猟奇的遊戯


好い加減酷い、と聖人ぶった教諭が家に連絡を入れた。親父は項垂れ、然し御袋は怒りも悲哀も見せなかった。
「八雲、なあ八雲…、頼むしほんま…、一寸、一寸でええねん、大人しくしてんか…?」
親父は云う。
「大人しいやんけ。姉貴に云え、騒々しいねん、足音。ブぅス。」
「そら、家では居てんのか居てないのか判らん程静かやけどもな…」
「八雲ちゃん。」
御袋が、蛙に似た口を開く。
「何やねん。」
「蛙絶滅したら如何すんのあんた。」
「別にええんちゃう。」
「蛙てな、案外大事よ。他のモンで遊び為さいよ。」
「ゆうてもわい、蛇ちゃん嫌いやもの。蛇か蛙かしか居てないやないか、此処。」
「蝉も居てるでしょう。蚯蚓はあかん。」
「彼奴等捕まえんのめんどいねん。シシ引っ掛けよるしやな。蚯蚓とか鱗の無い蛇やないか、気色の悪い。」
「一寸多津子さん黙ってて…」
多津子とは此れ、御袋の名。御袋の思考に何時も付いて行けない親父は、額を掻き乍ら上目で見た。
年は親父の方が上だが、始めから権力は御袋の方が上、並びに、長兄の事もあるので下に下に…親父は諂う。
「磯山はんんトコ、謙太。在の子、気ぃ弱いんよ?知ってるやろ?」
「やからなんやねん。謙太には何もして無いがな、するか、阿呆か。親友やぞ。」
「最近、蛙の鳴き声聞いただけで引き付け起こすて、御袋はんから苦情来てんねん…」
其れは悪い事をした。ずっと一緒に居た謙太。とんでもなく悪い事をした気分に為り、黙って仕舞った。
「下級生も可哀相やろ、蛙とか。」
「反抗すんのが悪い。」
「何で追い掛けんの。」
「其処におるから。」
親父は唸り、又額を掻く。
「頼むし、大人しくしてんか…」
「せやけどお父ちゃん。」
「何です多津子さん…」
「弱いモン虐めしてる訳ちゃうし、元気でええんちゃうの。」
「下級生虐めんのは弱いモン虐めですがな。」
「ちゃうくて、前は上級生と殴り合いしてたやろ、わては其れゆうてんの。」
そう、今でこそ下級生に蛙の洗礼をさす私だが、つい最近迄、上級生と殴り合いをして居た。其奴等が卒業し、鬱憤が発散出来無いのだ。だから仕方無し、下級生を相手にする。
上級生との此れも無意味な暴力では無く、何と云うか、理解され難いのだが、遊びである。周りから見たら唯の喧嘩だが。
おおこら斎藤出て来んかい、が「御早う八雲ちゃん」で、やったろやないか、が「御早う先輩」で、喧嘩が始まる。上級生が行き成り教室に現れ、叫ぶ、其れに私が机蹴飛ばし乍ら威嚇し、机やら何やらがぐちゃぐちゃに為り、窓硝子に頭を突っ込ませたりする。御蔭で冬は二三日寒い日が続く。
学校は男女一緒だが、クラスは男女別に為って居る。だから怯える女生徒は居ない。存分に殴り合う。光大も加勢したりとで、朝から賑やかだ。何や松本未だ生きてたんか、早よ死ね、は「やあ君も居たんだね?会えて嬉しいよ」。謙太はとばっちりで、何やこら秀才、教科書食え教科書、は「今日も勉学に励み給えよ」。
向こうも向こうで遊びだから、謙太には絶対手は出さない。喧嘩の仕方が判らないのもあるし、何と云っても弱者だ。ひ弱だ。胸倉掴もうものなら、すんまへんを連呼し、鼻水垂らす。
上級生とはそんな関係で良かったが、一度、私の態度が本当に気に食わないと云う理由で謙太が被害を受けた。此れは、何時もの上級生集団では無く、そんな上級生に良い思いしない又別の上級生集団だ。上級生と共に殴り込みに行ったのは良い思い出、青春だ。
――八雲が気に食わんのやったら、八雲拉致らんかい
――弱いモン虐めしてええと思てんのか
――女より酷いわ、玉無し、男のする事ちゃうわ
――謙太に何すんねん、こら、謙太関係無いやないか
――謙太拉致るなら、わしを拉致らんかい、カマ臭いなぁ
此方が三人なので、向こう上級生も常に三人だった。然し謙太は五人組に拉致されたので、大概卑劣である。五人だったが私一人で充分仕返しは出来た。先ず喧嘩の仕方が判らない輩で、一番強そうな奴を馬乗りで滅多矢鱈に殴り付けると、四人は黙った。逃げ様とはして居たが、上級生と光大が通せん坊をした。
――わいは八倍で返す、一時間殴られたら八時間殴り返す
――何で八倍?
――八雲やからちゃう?
――嗚呼そうか
――空、奇麗なぁ
謙太が何分殴られたかは知らないが、姉貴に良く似た風貌に為った所で蛙を顔面に擦り付けた。丁度良い所に居たんだ、雨蛙が。
――洗礼やあ、洗礼
――八雲の洗礼やあ
――有難いなあ
――俺拝んどくし
――ぐっちゃぐちゃ、蛙ぐっちゃぐちゃ
取り分け上級生達は、蛙の洗礼が気に入りだった。名残で蛙の串刺し振り回し、下級生と遊んで居る。
上級生と問題ばかり起こして居た私だが、教師から連絡が来たのは一度も無い、今回が初めてである。
下級生が弱いから悪い、全く弱いモン虐めだ。蛙を擦り付けられたら蛇で応戦する様な根性ある下級生なら問題無い。教師とて、骨あるなあ、で済む。
「何で喧嘩すんの、八雲。」
「苛々するから。」
「何で苛々すんの。」
「在のブスや、ブス。ブスの存在が苛々する。」
「姉ちゃんやろ、我慢しい。」
「ブぅス、ブス。醜女妖怪ッ」
「誰がブスやッ」
監視役の三女が行き成り襖を開け、背中を蹴飛ばして来た。
「己じゃッ、鏡見て来いや、ブスッ」
痩けた浅黒い足が、何度も何度も背中に伸びる。
「こら、止め為さい、男の子蹴ったらあかんて。あかんて、こら、美佐子ッ」
「美佐子ぉ、はんッ、何が美佐子やねん、一個も美しく無いやないかッ」
「好きで美佐子ちゃうねんッ」
「ブス子ブス子ビスコッ、長女はブスなんて形容出来ひん程のブぅス。」
「嗚呼ッ?何やて八雲ぉッ」
三女と二女なら未だ平気だが、私は未だ長女が怖くて堪らない。姿を見た瞬間金縛りに遭い、顔面が痙攣した。
「すんまへんすんまへん、御免為さいッ、ブスゆうてすんまへんッ」
何を如何遣ったら長女に勝てるのか、顔面に蛙擦り付けても鍋で殴り返して来る女だ。二女三女は一度私に殴られたので、力の差を知ったのだが、長女だけは如何し様も無い。本気で殴り合った事もあるのだが、流石は妖怪三姉妹の長女、作りが違う。骨も根性も鋼で、勝てやしない。
三女は背中を蹴ったが、長女は腹をガンガン蹴り…蹴るなんて可愛い次元では無く、蹴り上げる。私の身体は蹴られる度浮くのだ。
「もっぺんゆえッ、おおこら八雲ッ」
「止め為さい、止め為さいッ。お父ちゃん止めてぇ。」
「御前がそんなやから、美佐子達が真似したんやろ、八雲がこんな性格に為ったんやろッ」
「誰がブスじゃ、嗚呼ッ?津雲と云い自分と云い、一寸顔がええからて調子乗ってんのか、嗚呼ッ?」
「乗ってないです、ほんま…、御免為さい、御免為さい…」
長女の憎悪は、並大抵では無い。私が何かをしたと云うアレは無いのだが、長女が云う様に一寸ばかし顔が良いだけに、幼少に受けた傷を思い出す。
津雲。
次男で、長女の下、二女三女の上。
此奴が又底無しに性格悪く、破壊的ナルシスト。姉貴達が鏡を見ると「良くそんな顔見て吐かないね」「僕なら躊躇い無く自殺する」と態々、其の美しい顔を鏡に映し後ろから云う。実際本当に美しいのだから長女は文句が云えない、二女三女は兄だから文句云えない。出っ歯をぐっと隠し、つやつやと笑う次男を見て居た。
長男は何も云わないが、根本的に顔の作りが違い、誰が如何見ても男前なのだ。しっかりとした面差しで、性格も次男と違い男らしい。取り分け長女は長男を頼りにし、「出雲ぉ、アタシてそんな酷いか…?」と聞いたりもした。其の時決まって長男は、決してブスとは云わないが、其れに近い事は云った。
――酷いとかは無いけど、好みが分かれる顔やなぁ
――なあなあ出雲、アタシ等兄弟や無かったら結婚出来た?
――え…?
――出来へん…?
――うーん…、俺、出るの多いしなぁ…、しょっちゅう一人にするし、自分、寂しがり屋やん?無理ちゃうかなぁ…
視線が泳いで居るの、はっきりと判った。そうして、「八雲、助けぇ」とちろちろ視線を貰った。
無理も無い、長男は面食いだ。長女等、兄弟で無ければ見たくないだろう。
親父の美男遺伝子最強也。
「嗚呼苛々する、八雲見てると津雲思い出すわッ」
在の男娼、と胃に強烈な蹴りを食らい、かっと食道が燃えた。吐き出しはしなかったが涎は溢れ返り、声も出なかった。
「光子、こら光子待ち為さいッ」
「うっさい、お母ちゃんが悪いッ」
今度は親子喧嘩に発展した。長女の態度は、御袋も手を焼いて居る。二言目には「お母ちゃんが悪い」「お母ちゃんが別嬪によぅ産んで呉れんかったからアタシが苦労する」と悪たれる。確かに一理あるが、何が何でも言い掛かりだ。
「八雲、八雲ほら、此れに涎吐き。」
空の湯呑みを親父は差し出し、其処に出した。
苛々する。
湯呑みに溜まる涎が苛々する。透明な液体の中に、白い泡があるのが苛々する。
「嗚呼…」
苛々する。
「苛々する…ッ」
親父から湯呑みを取り上げ、思い切り土間に向かって投げ捨てた。湯呑みの割れる音を、親父は聞かない振りをして、顔を逸らす。
「御休み。」
「うん…」
「湯呑み割って御免。」
「腹、大丈夫か?」
大丈夫な筈は無い、鈍痛が酷い。然し此処で親父に「大丈夫な訳あるか」と叫べば、私は長女と同じに為る。
足を止め、湯呑みを片付ける親父を見た。
「なあ、お父ちゃん。」
「何や?」
ほんま此の家、最悪やな。
心で呟いた。
其の一言が、何れだけ親父を傷付けるか知って居る。長女が全て御袋の所為にするより、次男の性格より、もっとずっと陰湿で破壊力を持つ。
「蛙は、あかんか?やっぱ。」
「ううん…蛙、なぁ…、俺は蛙嫌いやし…」
「ほんま?一緒な。」
「気持悪いもん、何の為に生きてるか、判らんもの…」
其の一言は、親父の本心、人生全てだった。
気持悪いもん、在の娘達。
何の為に生きてるか判らん、娘達も、自分も。
御袋は確かに余り良い顔では無い、無いが姉貴達よりかは人間だ。何の突然変異で、奇形に近い面構えに為ったのか。幾ら娘とは云え、親父も余り見様とはしない、長男が男前なだけ尚更、御袋の遺伝子に問題があるとしか思えない。
何も云わず廊下に出ると、妹を横に、二女が立って居た。長女と御袋の喧嘩は未だ続き、二階から声が聞こえる。
「何で姉貴怒らすねん。」
「うっさい、こっち見んな。ブスが移るやないか。婿の貰い手無ぅ為ったら、御前の所為やぞ。」
「八雲てほんま、顔しかええトコ無いなぁ。」
此の性格の悪さは、次男そっくりだ。
みしりと壁が動いた気がした。思い切り二女を突き飛ばし、壁にぶつけた。泣き虫の二女は案の定金切り声を上げ、横に居た妹はぽかんと私達を見上げた。
「八雲ぉ。」
「何。」
「家、壊れるがな。壊れたら建てられへんがな。金無いねん。」
「お父ちゃん、お父ちゃん八雲があ…ッ」
「嗚呼、うん。八雲な。八雲。八つの雲で八雲ちゃん。出雲、津雲、八雲…我乍ら大作や。ミクモも居たらええなぁ。津雲と八雲の間にミクモ欲しかったなぁ。」
親父は暢気で、娘に等関心は無い。
「今からミクモ作ったら?」
私も暢気である。二女はひぃひぃ喚いて居るが、気にも止められない。
親父は手を振る。
「あかんあかん、出雲津雲八雲三雲て、なんか悪い。八から三、減ったがな。」
「三の雲。嗚呼、三の雲で三雲か。魅力する雲で魅雲とか、どない?美しい雲とか。干支の巳の雲とか。」
「あー、あー…。嫌。八雲ちゃんが八やから三がええ。ほんで、何?八雲が何?」
漸く思い出して貰った二女は、此処ぞとばかりに叫ぶ。
「又殴ったッ、又アタシ殴ったぁ…ッ」
鼻水振り飛ばし、汚いブスだ。
「殴ってないがなッ、ブスに加え虚言癖持ってんのかッ、病院行け、序で顔も変えて貰えッ」
「律子が悪いんやろ…」
親父は、重たい声と暗い顔だけ教える。如何にも人生に疲れ切った中年の声だ。聞く私迄疲れる。
「ブスッ、ブスが全部悪いッ」
「何で何時もアタシなんッ」
嫌い嫌い、お父ちゃん何か嫌い。
二女はあんあん泣き喚き、部屋に戻った。始めから部屋から出無ければ良かったのだ。
触れる暖かさ。ぶすりと下膨れを膨らまし、眉間に皺寄せる妹が手を握った。
「眠いのん…」
時刻は十時、妹の就寝時間はとっくに過ぎて居る。
「嗚呼、そうな。ブスがうっさいからな。」
「お父ちゃん、ねんね…」
「はいな、ねんね。ねんねさんな。」
「ねんね…恭子ねんね…」
薄汚い縫いぐるみごと妹を抱き上げ、部屋に行った。未だ、長女の金切り声がする。頭が、ガンガンする。薄い壁の向こうから二女の鼻を啜る音がする。布団に寝かせた妹はしょぼしょぼと目を動かす。
「うっさいねん、ブスッ、恭子が寝られへんがなッ」
壁を殴ると矢張り揺れた。
「せやから家壊れるがな、八雲…。家殴るのだっきゃほんま止めてんか…」
「すんまへん…」
「多津子さん、多津子さあん、わしもう休むがな…」
親父の声が小さく為る。
ころんと寝た妹の髪を撫でた。
「ほんま、恭子だけや、恭子が救いや…」
薄汚い縫いぐるみを退かし、妹を抱き締め目を暝った。




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