そんな関係


二人の云って居る意味が、三分の一も判らなかった私は、機嫌良さそうに白虎をブラッシングする茜を眺めて居た。此れって屹度楽しい事、と云う様に、電話のベルが鳴った。全く我が家の電話ベルと云うのは、訃報でも楽しそうに“ルンルン”と鳴るから不思議。機関の電話は一方で、警報みたく“ジリリリリ”と鳴る。あかんあかん、あかん事や、と、吉報でも云う。
「ええ、わいが出る。」
「有難う。」
折角白虎が機嫌良く“ルンルン”と云って居るのだから、私と変わり、茜が電話に出る、と云う厄介は要らないだろう。
「はい。」
「松山です。」
素直に茜に出させれば良かった、結局変わる羽目に為った。
然し。
「嗚呼、ええです。変わらんと。」
「は?」
だったら何だ、何の為に電話をした。
「御嬢、元気ですか。」
「…も、メンドイ、変わるわ。元気です。」
「ほんなら良かった。八雲はんは?海軍辞めはったて聞きましたけど。」
「何で知ってんの…」
「八雲はんが辞めた次の日ぃ位かな、御嬢が電話して来ましてな。辞めたし、ずっと家居て呉れるかなぁ、て明るぅく云うたんで、一寸悪いかなぁ思たけど、八雲はん、一応本職持ってはりますやん、云うたら、嗚呼せや、せやったな、てやっぱりがっかりした声出しましたわ。」
己茜め、亭主の本職も覚えとらんとは何事か。
「せやから、御嬢如何してるかなぁて。」
「未だ二週間位しか経ってませんやん。」
「あ、正月、如何します?来ます?」
「行かん、絶対行かん。去年、最悪やったの忘れたんか。」
忘れろと云う方が間違い、去年の正月は最悪だった。久し振りに両親や親友、一番は恭子の顔でも見てやろうと田舎に帰ったのだが、長女のあのブス、新年早々私を憤慨させた。ブチ切れと云うかガン切れと云うか、本気で泣かして遣った。生まれて始めて長女に勝利したのだから、新年早々実に何と景気良いメデタイ話だが、妖怪の子供は所詮妖怪、此のガキが最高に腹が立った。
元から私は子供嫌いで、其の、嗚呼今思い出しただけでも八つ裂きにしたい、クソガキが、私の盲愛する恭子を泣かせたのだ。
十三歳の恭子が、一桁のクソガキに泣かされるのも、恭子にも問題あるが、なんせ恭子は、松山の盲愛を受け、又、夜叉引いてはあの極道全員が、我が組の宝の様に大事にし、此の七年余り生きて来たのだから、クソガキの仕打ちに泣き出した。
恭子の着物を、自分より奇麗だからと云う理由で汚したのだ。
何と云うか、汚された瞬間、親父より先に夜叉が「恭子、大丈夫や、奇麗為る、奇麗為るわ」と宥めた。其れで夜叉が又阿呆ですので「取れんかったら又誂えたる」と云ったもんだから、クソガキの火が吹いた。
鋏で、袂を切った。
此れには恭子も、着物が駄目に為ったと云うより、買って呉れた夜叉に申し訳無いと泣き出し、恭子の健気さに松山が本気でブチ切れ、夜叉もブチ切れて居たが、引き攣った笑顔で「遣って良い事と悪い事があるわな」「如何云う躾してんですかね」と長女とクソガキを眺めた。
恭子が泣き出した瞬間、松山が「此のクソガキ、もう我慢為らん、ブスが何を偉そうな」と咆哮し、私は無意識に張り手食らわせて居た。茜も凄い勢い、無表情で蹴飛ばした。夜叉が恭子を宥め、御袋が夜叉に必死に謝り、親父が長女を殴り付けた。わしが買うたモンちゃうねん、弁償出来るんか、と。
いや、全く違うぞ、親父。
そう云う行為を許す躾をして来た長女の失態を殴れ。
クソガキ、もまあまあ、まあ、腹は立つ、何より腹が立ったのは「あらー」と云った切りの、貴様、長女、御前だ妖怪。
一升瓶を頭から掛けて居た。
「御前、ほんま、如何云う躾してんねん、あ…?」
「何を…すんのよ…ッ」
蹴飛ばされた所に茜がおり、茜は蛙みたいな声で「内臓出た」と叫んだ。
「御前が、御前のクソガキが悪いんやろがッ、あ?ちゃうか?謝れや、恭子に謝れやッ、何を平然と泣いとんねん、おおこらクソガキが。」
子供を、まさか本気で殴るとは、私自身考えた事も無かった。脳震盪起こしたクソガキは白目向き、其れに長女が悲鳴を上げ、喧しいので、同じ力で殴り付けて遣った。
すると、何故だ、意味が判らん、長女が泣き出した。
「恭子ばっか、狡いがなぁ…ッ」
「何が、何がやねんッ、うっさい黙れや。」
又殴ると、煩いと松山も蹴飛ばした。
「何で恭子ばっか、昔からええ思いすんのよぉ…ッ」
膃肭臍が鳴いて居るみたく、長女の泣き声は酷い。其処に長男が、家族と一緒に現れた。
判るか、此の阿鼻叫喚が。
恭子は袂を切られ泣きじゃくり、クソガキは白目向き畳に倒れ、長女は「あたし家長やん」と発狂し、私と松山は怒鳴り散らし、夜叉は無言で怒り垂れ流し、茜は恭子を宥め、両親は夜叉に土下座して居る、其れが、たった十畳の居間で起きて居るのだから、長男も固まる。
「何で?何でなん?あたしが此の家を継ぐんよ?あたしの子供が偉いやろ、何で何時も恭子が一番に扱われんの?此の子が不備や無いのッ」
「嗚呼?何が?家長やったら何してもええんかッ?恭子の着物切ってもええんかッ、謝れぇ云うてんねん。何時迄伸びてんねん、クソガキ、起きろや、ほんで詫びろや。出来んのなら死ねや。」
「なあ母ちゃん、わし等ん事舐めてませんか?あのねぇ、由岐城の宝何ですよ、恭子嬢は。親御さんからちゃんっと許可貰ろて恭子嬢の面倒見てますのんよ。実質由岐城のモンなの、ええ思いして当然な方なの、其の価値あんの。御前んトコの不っ細工なクソガキとは雲泥の差ぁ、其れに手ぇ出してええと思てんのか。半端な気持で看板上げてんちゃうぞ、こら。」
私の怒りにも極道の恫喝にも、膃肭臍の鳴き声で応戦する長女だが、長男は義姉と頷き合い結果を見せた。そら、八歳の子供を殴り、数人で攻めたのは悪いが、最初に仕掛けたのはクソガキである。云い聞かせない長女が悪い。
「御前が悪いわ。誰が如何見てもな。」
長男の此の一言が長女を再起不能にした。
「ほれ見てみぃ、御前や無いかッ」
目に止まった重箱の蓋で腐った頭を殴り付け、ええ年こいた四十近い婆さんが蹲り泣いた。
そんな正月を去年送ったものだから、行きたく無い。悪友二人には是非とも会いたいが、長女に会いたくない方の気持が強い。
「一週間過ぎて宜しんでしたら、恭子嬢と松本はんと磯山はん連れて来ますよ。」
「ほんまですか?ほんなら来て下さいよ。」
「此の二人の名前、云い難いなぁ…」
「え?」
確かに、私もうっかり“松本”と松山を呼んで仕舞いそうである。
「何で両方、わしの名前付いてんねん…、分割すんな、わしを。そら二人おったら便利ええなあとは思うけどもやな。」
「三人、要るんちゃいます?」
一人は松山本人で仕事をして、分身一は恭子の面倒見て、分身二で茜の面倒を見る。何と便利良いか、増えて貰いたい。
松山はからから笑い、分身出来る迄修行して来る、と詰まらんが楽しい笑いを呉れた。修行して居る間に、分身三でも設置して於こうか。
「嗚呼そうか、分身に仕事させたらええんか。」
「アナタ何しますの。」
「そらぁ…」
女と遊ぶがな。
其処は分身には譲れん、と云う所。私は寧ろ、分身に其れをして貰いたい。然し所詮分身なので三ヶ月に一回だろうが。
「女、女、女が見たい…ッ」
「一杯居ますやん…」
「嗚呼、色気しか無い熟女落ちてないかなぁ…」
色気が全くない熟女ならわんさか居る。以外は小便臭いガキ。
ミディアムボディの何とも云えない中途半端なワインか、ライトボディの渋味も匂いも無い水みたいなワイン、もっと最悪なのはボジョレーのあの最高に薄い酸っぱい匂い無しの良く判らんワイン、松山は、濃厚な匂いと舌に残る渋味のフルボディが飲みたいのだ。ミディアムボディの中年女達は、フルボディに為る所か腐ったワインに為る。
「熟女ぉ、熟女は何処に居ますかぁ…」
引き合いにワインを出したのは理由がある。
夏彦氏同様、松山もワインが好きである。夏彦氏は白専門、松山は赤専門と違いはあるが、二人は同じ事を云った。ボジョレーを有り難がる理由が判らん、と。
ボジョレーとは、其の年に出来たワインだが、良作だからと、何故其の年に有り難がると二人は云う。
何年、何十年、其の時の味を見越しての“良作”なのに。
――ワインと女はおんなじ。小便臭い処女より、子供二三人捻り出して夫見送った位の女が、一番良い。一番奇麗な女は子供一人産んだ女やけどな――
二人の子持ちより、一人の子持ちが松山的には奇麗らしい。
二人だと手が掛かり過ぎ、自分を見れて居ない、一方で一人だと自分を見る時間と余裕、序でに金もある、子供産んだ色気もあるしで、一番魅力的に映るらしい。私には判らない世界だが。
「女てなぁ、子供産んで、初めて色気出るんよなぁ。どっか居てないかなぁ、十代半ばの子供持った色気凄い熟女…」
未だ云うか。段々と注文が増える。
三十も半ばの松山が云う“熟女”とは抑、一体幾つなのか。松山自体がもう良い感じの“熟男”なのに。聞くと、自分と同じ位から還暦前迄らしい。還暦過ぎたら“化石”と云う。
化石、化石ですか。
私が発掘します。成る程私は、化石専門らしい。道理で、同い年の茜に興味無い。私の専門は還暦過ぎた女、メモをして於く。
「ほんなら、わい、熟女探しときます、松山はんは化石探しとって下さい。」
「御嬢居てますやん。」
「御嬢にはねぇ、わいねぇ、専門ちゃうのねぇ。貴方が云うたんよ。わいは、化石専門。大体、アレに立つか。」
「アレて…」
「立たんわな。全然趣味ちゃうもん。」
「確かになぁ…御嬢なぁ…」
云った後に“しまった!”と思ったが、どやされる事無く松山は言葉を繋いだ。
「八雲はんの、趣味では無いわな。」
「返すし、新しい化石頂戴よ。御宅の商品如何為ってんの?悪徳か?」
「悪徳では無いですが、返品は受けて無いんで。返金も出来ません、すんまへん。」
「ほんなら、如何遣ったら立つんですか。」
「頭に袋被せはったら?」
「…顔の問題ちゃうねんッ、がりがりの問題なの、性能の問題なのッ。掃除機頼んで冷蔵庫来た位違うや無いかッ」
「嗚呼そうかぁ…、其れはすんまへん、そう云う商品なんで。因み売ったんは、御鍋、です。」
「おっほっほ。」
良い切り返しだ、松山。見た目と性格で“オナベ”。
「駄目や無いか、誰が御鍋頼んだか。」
「あ、御釜でした?頼みはったの。」
「釜も鍋も頼んで無いがな、勝手にそっちが送ったんや無いか。」
「磨いて下さい、そしたら奇麗為りますから。」
磨いて奇麗に為ろうが、形状が気に食わないのだから意味は無い。
「なあ、変な話、三ヶ月に一回て、少ない…?」
「わし何か一年以上女見てないわ、自慢か、ど突くぞ。」
「嗚呼良かった…」
「ええ事あるかッ、何の自慢やッ」
「少なく無いな?な?其れだけ云え。」
「普通ちゃう?」
「嗚呼…」
松山が仏に見えた、青い龍を背負った仏。
「良かった…、ほんま良かった…」
「俺等てかなり忙しんでね、女んトコあんま行けんのな。」
「え、わい暇何やけど。」
「不能か、病院行け、序で頭も診て貰え。御嬢が不細工とか頭おかしいぞ。」
「誰も不細工とは云ってないがな。見た目が悪いて云うてるだけや無いか。ミイラ通り越して、骨やないか。」
「あらぁ、八雲はん、ミイラも骨も化石も専門ちゃいますのぉ?」
「え……?」
「何…?」
「何?」
知らなかった。茜はがっつり、私の専門分野では無いか。骨はまさに私の得意中の得意分野、発掘も、復元も。骨の模造、最高に得意では無いか。
「嘘やぁ…ッ」
「うわッ、びっくしたッ」
「嘘や嘘や、なあ、嘘て云えッ」
「何が?え?」
「もう知らんッ、意味判らんッ」
知って仕舞った事実、受話器に八つ当たりした。電話の前で頭を抱え、何かの間違いであって欲しいと念仏を唱えた。
「長かったなぁ…、アンタ等、何時も長電話するなぁ。」
ブラッシングを終えた白虎が、見て見て、と頭を擦り付ける。
「寄るな、寄るなや白骨死体…ッ」
「いやいや、動いてますよ。」
私は常々、復元した骨が動いたら面白いだろうなと考えて居た。踊ったり話したり酒を飲んだり、愉快だろうと。そしたら何だ、目の前に妄想の産物が居るでは無いか、
「か…」
蛇だ蛇だと認識して居た、其れも干からびた蛇。実は、茜の大好きなボーンアートにされた蛇、骨、私の専門。
そんな馬鹿な話があっては堪らない。
「化石ん為って出直せやッ」
ぽかんとする茜、案外可愛いと思って仕舞った、自分に腹が立つ。




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