赤い口
愚痴愚痴と振る小言に、琥珀の頭は破裂寸前だった。一体誰が言葉使いを教えて呉れただろう。こんな事なら、時恵に教わって於けば良かったと、俯き、大佐夫人の言葉を聞いていた。
「貴女に、元帥夫人としての自覚が無い様見受けられます。先ず其の言葉使い。だもん、等、あたくし共は一度も主人に使った事は、御座いません。」
能面の様に厚く化粧塗りたくった其の顔が、恨めしい。化粧を落としたら、一体何れ程深い皺が刻み込まれているのか。想像したら、笑えた。
「聞いていらっしゃって?琥珀さん。」
「はあ…」
気の抜けた琥珀の声に、大佐夫人の皺は深くなる。夫人の様に遊ばせ言葉を使えとでも云うのか。使う自分を考えたら、鳥肌が立った。
「でもね、夫人…」
「でもね?」
「あ、いえ、けれども夫人。馨さんは、何も云わないんですけど…」
「加納様がそう仰っても、妻として、品を落とすのでしてよッ、御解り?」
「済みません…」
「済みません、では無く、申し訳御座居ません。全く、品の欠片も無い方です事。品性下劣とは、まさに貴女に相応しい言葉でしてね。」
琥珀の眉間が動く。品性下劣は、裏表の激しい御前じゃないかと、叫びたい心を押し留めた。
来訪者を継げるベルが鳴る。助かった、と琥珀は胸を撫で下ろした。
「一寸失礼を。」
逃げる様に大佐夫人の前から姿を消し、ドアーを開いた。
「御機嫌よう、琥珀。今、宜しいかしら。」
微笑む時恵に、琥珀は抱き付いた。
「助けてぇ…」
「あらまあ、如何為さって?」
「大佐夫人が怖いよう…」
「あらまあ。」
薄く笑い、時一を見た。此の恰好を見たら、何を云われるか。然し、引き返す事は出来無い。人が来たのは知れて居るのだから。
「時一、宜しいかしら。」
「ええ、心得ておりますわ。姉上。あたくし、女として、善処を尽くしましてよ。」
「結構よ。」
赤く色付く口から、琥珀が話せない言葉を難なく出す時一。
決定的だ。
此れは心得云々では無く、育ちの問題だ。英吉利の、娼婦の子が、一体如何して話せ様。
何時迄経っても戻って来ない琥珀に、大佐夫人はのっそりと姿を現した。客人を通しもせず、一体何をして居るのかと。
「琥珀さん。御玄関で立ち話を為さっては、御相手に失礼でしてよ。」
「も…申し訳度座居ません…」
大佐夫人の顔に、時恵は息を吐いた。成程。此れは小言を云いそうな顔だと、琥珀を哀れんだ。
「失礼を致しました、大佐夫人。ワタクシ、本郷時恵と申します。不躾乍らワタクシ共も御邪魔しても宜しゅう御座居ますか?」
「本郷?」
其の名前に、大佐夫人は眉を顰めた。立場的には、時恵の方が上。時恵も又元帥夫人で、そして、今は亡き木島両者の娘で妹。留め、天皇家の血を引く。絶対に揺るぐ事の無い地位。天皇家を除けば、国内で一番高い女の地位に居るかも知れない。
夫は陸軍元帥、父は総理大臣、兄も又陸軍元帥、母方は公家の血筋……此れ程全ての地位を持つ女が他に居るだろうか。何処を探しても、居る訳は無い。
青褪めた大佐夫人は、一気に老け、座り込んだ。
「本郷夫人で…、此れは不躾な真似を致しまして…、何と御詫び申して良い事か…あたくし…」
「宜しいのですよ。御仲間に入れて頂ければ。」
其の滑稽たる大佐夫人の顔に、琥珀は笑った。何とも情けなや、大佐夫人。所詮は商人の娘。時恵には勝てっこない。
上げた視線に、時一が映る。大佐夫人は首を傾げた。
「其の方は…」
時恵の大きな目が、細く動く。
「私の、妹ですわ。御挨拶為さい。」
云われ、時一は、昔の様に高い声を出した。
「御機嫌よう、大佐夫人。御挨拶が遅れ、申し訳御座いません。是非とも、混ぜて頂きたいですわ。」
肩を竦め笑う時一。
女だ。
何処から如何見ても女だった。琥珀はそんな時一を、睨んだ。
「嗚呼、姉上。琥珀さんが怖いですわ。あたくし、怖くて泣いて仕舞いそう。」
時恵の背中に隠れる様にして笑う。何が怖いか、御前の方が余程怖い。
「良くもまあ、そんなに化けれるもんね…」
恨めしそうに呟く琥珀に、時一は男の顔で、にやりと笑った。そうして、聞こえない様に耳元で云った。
「御前も、生きていたいのなら、身に付ける事だな。」
低い其の声に、琥珀は、頬を膨らませた。
「Is not fair!」
久し振りに出た琥珀の母国語に、時一は赤い口を伸ばし笑った。
流石に、時恵の前で琥珀に小言の云えない大佐夫人は、尻尾を巻き乍ら、すごすごと退散して行った。其れに喜ぶ琥珀。
琥珀艦隊、最早敵無し。圧勝である。
「有難う、時恵ぇ。」
強く抱擁し、然し冷たく離され、首を傾げた。何時もならがしりと来る所だ。
「有難う御座居ます、助かりましたわ、時恵さん。でしょう?」
時一と云い琥珀と云い、甘やかした成れの果てを、時恵は厳しい顔で睨んだ。
「嗚呼、酷いよぅ…」
「観念する事だな、馬鹿女。」
時一の嫌味に、琥珀は睨んだ。赤い口が、恨めしい。
〔
*prev|3/4|
next#〕
T-ss