松山さん2 ―冷たい華―
其れ何て光源氏計画?と冷華は笑う。
“光源氏”が一体何であるか、“源氏物語の主人公”としか知らないわしは、意味が全く判らなかった。決して口には出さないが、流れる視線は“無教養”と語る。
「好色な所も、光源氏そっくりね、女を泣かせても何とも思わ無い所も。私は、末摘花で良いわ。」
で良い、と云われても、源氏物語を全く知らないわしは何とも云えない。どんな人物なのか聞くと、落ちぶれた世間知らずの醜女姫、と云う。
突っ込めなかった。
自分の事を良く知って居る。
其れで一体何が“光源氏計画”なのかと云うと、恭子嬢の事を指して居るらしかった。
「紫の上…、良いわね。」
「済まんが、わしは源氏物語を知らんのやて。」
「世間の女にうんざりした光源氏は、理想の女を追い求めるのに疲れて、だったら理想を作れば良いじゃないかぁ、わはは、よぉし、作るぞぉ、と云う感じかしら。」
「全然判らんが、其の理想とやらの餌食になったんが。」
「そ、紫の上っていう初恋の女そっくりの幼女。変態だわ、とんでも無い。」
変態相手なら得意だろうに。
「いやいや冷華さん、一個も光源氏計画絡んでませんやん。」
「あらそうなの。」
神戸で見付けた英吉利製のティセット。紅茶を好む冷華に買ってやった。冷華の家に来れば必ず目にする。一人の時使って居るかは知らないが。
冷華は、愛人時代の名残りか、買った本人の前で使用する。此れはパトロンに対する義理で、目の前で仕様する事、パトロンの目に晒す事で忠誠を示して居る。
偶に居るのだが、例えばアクセサリー、ちっとも付ける気配が無いので気に入らなかったのかと聞くと、わしが目の前に居るのにわしを感じるアクセサリーを付ける必要は無い、居ない時身に付け、わしを感じる、という癖の女も居る。此れは此れで別に構わない、所詮やった物だ、持ち主が如何扱おうが関係無い。
なので冷華が、一人の時違うティセットを使って居ても構わない。
恭子嬢は、そうやな、気に入りかそうで無いかではっきり別れる。気に入れば四六時中付けて居たり仕様したりするが、気に入らなければ、わしの目の前でも放置されて居る。
「何が如何光源氏計画なんですかね。」
「あーら、父親になるんでしょう?」
紅茶が逆流した。
「誰が?誰の?」
「恭子ちゃんが産むであろう子供の父親。」
「違…、其れはやな…」
何を言い訳して居るのか、女に子供産ます甲斐性の一つあっても問題無い、が、其の相手が十三歳の恭子嬢。
若しかして冷華、わしの年を知らんのでは無いか…。
此の年の差、其れこそが“光源氏計画”らしいのだ、冷華の中で。
「五歳の頃から手篭めにして、寵愛して、大事に育てて、時期が来たら結婚…、素晴らしい変態、女の人生食い物にする貴方らしい考えだわ。」
高らかに冷華は笑い、わしのカップに紅茶を注いで呉れた。
「光源氏の寵愛を一番に受けた女。容姿、教養、知性、性格…、全てに於いて、作中最も秀でた人物……紫の上。」
貴方の人生(物語)の中で恭子ちゃんはそうなのでしょう、と化粧っ気無い目を湯気の向こうに見せる。
確かに、あの妖怪三姉妹とは似付かわしくない容姿に恭子嬢はなって居る。遺伝子の操作でもしたんじゃないかと疑われる程、恭子嬢は斎藤家の“美男遺伝子”を受け継いだ。そう、かなり美しい女に育ったのだ、斎藤家男子の特徴を表して居る。然も親父さん曰く、次男の津雲系統の顔だと。
長男出雲ははっきりした濃い顔を持つ、戦前に良く見られた美男、此れは母親が九州だった事に遺伝子して居る。
三男八雲、此れは出雲程濃くは無いが、だからと云って特徴無い薄顔でも無く、東の薄さと西の濃さが上手く調和した現代的な美男を象徴する。
そして次男津雲。此れは驚いたのだが、まさに女、中性的な顔では無く、はっきりとした女顔をする。中性的な顔とは詰まりわしみたいな公家顔を指す。男が一番変化する二十歳迄わしは、自分で云うのも何だが本当に奇麗だった。其処から徐々に男らしさと云うものが現れ、然し其れでも、三十半ばの今でも他の男よりは奇麗な顔を持つ。津雲は、そんな次元では無かった。其れを凌ぐ女顔、正直、声さえ聞かなければ女だった。女と見ても、冷華と張れる。其れ程の美しさを持つ。そらヒヒじじいの寵愛を一身に受ける(此れも冷華と似る)。
恭子嬢は、其の津雲系統になった。
斎藤家男子は、三人全て系統が違う。本当に。もっと細かく云うと目であろう、出雲も八雲も口元は父親の遺伝子で肉厚と似て居る。
出雲の目は幅広い二重瞼で、九州人の特徴とも云える大きな目を持って居る。父親に似ない事も無いが、母親の顔写真を見せられたら「嗚呼、お母さん似ですね」となる。
一方で八雲は、幅の狭い二重である。此れが父親に似て居る。切れ長なのは母親遺伝で、両親どっちを見ても「似てる」と云われる。
そして津雲と恭子嬢、此れが切れ長の奥二重を持つ。だから津雲系統と父親が云ったのだ。恭子嬢が生まれた時、娘の中で一番の別嬪、と両親が歓喜したのは間違いでは無かった。津雲は確かに“斎藤家”で一番の“別嬪”であるから、其れに似た恭子嬢は娘の中で一番の別嬪である。美男は言わずもがな出雲である。
恭子嬢の容姿はそんな所だろう。
性格は元から人懐こく、誰からも可愛がられる。会長は当然、男衆からも毒の無い性格は愛玩の対象、わしもかなり(相手すると疲れるが)、女のどす黒い性悪さに疲れ切って居るので癒される。
無邪気と云うか、真っ新と云うか、無垢…嗚呼、そう、純粋無垢、他の女には無い雰囲気についつい甘え、可愛いもんだから甘やかして仕舞う。
教養、は如何だろうか。
勉強は知れて居るが、暇な時わしは、わしの持つ知識を提供する。勉強も教えるので、成績はかなり良い。抑に斎藤家男子は頭が良い、長男は全てに於いてずば抜けて秀才で、次男は分析が早く、三男は言語力と歴史分野にずば抜ける、共通点は“頭の回転が早い”――其れを色濃く受け継ぐ恭子嬢が秀才なのは当然だった。そして秀才の特徴である“理系”がかなり得意だった。恭子嬢は、“理系の左脳人間”……わしと同じ頭の作りをする、そして津雲も此れに当たる。論理的に分析をするのだ。
だからそう、知性が良い。
そら確かに昔は感情的な子供だったが、此れは子供なので当然、二次性徴迎えた恭子嬢は、恐ろしく論理的で決して感情で言葉を発する事は無くなった。自分の感情は置いといて、物事を論理的に、そして自分の意見を一度客観視して言葉を選んで発する。
昔散々「松山と結婚する」と云って居たのに、今では「あらそんな事も云ってたわね」と云う態度なのは、此れに繋がる。
外科医や細胞、遺伝学者、分析医向きの頭作りをして居る。
此れが、八雲と異なる。八雲は完全に文系脳を持つ。考古学と云う分野も其れに関係する。豊かな感情と、壮大な夢や浪漫を必要とする。言語学や民俗学、天文学もそうだし、代表は小説家や画家、音楽家だろう。此れは理系脳には不向き。理系学者にはかなり現実主義者が多い。余談だが、理系作家の小説は、何気無い言葉でも正直難しい。
理系の人間…化学者に云わせれば天文学等、ガス反応の一つに過ぎないのに喜ぶなんて馬鹿馬鹿しい、と夢も浪漫も無い現実を平然と云う。
幽霊に怯えるのは感情豊かな文系脳で、理系脳は馬鹿馬鹿しいだの非現実的だの、人魂は人体から発生されたガスが大気中の分子と結合し発生する現象、と其処でもガスを絡める。だったら何で屁をしたら光らんのだ。光れや。大気中の分子の反応見せて呉れや。
当然、精神学や宗教学、思想学に興味は無い。
出雲の地学は、分析が専門なので理系学に近い。
津雲が未だぱっとしない民俗学者なのは、脳の作りが理系なのに文系を専攻したからだ。本人が其れで満足して居るので何とも云わないが。
体育会系は此の両方を欠落させた非人間の動物であるので、関わらない方が良い。
全くどうでも良い話になって仕舞ったが(文系学と理系学の確執やら)、恭子嬢を眺めて来た冷華だから云える事だった。
でも、何かが違う。
理想郷を他者に託す―――恭子嬢に対しては全く無い。はっきりとするのは。
「若紫、やったか?」
「んー、其れでもあってるけど、其れは幼名ね、紫の上、よ。」
「まあええわ、兎に角理想を託してるんよな?」
「ええ。」
「だったらちゃうわ、恭子嬢は。」
「そうなの?残念だわ。」
もっと昔から。
わしの理想郷。
冷華が勘違いしたのは当然かも知れなかった。
だってわしは……。
「紫の上は、光源氏の最愛、なんやろ?」
「ええ。」
「で、初恋の女にそっくりやったから、紫の上をそうした。」
「藤壺っていう、光源氏の継母よ、とても美しい人。紫の上は藤壺の姪。」
「だったら、紫の上は恭子嬢や無い、御嬢やないか…」
わしの初恋、わしの理想郷、其れを酷似する娘に託した。でも、ある日から、其れが無理になった。
だって御嬢が居らんから。
其の継ぎ足しが、恭子嬢。
御嬢にしたかった事を、恭子嬢でした。
冷華はカップの底を凝視した様に固まり、静かに離した。
「そうね、そうかもね…」
そして、
「私も、光源氏かもね」
そう云った。
「私が送りたかった理想の生活を、恭子ちゃんに夢見てるのかもね。」
「平凡?」
「ううん、違う。」
「判った、学歴やな?」
冷華は笑った。同時に、端から学歴何かに興味は無い、とわしの指先に触れる。
「與イ尓一直一起在,我的夢.」
「え…?」
「……珈琲、作ってあげるわ。」
「ん…?嗚呼、大きに。」
珈琲の匂いが部屋に広がる。其れがどんな物より素晴らしい理想郷だとわしは紫煙を重ねた。
珈琲があって、煙草があって、一寸視線をずらしたら猫が二匹仲良く寝て居て、目の前には極上の美女が居る。
ジーとベルが鳴る。
「今日は、冷華さん。」
「あら、いらっしゃい、恭子ちゃん。」
「あんね、クロワッサン、買うて来たん。」
「恭子嬢?」
「あ、松山さん。」
恭子嬢はもうわしの事を「松山ぁ」等と愛らしくは居ない。其の代わりしっとりと囁く。
姐さんがわしを呼んだ様に。
「嗚呼、如何し様…、二つしか無い…」
「ええですよ、二人で食べて。」
「ううん、松山さん、うちと半分こしよ。」
「違うわ誠昭、私と貴方で半分にするのよ。」
「冷華が其れでええなら、な…」
何も恭子嬢、無意味にクロワッサンを土産にした訳では無い。クロワッサンは冷華の大好物なのだ。後で、冷たい怒りを垂れ流さなきゃ良いが。
此処でも冷華は周りから貢がれる。
「んー、でも其れって…」
二つのクロワッサン、置かれた紅茶に触れず、恭子は両蟀谷を中指で押さえる。
「あ、判った。二つを三頭分にしよ。したら六つんなる。」
「お、おお…」
「あら、凄い。」
「そっから又真ん中で割ったら、もっと均等なる。」
「うふふ、大丈夫よ、其処迄しなくても。」
後で誠昭にしこたま買わせれば良いんだから…。
だから云うたやないか、最初から二人で食べろと。
「松山さん、もう、作り方覚えた方が早いかもな。」
うわ、あったまいい。
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