赤い口


やられた。又、やられた。
時一が来る度、何故か化粧品が減る。最初の内は、まあ良いかと放って於いた。其の甘やかしが仇と為ったのか、日に日に厚かましく為ってゆく。如何せん、菅原時一。
「時一ッ」
首根っこを掴まれ、時一は、化粧台の前に正座させられた。鏡に映る般若の顔が、恐ろしい。
「今迄、何を盗ったのかしら?」
「ええっと…」
赤く色付く口が、歪む。
「一体今迄、何度紅を買ったか。貴方、御存知?」
「…俺の知る限りでは…四回、です…」
項垂れ、呟く。今日こそは、この怒り晴らそう。
「四回、良くもまあいけしゃあしゃあと、六回ですッ」
「あ、あは…。そんなに、頂いてますかねぇ…?」
「頂いてますかねぇ…?時一ッ」
「大変申し訳御座居ませんッ」
靴で出入りを繰り返す床に、時一は額を擦り付け、謝罪した。其れでも時恵の顔は戻らず、怒りに満ちている。
「如何してそんなに紅が要るの、貴方ッ」
「来る度に新しい紅で、色も違って、嗚呼もう此れは頂かないと、と思いまして…」
「思いましてじゃありませんッ、高いのよッ」
「済みません…」
化粧品が欲しいのなら、自分で買いに行けば良いのだが、女装はする癖に化粧品は買いに行けない、其の葛藤。時恵の化粧台を見る度、其の艶と匂いに、衝動が抑えられない。悪い事とは思っている。然し、其の葛藤で、ついつい手が伸びる。時恵が何も云わない事を良い事に、恰も自分の物の様に扱って仕舞った事、時一は其れを深く謝罪した。
其れでも、時恵は結局、時一には甘いのだ。溜息を零しただけで許した。
「仕様の無い子ね…」
「全く本当に、申し訳無い限りで…」
金が無く盗っているのなら、時恵も何も云わない。此れでも軍医。金はある。買いに行けないから、盗っている。時恵は其れを充分理解している。だから云った。
「欲しい時はワタクシに仰い。付いて行ってあげるから。」
昔を思い出す。自分も、母の化粧品を良くくすね、怒られていた。幼い顔には全く不釣合いな紅。そうして、自分にだけ与えられた化粧品。あの時の嬉しさは、今でも忘れない。其れを、時一にも、教えてやろう。
「ほ、本当ですか?」
「ええ、本当よ。今からでも良いわ。買いに行きましょうか。」
光り輝く時一の顔。
「俺、一生姉上に尽くします。」
「其れは良い心掛けね。けれどね時一。」
誰が教えた訳でもない綺麗に施された化粧。頬紅の乗る頬を、そっと触った。
「其の恰好の時、俺、は御止め為さい。淑女たる者、あたくしと仰い。宜しいかしら。」
「以後、気を付けますわ。」
首を傾げ、時恵の口調を真似る。其の姿に、時恵は微笑んだ。そうして思う。もう一人、言葉を正さなければならない人間が居る事を。
加納琥珀、其の人だ。




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