松山さん2 ―冷たい華―
元からが神経質なのだと思う。自分では余り気に留めないが、京介が「頭、少し神経質過ぎちゃいますか?」と云ったので、そうなのかなと考えた。
「繊細て云え。」
「あはあは。」
何故笑う。繊細も神経質も変わらんやろ、何が違うて云うねん。
何でこんな話になったかと云うと、「キワコはんがぶぅぶぅ文句云うてます」と京介が云ったから。
キワコとは、兵庫に居る現地妻…詰まりは情婦だ。
「わし忙しいねん、キワコに構とられるかい。」
言い乍ら、視線は京介の持つ本に、指はタイプライターを打つ。此れは仕事では無く、何と云うか、雑用だ。
若頭に雑用さすて大概やぞ。
其の雑用を押し付けた青龍会幹部候補の重松は、獣臭さが未だ残る黒革のソファに座り、必死にペンを動かしていた。
「頭ぁ…わしほんま間に合いますかね…?卒業出来ますかね…?」
「だぁっとれ、じゃかあしぃの。」
卒業出来ますかね?では無い、卒業して貰わないと非常に困るのだ。何の為に四年間も大学に通わせたと思っている。組の金で。
「頭も痛い、目も痛い、指も痛けりゃ肩も痛いわッ」
重松は外国語学科で、わしは其の卒業課題二を代わりにしている。重松が今しているの課題一だ。
其の課題と云うのが、好きな作家の本を英文に逆翻訳するのと、指定された外国本を翻訳する、と云うものだった。
わしが今英文に直しているのは、夏目漱石の“吾輩は猫である”だ。
夏目漱石が好きな訳では無く、どうせ金にもならん事をするなら、好きな物が出るのが良いと思ったに過ぎない。案の定京介のは「頭、ほんま猫好きですね」と笑った。
「吾輩は、猫である。そう、崇高なる猫であるが故、名前は無い。」
京介が笑った。
「唯の野良ですやん。」
「野良とは即ち、何物にも属せず、己の信念のみで生き行く崇高な存在で在る。」
いや、違うが。此の本に出て来る猫は唯の野良だが。最後に水瓶に落ちて死ぬ様な間抜けだが。
「欲望の侭生きて、最後も欲望に依って死ぬ、難儀やな。」
気を付けなければならないなと、タイプライターを打ち乍ら教訓にした。
「せやからキワコとは会わん。」
「嗚呼、其処に繋げるんですね。」
「ちっと考えろや?一週間ずっと接待しよんねんぞ。ええ加減寝たいねん。」
そして、神経質過ぎですね、と云われた。事が終わった後寝たら良いのに、と。
「御前な、何処の世界に情婦と昼迄涎垂らして寝る阿呆居てんねん。」
「此処、此処に居てますよ。」
「御前は飛び切り阿呆やからな、しゃーない。」
情婦は決して恋人では無い。身体は許せても心は絶対に許さない。自分から歩み寄って来た女程わしは信用しない。何処の手先かも判らん、口から涎垂らして、腹から血を出す訳にはいかんのだ。
「頭て、恋人作りませんよね。」
「作るかめんどい、わしは忙しいんじゃ。」
課題もせなならんのだし。
第一に。
「恋人がヤクザて、聞いた事無いぞ。」
「其れ。女の方が云うてないだけですやん。」
「え?」
必死にペンを動かしていた重松が、物凄く不思議そうな、奇妙な物を見たと云う表情でわしを見た。
「あの姐さん、ちゃいますの?」
「は?何の姐さん。」
「ほら、あの人。」
ほら、と重松は云うが検討付かない。一体誰の事を云っているのか、強烈な美人、としか云わないので的が絞れない。
まあ第一にわしの情婦は美人しか居ないが。
「誰や、アヤコか?」
「嗚呼、アヤコはん。強烈な美人部類ですわな。福岡の人。」
「いや、ちゃいます、だったらちゃいます、大阪の人です。よぅ見ますから。」
「大阪?誰や。」
大阪妻を思い出して見る、二人出て来たが重松が興奮する程の美人では無い。兎に角強烈で、普通の情婦とは次元が違う、だからわしの本命やと思った。
「凄いサドっぽい感じの方です。」
確定した。わしの周りに居る女で、強烈なサディスト別嬪は一人しか居ない。
道理で、すっと出て来なかった。当たり前だ、重松の云う女は恋人でも無ければ情婦でも無い。友人か如何かも疑わしいのに。
わしはペン先で眉間を掻き、勘違いさせて於くべきか悩んだ。
「あー…とな…、んー…」
向こうにもわし自身にも恋愛感情は無い、例えば一方が好意を持って居るなら、冷華であったらそんな冷華を良い様に扱う極悪非道な人間で、わしであったらいい女に翻弄される阿呆な立場でしかない。
だったら何故神戸から連れて来た?
だったら何故神戸から着いて来た?
誘いを断る事も出来た。現に一回冷華は断った、はっきりと。其れを無理矢理連れて来た。神戸等そんな目と鼻の先で、組本部も其処にある。月に一度は必ず組長に会うのだから態々連れて来る必要は無かった。
―――私は御金が大好き。其れと同じ位に、神戸の景色が大好きなの。
―――頼むし、着いて来てんか…
―――如何して、何で?理解出来ないわ…
―――御前を、情婦の一人として、見たないねん…
冷華を連れて来る位なら、わしを心底可愛がって呉れる其の時一番だった情婦を連れて来れば良い。わしが望めば幾らでも金を呉れる、わしが望めば何だってして呉れる、家事も仕事もセックスだってして呉れる。
冷華は違う。金は掛かるわ、セックスはしないわ、でも冷華の部屋は掃除する。
なのに冷華は絶対必要不可欠だった。
―――怖いねん、わし…。又何時今回みたいなでっかい抗争起きるか判らん…、何時死ぬか判らん。わしかて神戸好きや、大好きや、神戸で生まれ育ってん…、せやから、怖いねん、こっから離れんのが。御前だけなんや、わしが、素のわしで居れるん女は…、御前しか、居らんのや……
世間は此れを告白と捉えるのだろうか。少し頭の鈍い女なら喜んで勘違いする所だが、先にも云った通り冷華に恋愛感情は無い。冷華も充分把握する。するからこそ着いて来た。
―――なんぼ積んだらええの…?なあ。冷華の人生、わしんモンにするには、一体なんぼ必要なんや?
其の頃の冷華は煙草を吸って居た様記憶する。二人っきりの空間に何処からとも無く紫煙が立ち込めたので、此れは冷華しか居ない。わしは頼むのに必死で、そんな余裕は無かった。
―――壊れそうや…
―――仕方無い男ね…
冷華の体温を、匂いを、鼓動をはっきり全身で意識したのは今の所此の時しかない。其の時迄も今も、互いに酔っ払い、肩組んで歩く事はあっても、其の時は意識しない、通行人から見ても機嫌の良い客と商売人が歩いてるとしか思われない。恋人に等間違えられない。
あの時の抱擁は、誰が如何見ても、情けない男を慈愛で包む女…三流映画にも劣る阿呆な男女としか映らなかった。
―――誠昭じゃなきゃ、着いて行かないわよ…、誠昭だから、着いて行くのよ、忘れないで。
―――大きに…
―――絶対に捨てないで、もうあんな思いは、嫌よ…
利益が一致したにしか過ぎない。
わしは素に戻れるし、冷華はわしが生きてる限り金には困らない。
冷華はわしより三つ上だが、男と女の壮絶な人生と云うものは随分と違う。
わしの人生を「貴方も随分ね」「自分が可愛く見えるわ」と冷華は云い、冷華の人生はわしでも「御前どんだけ難儀なん」と思って仕舞う。パトロンに火を点けられる等尋常では無い。其れってヤクザ?と聞くと、普通の人と云うから驚いた。
生きた状態で火ぃ点けるとか、わし等でもよぅせんぞ…
然も此のパトロン、かなり頭が良い。
生きた侭火を点け殺すと云うのでは無く、自分も騙された冷華の“顔”を焼こうとしたのだ。そうすれば一生冷華は苦痛の中に居る。美貌も無くなり一番は、そんな化け物に大金等入る訳が無い。余程の物好きかサーカスか何かの見世物で無い限り、然し冷華の手元には来ない。
此の顔を焼きさえすれば…
結果冷華が失ったのはパトロンと大金と、毛髪だった。
守ったのだ、冷華は。何の才能も無い自分が大金を掴むには顔しか無い、必死に両手で顔面を覆い、指先を焼いて迄顔を守った。額や生え際には生々しい火傷跡があるが、頭と同じで鬘で上手く隠して居る。指先も奇麗だ、元の形が良いのもある。
あんな思いは二度と御免だと云われたが、わしには火を点ける理由が無い。冷華が火を点けられたのはパトロンへの裏切りがあった訳であり、わしと冷華の関係で、其の裏切る行為が無い。冷華は組の女でも無いし、わしの女でも無い。仮に組員が手を出したとしてもわしは何とも思わない、寧ろ“あの超絶サディスト相手によぅ勃ったな”と敬服すらする。盛大な馬鹿やらかした本人が組の金を持ち出すとは思えない。パトロン以上の仕打ちが来るのは目に見えて居る、冷華も冷華で組には一切関わりたくないと云う。
需要と供給。
せや、今日ええジュエリー見たな。あれ、買うたろかな…
此処迄して於いて全く恋愛感情無く、男女関係に発展しないのが凄い。
何度か全裸(頭含め)見たが、此れ一向に反応しなんだ。似た様な完璧な身体を持つ情婦になら反応するのだが。
余談だがわし等、酔っ払ってしょっ中全裸で一緒に寝て居る。一緒に風呂に入ったりもする。此の時わしは「髪洗ったろか?」と云う。すかさず鬘が飛んで来、「丁寧に洗ってよ」と云われる(ので洗う)。
「冷華の事云うとるんやったら、御前の勘違いやぞ。」
此れから先、重松が此の光景を見ないとも限らない。見られ、誤解を訂正する位なら今云っておこうと口を開いた。
「嗚呼、冷華さんか。ほんならちゃうぞ。」
京介も云った。
わし等がそんな関係で無い事一番に知り、理解して居るのは京介だけである。
誤解されるのは無理無いが、だからと云って改善は考えない。あの店の従業員も疑って居る…と云うより、何度否定しても恋人状態にさせられる。此れで冷華の立場が悪く為るなら無理矢理にでも意識改革させるがそうで無いので好きに云わせている。あの店で何と云われ様が、わしの権威が失せる訳では無い。
唯問題なのはわし側。一応若頭なもんですから、引き連れて飲みに行く。行った先、閉店迄居ったら大概ママ位しか残らないので、こうなったら店も自宅も大差無い、冷華一行を呼ぶ。あっちの従業員もヤクザ如きでは怯まない、抑、チンピラの集団では無いので人相は普通、閉店して居るので一般の目も無い、どうもどうもとタダ酒にあり付く。
冷華は弱いとも強いとも取れない、唯、冷華が来る迄にわしはしこたま飲んで居る、冷華に付き合って居る途中で怠くなるのだ。其れで、太腿に頭乗せたりと普段のわしからでは想像出来ない女に対する甘えを見せる(普段は女の方がべったりと甘える)ので、嗚呼付き合って居るんだなと誤解される、自業自得なのだが。冷華の態度も、一切の媚を見せず、眈々と飲み、わしがちょっかい掛けても煩いとあしらう。
冷華の態度もわしの態度も、気を許し合った者同士の…詰まり恋人の其れに酷似する。重松の勘違いは当然だった。
京介等、もう付き合いはったらええのに、と迄云う。
何を恐ろしい、わしの全財産無ぉなるがな。
恋愛関係でも恋愛感情も無いが、此奴と寝たら如何なるのだろう、と思う時はある。立つかは知らんが。わしが死んだ時“内縁の妻”に位置付けられて仕舞うのか。そう思うのも、二匹、猫を二人で飼って居るのだ、冷華の自宅で。
最初に飼いたいと云い出したのは冷華で、驚いた。此れは恭子嬢や従業員の時にも感じた事なのだが、冷華は相当に面倒見が良い。もっと淡白で、金以外に興味感心示さない冷酷な女とばかり思って居た。
拾って来て仕舞ったのなら仕方が無いとわしが餌やらを渡す、きちんと面倒見るので、わしは偶に遊びに行く。
……此れが“子供”に位置付けられるんやろか。
養育費を払う父親、そんな気がするのは何故だろう。
京介からも、其れはお前の誤解だと云われた重松はしょげる。
「ほんまに違うんですね…」
「何でそんな、あからさまにがっかりすんねん。」
「幹部になったら、ほんまにええ女と付き合えると思てたんですよ…」
「冷華と付き合いたいなら、付き合おうたらええやん。」
「いや、ええです。」
京介が笑った。わしはてっきり、冷華を否定されたと思い、少し顔を顰めた。
「そんな酷い女ちゃうぞ。金にがめついだけで。」
「いえ、冷華さんが酷いとか、そんなんと違くてですね。」
「判る、判るわ、重松。」
「ですよね?」
「うんうん、冷華さんは頭居っての冷華さんや。」
「さっぱり判らん。」
仕切りに頷く京介は云う。
「頭と居る冷華さんが、一番冷華さんらしいんですわな。」
「そんな関係やなくても、冷華さんは頭のモンやと、俺等は思ってます。」
だったらわしは冷華のモンか。
其れは其れで、良しとする。
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