神の悪戯 悪魔の宴 U


鬱々した所で俺の身体が元に戻る筈は無く、良し、と気合いを入れた。胸部に盛り上がるモンスターは晒布で丁重に押さえ付けて遣った。此れなら、余り見なくて済む。ヘンリーのシャツとセーターを着、するとモンスターは面白い様に姿を隠した。生足剥き出しは流石に寒いので要らないズボンを切り、ベルトを締めた。
「おお、成長期前みたいだ。」
顔は女、と云うより少年に近い感じに為って居たので、鏡に映った自分は、十五年ばかし昔の自分を見て居る気分だった。
一寸此れは。
少年愛がかなり強いヘンリーには、堪らないんじゃ無いだろうか。脱げばまあ、女なのだが…此の際考えない事にした。
「ううん、若いな、俺。」
果して、十五年前の俺はこんな顔をして居ただろうか。もう少し目は細かった気もするが、子供に為った訳では無く女に為ったのだから目は大きい筈だった。
成長期前の自分、と云うよりは。
「嗚呼、昔のディアナにそっくりなんだ。」
此れはヘンリーも間違える。
気合いを入れた俺は、モンスターが見えない事で食欲が湧き、適当にシリアルを食べ、序でに夕食の支度もした。何、暇なのだ、時間なら幾らでもある。
料理は生憎俺しかしない。鍋類は俺が丁度良い場所に置いて居るので、何時もの踏み台を持って来た。
「俺の…馬鹿…。こんな高い所に置く奴が居るか…」
踏み台に乗っても指先が収納場所に触る位で、目当ての鍋に届かない。抑此の収納場所、俺が踏み台に乗らないと奥に届かない程高い位置にある。北欧人か和蘭人が設計でもしたのだろうか。然し踏み台を使えば問題無いので普段使わない鍋は其処に置いて居た。まさかこんな日が来るとは、目覚める迄考えた事も無かった。届く椅子を持って来たい所だが、生憎此のキッチンは狭い。上には広いが。カウンターキッチンな為、間を通らないのだ。
鍋は後からする事にして、買い物に出掛けた。市場や本屋で暇潰し、カフェでティタイムを取り、此のパイ最高だ、夕食のデザートにし様と持ち帰り、四時過ぎに帰宅した。買って来た物で下拵えをし、さあ、鍋だ。本屋で見付けた分厚い書籍を踏み台の上に乗せ、収納場所に手を引っ掛けた。良し良し、良い案配だ。
然し如何した。
此の目当ての鍋、相当重量がある事に気付いた。フライパン位なら床に落とせば良いが、そんな飛ぶ様な代物では無い。最悪俺の頭に落ち兼ねない。早く作り始めなければヘンリーが帰宅して仕舞う。帰宅する前にセッティングをし、待って居たいのだ。テーブルに置く花も買って来たと云うのに。
其れには此の鍋が必要だ。ビーフシチューには、此の鍋が必要何だ。完璧なディナーには、御前、此の鍋が必要なのだよ。
「ええい落ちて来いっ」
指先で収納場所を叩くがびくともしない。
鍋と格闘する事三十分、一旦諦め他の料理を進めた。バスケットにパンを並べ、今日は寒いので温野菜のサラダにした。此の鍋は毎朝使うので、目の前にぶら下がる。パイはオーブンに入れ、温め直した。
下拵えは完璧なのに、畜生在の鍋、何でったって御前はそんな高い場所に居る。俺が届かないでは無いか。
もう一度踏み台に乗り、良し、良し、後少しだ。と云う所で、踏み台に乗せた本が滑り、後ろに身体が向いた。後ろにはカウンター、鍋を取ろうとして打撲とは医者に笑われる。
「…………帰ったよ…」
カウンターの強烈な打撃を構えて居ただけに、柔らかい腕の感触には驚いた。尤も、一番驚いて居るのはヘンリーだが。
すっぽりとヘンリーに抱えられた俺は、其の緑色の目に見惚れた。
「踊ってるの?」
「いいや…鍋を取ろうとして…」
「嗚呼。」
踏み台から落ちた本、其れを見たヘンリーは少し笑い、俺の頭をぽんぽんと二回叩くと踏み台に乗った。
「何れ?」
「円錐の深い奴、ビーフシチュー作るから。」
「嗚呼、此れ…かい…?」
ず…ず…と重たい音を立て鍋は姿を現し、ヘンリーから受け取った。
「序でに全部出しとくよ。」
目当ての鍋を床に置き、渡される鍋を次々と受けた。
此の収納場所、他の家庭は使って居るのだろうか。
「此れで全部かい?」
床を埋め尽くす鍋、良くも収まって居たと感心する。
「有難う…」
「…いいえ…」
目当ての鍋以外の鍋をヘンリーはリビングに並べ、新たに収納する場所を探して居た。
「一寸不自然だけど廊下に置こうか。」
「うん、明日棚買って来る。」
キッチンに棚を置く広さは無い、置いたら冷蔵庫が開かなくなる。兎に角狭いんだ、此のキッチン。でも文句は云えない、だって此のアパートは一人暮らし向きだから。
ヘンリーはソファに座り、新聞を広げる。今からメインを作ると為れば、二時間は掛かるかも知れない。ビーフシチューは、煮込みが命です。
ベーススープを作るだけで三十分掛かった。其の間俺は「御腹空かない?」「大丈夫?」を繰り返し聞いた。新聞読んで居たヘンリーは、新聞を置くとまじまじ俺を見、首を捻る。
「君は誰だい…」
昨日迄の俺なら、幾らヘンリーが空腹で喚いても「我慢しろ」の一言しか云わなかった。
俺であって俺で無い俺に、ヘンリーは調子狂いっぱなしな様子。
「大丈夫だから。」
「サラダ、食べるか…?」
「嗚呼そうだね、頂こうか。」
キッチンにサラダを取りに行こうとした矢先、後ろに引かれた。
「ヘンリー?」
「男の子が働いてるみたい。可愛い…」
「だろう?だろう?此れなら女に見えないよな?」
「エプロンが大きいのも、可愛いよね。」
「服、脱がすなよ…、晒布でぎちぎちに締めてるんだから…」
「嗚呼、だからか。可愛い…っ」
可愛い、を連発し、思い切りハグをされた。
此れが俺みたく子供嫌いなら、救い様が無い。
女も駄目、子供も駄目、如何する事も出来ず途方に暮れた。ヘンリーに少年愛の傾向が見られて良かったよ。
部屋にベーススープの匂いが立ち込め、鍋に向かおうとしたが腕は離れない。
「ヘンリー、一寸。鍋…」
「んー…」
「火、火…」
ヘンリーは俺をソファに寝かすと一人立ち上がり、火を止めるとサラダとフルーツを持って戻って来た。
「ビーフシチュー…」
いや、其処迄ビーフシチューが食べたい訳では無いが、ヘンリーが空腹だろうと。葡萄を一房摘んだヘンリーは、下から一つ実を千切って食べたい。
「あーん。」
「あー。」
房を高く上げられ、反射的に口を開いた。唇に触れた時ヘンリーは上げ、其れを何回か繰り返した。
「良いね、楽しい。昔を思い出す。」
ヘンリーには弟が三人居る。彼等とこうして良く、ソファで遊んで居たらしい。漸く一つ口に含む事が出来、咀嚼した。葡萄を置いたヘンリーはサラダを掬い、俺の口に運ぶ。ブロッコリーの甘い味が広がる。
「パイを、買った。」
「嗚呼。帰って来た時知った在の甘い匂いはパイか。」
オーブンに入るパイをヘンリーは出し、ソファの前にあるテーブルに乗せる。
結局、あんなに苦労して取った鍋はベーススープを作っただけ、セッティングしたテーブルも全くの無駄に為った。
昨日迄の俺なら、何が何でもビーフシチューを作り、テーブルに向いただろう。俺はそうした食事法しか知らない。けれど、今の俺は、ヘンリーが遊ぶ侭に口を動かす。
ヘンリーはひょっとすると、こうした食べ方が好きなのか。ソファにだらし無く座り、手当たり次第に順番も関係無く食べる。
俺は一度も考えた事が無かった。
聞くとすんなりと頷く。
「いやぁ、キースとはさ、育ちが完全に違うでしょう。キースがそんな事するとは思えないから。」
云って、下から葡萄を食べた。
「嗚呼ねえ、知ってる?」
「ん?」
サラダを食べ乍ら俺は聞く。
此の体勢が又面白い。俺はきちんと座って前を向いて食べて居るのだが、ヘンリーは横を向き、ソファに両足乗せ、少し寝て食べて居る(何でも、横を向き両足を乗せて居ると、自分が食べ様と思って居たのを食べられた時、簡単に蹴る事が出来るからだそうだ)。
「亜米利加のコースってね、パンにバターとジャムが付いてるんだよ。」
「は…?何で?」
「知らない。衝撃だよね。」
パンを持って居た為かヘンリーは思い出したらしい。
「亜米利加って、謎だよね。」
「うん。」
サラダを食べ終えた俺はパンを食べ、ビーフシチューの予定だった。だからパンをバスケットに入れたんだ。パンだけ食べても味気無いので、バターとアプリコットのジャム(隣の御婦人御自慢作)を持って来た。
「要る?」
今迄其の侭で食べて居たヘンリーに、今更だが瓶を向けた。
「サラダ挟んで食べる。」
嗚呼、そう云う手もあった。
全く俺って奴は、素直なのかそうで無いのか判らない。
「キースって、何処で如何食べても順番は守るんだね。」
「御前は無法地帯だな。」
笑って、ヘンリーの手を掴み、サラダを挟んだパンを一口頂いた。ヘンリーは一瞬驚き片眉曲げ、ふふ、と逆から食べた。
「仮に、だよ。俺達が生きて居る間に戦争が起きたとするよ。」
「うん。」
パンを左右から食べた。
「俺達は軍に居るよね、戦地に行く訳。其れでも君の食事は、スープで始まりデザートで終わるのかい?」
ヘンリーの一口は矢鱈に大きい、がぶりと俺の唇に触れそうに為った。口に残されたパンを口に押し込み、ワインで流した。
「知らないのか?ヘンリー。」
「ん?」
ヘンリーは水を飲み、オレンジを食べる。
「俺は未だ少尉だが、佐官からの軍艦は、管楽隊引き連れ、フルコース。スープで始まりデザートで終わる。大将、元帥と為ったら、内容も凄いんだろうな。」
羨望と自慢を舌先に教えた。
「畜生、ロイヤル、死んじまえ。」
其の味に不満を漏らすヘンリー。オレンジの味も気に食わないのか、パイに手を伸ばす。
「もう良いよ、ロイヤルの自慢話は。」
心底辟易した溜息でパイを食べた。さっくりとした音が響き、ヘンリーの服に模様を作る。俺の持つ純白の皿上にも模様は作られる。
「うん…」
フォークを静かに置いた。
自慢した訳では無いが傲慢な性格上、俺の云う事全てを自慢に捉えるヘンリーは、「自慢するな」に対し「うん」と、謝罪の返事だと捉えて仕舞った。
俺は、自慢した積もりは無いので謝罪の積もり等全く無かったし、ヘンリーの様な考えも無かった。
素直に、軍艦の上でスープに始まりデザートに終わる、其れを知る事が出来るかの、悲観だった。
「戻るん…だろうか…」
皿を持つ手が震えた。
「女の軍人何て…ジャンヌ・ダルクか…、俺は…」
「キース…」
ヘンリーは指先で俺の頬を撫で、見詰めた侭優しく皿を取り上げるとテーブルに置いた。
「御出で、御出でほら、キース。」
項を引き寄せられ、首筋を三本の指先で撫で乍ら、もう片方の腕で抱き締め、頭にはキスを呉れた。俺は握った両手を合わせ、口元で震わせた。
「大丈夫だよ、大丈夫。」
全く何が大丈夫なのか聞きたい。大丈夫な事等何一つも無いのに、ヘンリーは云う。御前が同じに為っても大丈夫の一言で戻れるか否かの不安を安心に変えられるのかと、内心腹立ちさを感じたが、ヘンリーの“大丈夫”は、何も、「大丈夫、戻れる」では無い事だと知った。
「大丈夫、大丈夫。君がどんな姿でも、俺はこうして横に居るから。大丈夫。」
拳は涙に濡れた。拭っても拭っても涙は溢れた。
「ヘンリー、無理しなくて良い…」
若し俺がヘンリーの立場なら逃げる。此れは俺が女嫌いだから、でもだからと云って、耐久があるだけで女が好きでは無いヘンリーと此の関係を続けて行く事は不可能。
「大丈夫。」
安らかな光を宿す目は、俺を捉えた侭動かない。其の中に居る事が倖せだと、全身に教えて呉れた。
「俺が不安な時、君は傍に居て呉れた。何度突き放しても、君は俺の傍に居て呉れた。」
「ヘンリー、其れは…」
仕事だから。
仕事で無ければ誰が、あんないかれた連中の相手をするか。俺が上に行く為の踏み台にしか過ぎない。
でも、ヘンリーの云う通り、俺は私情でヘンリーの傍に居た。思いを仕事と云う建前に隠した。其れを脆く落城させたのは、他でも無い、ヘンリー本人。
「今度は、俺の番だよ、キース。」
キスに安堵を覚えるとは、俺も中々、素直で純粋だ。




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