ウェストウッド通り


大柄な男でも、小柄な女でも、力は余り関係無いのだと知った。
確かに、男女の肉体的力の差は歴然とするが、精神的力の差は関係無かった。大柄な男でも小柄な女にあっさり拘束される。
女体と云う巨大な魔力で、性欲を抑圧する。
一度決まった力の差は、どんなに危機的状況になろうが変わらず、寧ろ、開いて行く。
椅子ごと床に倒れる男の口から呻き声がタオル越しに漏れ、湯気と共に無様な姿を晒す程イヴの頬は盛り上がった。
床に広がる熱湯から逃れ様と身体を捩っても、反対側に熱湯を垂らされた。爛れ始めた皮膚は痛み、靴底で擦られた。額に脂汗滲ませ悶絶する姿に益々口端は緩む。

「面白い。」

イヴの囁きに男の肩が強張った。

「誰が売女だって?」

特に此の男は性悪だった。女を買う事に慣れて居るのか、此の界隈の娼婦達が用達する部屋に入るや否や金を投げ付けて来た。抑にイヴは売春婦では無い、要らないと云うと「売女は売女らしくしてろ」と服を脱ぎ始めた。
其の背中を見て居たイヴは、男の投げ捨てた金を踏み、背中に手を寄せた。

「え…?」

腰に強烈な痺れとじんわりとした暖かさが広がり、振り向いた男の視界には、何事も無くナイフを持つイヴが入った。

「てめ…」
「もう一度、刺されたい?」
「何、しやがんだ……」

近付いた男の、今度は脇腹を当たり前に刺した。

「は…?」
「次喋ったら、殺す。」

どの道男に命は無い、が、ある程度の猶予があると思わせた。
私の云う事を聞けば。

「座って、椅子に。」

ベッドに腰掛けたイヴは目の前の椅子を靴先で押し、床に膝を付く男に視線を投げた。男の黒いズボンが、不自然な黒さを蓄えて居た。
云う事を聞きたい、聞かなければならない…判って居るのに男は立ち上がれず、イヴの靴音を聞いた。

「早く、座りなさいよ、ノロマ。抉るわよ。」

太腿に突き付けられたナイフの痛みに男は跳ね上がり、俊敏に椅子に座った。
腰も脇腹も太腿も痛い、喚く事は出来た筈なのに、獣の皮でナイフを手入れする笑顔のイヴを睨む事しか出来なかった。
自分の身体から滴る血が床で音を出す、イヴの鼻歌と靴音が重なる、ポットが火に掛けられた。

「嗚呼、そうそう。」

揺らぐ琥珀色の髪が神秘的だと、霞んだ視界で男は思った。

「蹴られたら堪ったもんじゃないから。」

イヴの後ろで、小さな炎が無数に揺れて居た。瞬間、暗黒に変わり、途轍もない痛みが足から這い上がった。

「アキレス腱、切っとくわね。」

痛みを知る程、逃げたいのに意識ははっきりした、此の女から逃れられないと。

「謝るから…」
「え?何を?」

すっとぼけて居る訳では無い、男に全く非は無い、あるとすれば“男”と云う事。
此の男に恨みは無い、唯、“男”と云うだけの話。其れだけの話。
言い換えれば、其れだけで罪。
しゅんしゅんと、柔らかい音がした。音無く振り向いたイヴは火を止め、ポットを持った侭男を見下ろした。
脂汗が吹き出る額に、冷や汗が絡んだ。
透明な液体は湯気を纏い白く、血とは違う暖かさが、太腿を流れた。薄暗い部屋に男の悲鳴が響き、面白い事に、真横の部屋からも娼婦の悲鳴が聞こえた。

「煩いわよ!」

男に云ったのか隣の娼婦に云ったのか、贅肉蓄える男の腹を椅子ごと蹴飛ばしたイヴは乱暴にポットをテーブルに置き、のたうち回る男の口と目元をタオルで縛った。

「次喋ったら殺すって云ったわよ!」
「御免なさい!」

男がそう云ったかは判らない、真っ赤に染まる頬の動きとタオルを噛み締める唇の動きで勝手にそう解釈した。
顔の真横で飛沫を上げる熱湯、飛沫が当たる度魚の様に身体を打ち付けた。
漂う血の臭い、堪らずイブは窓を開けた。
感じる視線。
宿から少し離れた場所に居るブロンド頭が動いた。男の呻き声を流す様に、夜風に紫煙を流した。
決まりの合図、イヴが三回こうして合図を送ったら“仕事終わり”。
小さいブロンド頭に背中を見せたイヴは、男に向かって煙草を投げ、一度バウンドすると血だまりの方で消えた。
靴音は男を素通りし、棚から一本ワインを取り出し、そして男の頭で叩き割った。

「あら、大変。」

慌てた様にイヴはベッドからシーツを剥がし、男を一度転がすと、ワインと熱湯で薄まった血液をシーツに染み込ませた。そうして其の上に男を乗せた。
男の動きは大人しく、詰まらなく感じたイヴは又熱湯を掛けた。
未だ反応はある。が、イヴが楽しめる程の反応では無かった。

「あれ…」
「置いて来たわ。」

三度目所か二度目の合図も無く、未だかなと思って居た矢先イヴが目の前に“帰宅”した。

「置いて来たって…、え?」
「ナニは切って無いわ、然もナイフで刺した。警察が追ってる“ヤツ”とは違う手順よ。」
「じゃあ、良いか。」

イヴが良いなら。

「気分が悪いわ。」
「大丈夫?」
「うん。」

イヴはアイヴァンから目を逸らし、家とは違う方向に歩いて行った。
付き纏う鈍い月。雨雲が多い。鼻先に知った生温い水気。
涙も一緒に流した。

「ケネス。」
「イヴ?イヴか?如何した、こんな時間に。…大変だな、ずぶ濡れじゃないか。」
「愛してるわ…」
「ん…?」

窓を激しく叩き付ける雨音を、ケネスの鼓動で消した。




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