子供の行為、大人の遊び


龍太郎を残し、三人は明日東京に戻る。流石に此の人数が此処に泊まれる筈無く、車で一時間程離れた旅館に泊まる。恵御は琥珀と離れたくないと泣き喚き、困り果てた宗一は暫く東京に行っていろ、少しうちを休ませろと同行させた。
面倒は琥珀が見る。此れでも母親、恵御とヴィクトリアは年が近い。扱いは同じだろうと気に止める様子も無かった。龍太郎はそんな琥珀に驚き、此れが在の我が儘放題の琥珀だろうかと首を傾げた。
恵御が居ない為二階から時恵は下り、其処で食事を済ませた。此れと云って話は無かったが、龍太郎と向かい合って食事が出来る事が時恵には幸福だった。一晩だけと云う条件で龍太郎の床を時恵の横に敷き、月を眺めた。
藍色の空に黄色い月が浮かび、時恵は云った。
「初めて、龍太郎様に御会いした時の軍服に見えますわ。」
「嗚呼、在の軍服。」
在の時の軍服は、藍色に金の釦。同じ様に月が浮かび、二人を引き合わせた。思い出した時恵は薄く涙を流し、瞬きもせず月を眺めた。
「御慕い申し上げておりますわ、龍太郎様。」
「…嬉しい事を。おぜうさん。」
年で掠れた龍太郎の声。父親に似ていた。
其の時だ。黄色い月が一瞬白く見え、ぼわりと月の輪郭が歪んだ。
「…………白蓮…?違うわ、銀かすら…」
去年死んだ銀と、白蓮が時恵には見えた。
銀も白蓮同様、時恵に抱かれ死んだ。老衰で、覚悟はしていたが二人には矢張り辛いものであった。銀の死は時恵より龍太郎の方が辛く、暫く寝込んだ位だ。一姫二太郎、良い人生だったと、今にも死にそうな声で云った龍太郎に時恵は呆れた。
其の、白蓮と銀の名前を時恵は云った。龍太郎の背中に悪寒が走り、月を眺める時恵の顔を見た。薄く笑い、気味悪さを覚える。
「嗚呼、白蓮だったの。」
「…待、て。」
月に手を伸ばした時恵の腕を龍太郎は引き、其の侭カーテンを引いた。荒く息を繰り返す龍太郎に時恵は首を傾げ、蒼白する頬に触れた。
「如何、為すったの?」
「未だ…」
呟き、俯いた。
「頼む白蓮、もう少し…。もう少しだけ時恵と居させてくれ…」
右目から涙が落ち、時恵が拭っても溢れて来た。
「龍太郎様った、…ら…」
言葉が最後迄云え無かった。息が詰まり、息が出来無くなった。自身の心臓が強く揺れるのを時恵は知り、龍太郎から離れると障子に触れた。
兄上。
呼ぼうと出した声の変わりに血が吹き出た。
白い障子紙が赤く染まり、荒く掴んだ所為で障子ごと時恵は廊下に倒れた。
「時恵…?」
障子を下敷きに血を吐き続ける時恵の姿に龍太郎は慌てて掛け寄った。
「時恵っ、時恵っ」
響いた物音に様子を見に来た侑徒は其の光景に叫んだ。
「先生ぇっ、先生ぇえっ」
侑徒の声に宗一は、等々来たのかと、自分でも驚く程ゆっくりとした歩みで階段を登った。
矢張りそうか、と廊下を血で満たし其れでも血を吐き続ける時恵に宗一は寄った。侑徒を退かせ、倒れている時恵を抱き上げ、虚ろな目で宗一を捉えると時恵は薄く笑った。
「もう、ええ…もうええわ…。しんどいやろう…?」
歌う様に宗一は云い、其の言葉に時恵は泣き出した。
「未だ…死にたく…ないです…わ…」
縋る様に龍太郎にしがみ付き、痩せて一層小さくなった時恵の身体を抱き締めた。
死ぬもんか。
心で思うが口に出ない。出るのは涙だけだった。
龍太郎の無言に、そうか、もう死ぬのか、随分と呆気無いと時恵は笑い、小さく呟いた。
死んだら、時一の愛する独逸に行きたい。
其の言葉に宗一は何度も頷き、逆流しない様に吐く血を拭いた。
「龍太郎様。」
「ん?」
又血を吐き、今度は龍太郎が拭いた。
吊り上がる龍太郎の目に愛おしさが溢れ、痙攣を始めた指でなぞった。
「時恵は…世界一倖せでしたわ。」
「俺もだよ…時恵。」
笑った目から涙が零れ、大きな、龍太郎の大好きな目を又開いた。
「又…月を…」
「嗚呼…来世でも、必ず…一緒に月を見様…時恵…必ず…」
ばたりと時恵の頬に涙が落ち、笑って下さいませ、そう笑う。両頬を覆い、額と唇をくっ付けた。笑いたくても笑えない。最期は笑顔で送ってやりたい。
けれど零れるのは熱い涙と、形に出来ない愛だった。
「愛してるぞ…時恵…。俺を置いて…行かないでくれ…」
時恵は何も云わず薄く笑うだけで、最後に血を吐いた。其の中で聞こえた声。


御慕い申し上げておりますわ、龍太郎様。


薄く笑う口から血が流れ、其れを見た侑徒は宗一を見た。放心した侭時恵を眺め、しかし其の顔は何処か安堵していた。
「頑張った…よお頑張った…時恵…又な…」
赤味を帯びる優しい目で笑い、時恵に触れた。
侑徒はふと気になり、月を見た。今日は一体どんな月なのだろうかと、見上げた月は炯々とし時恵を照らしていた。天女が迎えに来たかぐや姫みたいだ、そう思った。
そして、吠える狼の声を聞いた。
「時恵…っ、時恵っ」
とても悲しく、涙を誘われたが、侑徒は泣かなかった。泣けなかった。泣き方を知らなかった。
「時恵…」
此の腕の中に居る時恵は、もう笑ってくれない。二度と、自分には触れてくれない。
涙が止まる、訳は無かった。
止める術があるなら、教えて欲しかった。




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