欲を司った
「ヘンリーのね、体調が、優れないみたいなんだ。」
マウリッツは薄く笑った。
「何でだか、貴方、知ってる?」
けれど男は顔を向けず、珈琲の苦味とミルクの柔らかい味を、口の中で楽しんでいた。
「…さあ、俺は知らないよ。」
漸く顔を上げ、笑って居ない目元を晒した。マウリッツはそんな人事の様な男に近付き、幼い顔を冷たくさせた。
「ロワ元帥。貴方が来てからだよ。知らない訳無いでしょう?」
冷たいが、矢張り品のある顔だなと、男は思った。机に置かれる兎が、長い耳を書類に乗せた侭寝ている。兎が起きる迄待ってね、と云う言葉を男は素直に待って居た。
「ヘンリーに、何をしたの?」
兎から目を離し、男は笑う。
「聞いて如何するの。」
「じゃあ質問を変えるね。」
マウリッツの顔が更に近付き、静かに男の喉元を手で締めた。
「今更ヘンリーに何の用?何の目的で英吉利に近付いたの。答えて、ムッシュ。貴方が云ったんでしょう。」
「俺とアンリの事、知ってんの?」
「僕の質問にだけ答えて。」
細い薄い女の様な手をぐっと沈め、男の息を薄くする。微かに、血の臭いがした。
「俺は…仏蘭西を愛してるんだ…」
「其れで?今更英吉利に近付いたの?ヘンリーが嫌がるのを知って?」
耳に掛かる息。愛らしいマウリッツの声が、頭に響く。
「今、此処で、和蘭の為に、貴方を殺す事だって出来るよぅ。今ヘンリーに倒れられたら、こっちも困るんだ。」
マウリッツは云い、手を離した。酷く悲しく濡れている目は、普段なら何か感情を伝える筈なのだが、今は其れが無い。唯、濡れていた。
男は襟元を直し、息を吐いた。
「俺だって驚いたんだよ、同姓同名かと思ったら本人なんだもん。アンリが目的で提案したんじゃ無い、此れは良い誤算。強いて云うなら、海老で鯛を釣った。」
「だったら、何で?武器を和蘭と英吉利に売って迄して、何が目的なの?仏蘭西に利益は無いじゃない。」
男の目から、笑みが消えた。じっとりとした膜を張った様な目に、マウリッツは違う不気味さを知る。
「云ったでしょう、仏蘭西が大事だって。軍隊売っても、安い位だよ。仏蘭西は、潰れない。例え俺達が潰れても。」
其れが、本心だった。
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