二束三文の対価
目覚めて、母様が聞いた。
「金を貰って流すかい?其れとも、今流すかい?」
其の事務的な言葉に私は腫れた目を擦り、貰った後で、そう云った。其の決断が、私の人生を変えた。
約束通り木島は大金を持って遣って来た。酷く右頬を腫らして。折角の男前も、台無しだ。
「如何したの、木島様。」
嬉しそうに笑う母様。
「判ってるでしょう、父さんに殴られた。」
腫れた頬を触り乍ら大金の入ったケースをテーブルに置き、中を見た母様は、美しい顔を美しく歪ませた。母様が数えている時、私は一切木島を見なかった。木島の方は見ていた様だけれど。
「確かにね。」
云って母様は私を見て、笑った。
「まさか在の家出娘が、こんな大金に化けて呉れるとはねぇ。感謝感謝。」
其の言葉の裏で、此れからもっと化けるだろうという空気が漂っていた。子を流しても、私は此処に居る。此処しか、私の居る場所は無いのだから。そうして、私の相手は、一生木島。何時迄も、私は居るのだ。
「帰って良いか。」
聞いた木島に、母様は笑ってドアーを開けた。
「又如何ぞ、木島様。」
然し。
木島は冷たく笑った。
「又?ある訳無いだろう。」
其の言葉に、私は驚いた。いや、当然、というべきなのだろうが、驚きを隠せなかった。嗚呼、此れで本当に終わるんだと、放心した私の腕を、木島は引いた。引いて、喉の奥で笑った。
「金は渡した。貰って行くから。」
木島が何を云ったのか私には理解出来なかったが、母様には判ったらしく、身体を振るわせた。
「冗談じゃないよ。」
聞いた事も無い母様の声に、怖さを覚えた。嗚呼、母様は本当に女優なのだ。
「冗談?冗談で御前は女達を売るのか。まあ、冗談でも良い。俺は買った。」
「木島様?」
「一寸黙ってて。」
云って木島は、私をドアーの外に追い出した。硬く閉ざされたドアーの奥で一体何が起きるのか、想像出来なかった。唯、淡々と話す木島に対し、喚く母様の声だけが響いていた。中で何が如何為っているのか、私は緊張し、ドアーに縋った。そうして、何故か、木島の温もりを感じた。
ドアーを伝い、木島の声を感じた。
「恋だよね。」
「恋?」
私と母様の声が重なる。
「娼婦に惚れたって、情けないよね。」
苦々しく笑う声がドアーを挟んで居るのに、直接耳に届いた気がした。
木島が私に恋をしている?まさかそんな訳はあるまい。
「雪子の事しか、頭に無い…」
木島の声はドアーに響き、まるでドアー其の物が木島の背中の様感じた。私は、何時もの様に耳を付け、振動を身体に受け、そうして幸福を感じた。
嗚呼、矢張り私は、彼が好きなのだ。好きで好きで、堪らないのだ。
娼館だから、客だから、其れが問題な事では無い。出会って仕舞った、其れ自体が如何仕様も無い救い様の無い問題だった。
此処で出会わなくとも、必ず何処かで出会ったに違いない。
強く、そう、思った。
「木島様…」
呟き、強く目を瞑った。とくんとくんと、心臓と子宮が鳴るのを感じた。
「もっと…」
何時に無く彼の声は震えて居た。
「金が欲しいなら遣る…。軍で此処を見ても良い。だから…」
詰まった言葉。
「御願いします、雪子を、俺に下さい…」
ドアー越しの体温が、一気に下に集まった。見ずとも判る。
陸軍元帥が、娼婦に対し床に頭を付け、懇願している。
止めて。
止めて。
私の為に、其の頭を下げないで。
木島の体温を感じたいが為に、私も床に座り込んだ。そうして、ドアー越しに頭を下げた。
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