワタクシが休めないなら休暇等要らない。依ってワタクシは休みます。」
「二週間後、こん部屋が、おいの部屋に為っとうかもな。」
加納の比で無い佐々木の二の腕の太さ、流石は長年水兵達を見て来ただけはある。そうして加納以上に貧相な腕か、八雲の腕は。
「其の時は…」
シャツで眼鏡を拭き、掛け直した加納は、佐々木の腕にある紐を外し、髪を結んだ。
「自分の船の、碇に為る覚悟はあるとか?」
「嗚呼、そう来る。職権乱用。」
「今更やろうもん。」
「八雲ぉ、如何思う?こん能面。一回死んだら良っちゃ無いとかいな。休暇先で死ね。死なんのならおいが殺す。」
「ふん。」
行き成り振られ、固まる八雲を無視し、加納はソファに座った。
「一度は死に掛けた。ソ連の大砲でな。けれど…こうして今でも此処に居る。大和如きに、果たして殺せるでしょうか、海の修羅を…。今や今やと、楽しみにしとっちゃけどねぇ。ねえ…?八雲君。佐々木大和は口だけの男、ふふん。」
「八雲、おいに加勢しちゃらんね。軍籍抜いたるばい。」
じ…っと加納が靴のファスナーを下ろした音がした。ごとりと床に転がり、其の不吉な音に八雲は笑うしか無かった。
此の二人が揃うと、夏でも涼しい。充分な清涼に為る。
「大和。」
「何ね。」
背凭れに片腕、足をテーブルに乗せた加納は誰を見る事も無く、息を吐いた。
「八雲君を誑かすのは、御止め為さい。」
「誑かす?権力駆使するどっかの誰かさんよりは、マシっちゃない?」
がしゃん、と佐々木の横にカップが飛んだ。
「嗚呼、気高き白のボーンチャイナ。まさに骨…」
「エインズレイ…?御免。」
「御馬鹿さん、ボーンチャイナと云えばスポードでしょう。貴方と話すと、必ずカップが一客駄目に為る。」
「英吉利は制覇した…?」
「ええ、遠の昔に。十代の頃に、ね。」
額に、冷や汗が滲む。如何か私の事は此の侭壁と見做してと願う八雲だが、そうは加納が許さない。もうたっぷり充分清涼は出来た。此れ以上寒さを知ると、凍死して仕舞う。
「八雲君。」
「はい…」
「其処のゴミを片し為さい。」
「ええと…、骨…ですか?」
「遺骨にして差し上げましょうか、大和。」
「其れでカップにして呉れる?」
「ええ…。そして永劫に、ワタクシを喜ばすのですよ、大和…」
「Aye-aye Sir...」
敬礼とも取れない挨拶噛まし、佐々木はドアーに向かった。唇迄真っ青にし壁にへばり付く八雲をじっと見、くつくつ笑う。
「涼しく為った?」
「ええ…もう…、心迄…」
「御苦労大和、又二週間後。男爵と御夫人に宜しく。」
「八雲からかうのちかっぱ楽しい。さ、帰ろ、軽井沢が待っとう。」
謀られた。
能面と参謀に、謀られた。
壁が、物凄く、冷たいです。




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