ヨーゼフという名前
相変わらずルートヴィヒの笑顔、と呼んで良いか判らない笑顔はサディスティックさを含み、時一を見て居た。質問に答えてやっても良い、と云っては居るが、一時間以上此の笑顔を見て居る。正直、望みは薄い。
食べて居たショコラーデの箱が空になった事にルートヴィヒは悲しみ、もっと食べたいな、そう云った。
「マカロンならあるぞ。」
横に座って居たハンスが口を開くが、誰が仏蘭西菓子等食べるか、とあっさり却下された。
空き箱を解体し始めたルートヴィヒは云う。
「タマコ嬢が作る在れ、在れは何て云いましたっけね。黄色くて卵を使ったマシュマロみたいな奴。」
「珠子さんが作るマシュマロ?」
「ロールケーキみたいな奴だよ。」
ハンスは人差し指で円を描き、時一に伝え様とするが上手く伝わらない。甘くふわふわした在れ、と二人は云うが時一には今一つ理解出来無い。其れと云うのも、時一は卵が嫌いで、卵の味がするのを一切食べない。
卵を使ったロールケーキの様な物、で浮かんだのは卵焼きであるが、在れは甘くない。其れにとろみはあるがマシュマロの様な柔らかさは無い。其れかと聞いたら違うと即答される始末。
「タマゴヤキよりもっと柔らかくて、もっと丸い。本当、ロールケーキみたいな。」
「日本のロールケーキ、と私は云ってる。」
そんな和菓子があったであろうかと時一は頭を振り絞る。ルートヴィヒの笑顔からして、其の代物を渡さなければ、質問の答えを知れそうに無いからだ。
「若しかして、伊達巻きの事云ってらっしゃる?」
買い物に行って居た珠子が帰宅し、偶然聞いた会話に姿を見せた。
「嗚呼、此れはタマコ嬢。今日も美しい。」
ソファからルートヴィヒは立ち上がり、杖を持たない方の手を掬い上げるとキスをした。
「タマコ、買い物なら俺がするって云ってるだろう?」
情勢が悪化し、何時敵襲が来るか判らない中、珠子を出歩かせるのは良いとは云えない。其れに珠子は如何見ても日本人である。収容の対象であり、尚且、杖を突いて居る。何時見回りから連行されるか判った物では無い。将校達は珠子の顔姿を完全に覚えて居るので問題は無いが、何百と居る見回り達が知る訳は無い。
珠子を間違って収容でもしてみろ。此の二人の天使のフルコースをアリアの旋律と共に味わえる。
「良いのよ、ロッテが付いて来てくれるから。ね。」
「はい、奥様。」
ロッテとは此の家に奉公する娘である。二十歳と若いが、珠子と大して見た目が変わらない。
満面の笑みで珠子に答えると、買った物を矢張り笑顔で片し始めた。ロッテは何時も笑顔で、何時も珠子と二人で家事をして居る。手伝いに来て居るのに一緒に家事をする処が、珠子の優しさである。
時一は其れに対して何も云わない。
時一がロッテに求めるのは“珠子の安全”だけであり、家事等は一切求めて居ない。
ロッテにはクラウスの署名入りの身分証明書を持って貰って居る。見回りが来た場合提示する物である。
なので一々ハンスが珠子の変わりに買い物に行かず共構わないのだが、如何やらハンスは珠子が可愛くて仕様が無い様子である。昔から此のハンスは、人形の様な人間に弱い。
「御帰り為さい、珠子さん。何を買って来たんです?」
ルートヴィヒ達を家に呼んだ理由を知られ無い為に時一は態と話を逸らし、椅子を引いた。
「そう、帽子を買ったのよ。時一さんのね。」
「僕の?」
「後、卵。」
「珠子さん…、本当に、卵好きですね…」
「タマコ、だからね。ふふ…」
「あ…っ」
「貴方も私が好きならEiを好きにならなきゃ…。うふふ…」
因みに今の会話は当然二人にしか理解出来ず、他三人は、珠子だから卵が好き、と云う意味に首を傾げた。
「タマコと云う名前は、アイが好きなのか…?」
「奥様は偶に、不思議な事を仰います。」
「タマコ嬢は謎に満ちてるね。其れが又日本人らしくて良い。」
「処で。」
珠子は珈琲を一口飲むとルートヴィヒに聞いた。
「伊達巻きが如何かして?」
「ダテマキ…」
「云ってらっしゃったでしょう。ロールケーキみたいなの云々。」
「嗚呼、在れ。ダテマキか。」
ふんふんとルートヴィヒは頷き、食べたい、そう云った。
「…今?」
「Ja.」
「其れは無理よ。だって白身魚が無いんだもの。」
だから無理、と顔を逸らし珈琲を飲む。
「時一さん。アルツト メンゲレは、其れだけの為に来たの?」
時一は一瞬固まり、ちろりとルートヴィヒを見た。小さく数回頷いたので、何事も無い様に其の言葉を肯定した。
「そう、困ったわね。白身魚が無いと在れは無理なのよ。Entschuldigung...」
申し訳無さそうに頭を下げる珠子にルートヴィヒは何だか悪い事をさせた気分に陥った。時一を一瞥し、ハンスに向き直ると、では日を改めて、そう残し帰って行った。
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