Diktatur-独裁
記憶にあったのは、在の愛らしい笑顔。勿論其の笑顔で迎え入れてくれるとばかり思って居た総統閣下は絶句し、震える口元を指で隠した。
「ヨーゼフ…、ヨーゼフ…」
声は震え、在の姿が子供みたく狼狽して居るのを想像し時一は笑ったが、総統閣下には時一特有の曖昧な作り笑いと取られた。
「笑うな…痛々しい…。何て事だ…ヨーゼフ………」
肉厚の暖かい手が包帯に触れ、布を越して体温を教えた。何度も髪を撫で、包帯から食み出る変色し始めた皮膚に苦しさを感じた。
「痛くは無いか?大丈夫か?可哀相に…」
心配の言葉を何度も繰り返す総統閣下に、笑って大丈夫だと時一も繰り返した。我が子がこうなったかの様に心配と狼狽を入り混ぜ、そんな総統閣下の姿にクラウスは俯いた。自分が時一と同じになった場合、こうはならないだろうと、羨ましさから目を背けた。
泣きそうな程顔を歪ませた総統閣下は、髪から手を離すとクラウスを横目で睨み付けた。
「御前が傍に居ておき乍ら…ヒラー元帥…。御前は一体、何をして居たんだ、ええ?」
「申し訳無い限りで、総統閣下。」
時一には“ヨーゼフ”と呼んだのに対し、クラウスには、自分で付けた“クラウス”と云う名前でさえ呼ば無い。“ヒラー元帥”と、時一がこうなった責任を元帥に持たせた。
「黙れ。謝罪なら、幾らでも出来る。」
何時もの強い声が聞こえたと思った矢先ふっと前から気配が消え、不安を覚えた時一は総統閣下の姿を探した。足速にクラウスに近付く其の音は判ったが、時一には未だ総統閣下の気配を身体で感じる事は出来無い。音のする方に顔を向けるが音が反響し、頭を動かす程位置が判らなくなった。
「総統閣下…、総統閣下。何方に…」
手を伸ばし自分を探す時一の姿に気付いた総統閣下は傷付いた様な顔で足を止めた。
「総統閣下…」
真逆を向いて居る時一の姿に小さく舌打ちすると、クラウスから踵を返した。
「私は此処だよ、ヨーゼフ。」
真逆に伸びる腕を引き、安心の笑みを零す時一に益々胸が苦しくなった。ふっと時一の顔から表情が無くなり、石膏像の様な顔に総統閣下は険しい顔をした。歪に口元が変形し、無理矢理笑って居るのか泣いて居るのか良く判らなかったが、自分の身体を伝い床に座り込んだので泣いて居る事が理解出来た。
「貴方の顔が見たい…」
吐かれた言葉に何も云えず、唯クラウスを睨み付けた。其の目は、御前がこうなれば良かったのに、と云って居た。握り締める服から離れた手は一つ一つを確かめる様に顔に張り付いた。
「此れが目、此れが口…。判るのに…判るのに…」
何故貴方の顔が判らないんだ。
顔から離れた手は床を殴り付け、Nein Neinと繰り返した。
「此の顔も違うっ、此れも違うっ。何で、何で貴方の顔だけが判らないんだっ」
頭に浮かぶ顔と目の前に居る人物が一致しない苛立ちに時一は叫び、涙の出ない事に一層腹を立てた。
涙の出ない時一の代わりに総統閣下が泣いて居た。濡れる頬に時一の手を置き、自分のパーツを指先に教えた。
鼻に触れた瞬間指先が強張り、時一は首を傾げた。
「……………クラウス…?」
総統閣下の肩が揺れ、握り締めて居た手首から手を離した。
「俺とクラウスは…同じ顔か…」
吐かれた言葉に時一は驚き、もう一度鼻を触った。
「あ…………」
ゆっくりと横に伸びる口から嬉しそうな声が出る。
「判ります、総統閣下の御顔。そうだ、此の顔だ。」
はっきりと頭に浮かび上がった総統閣下の顔に時一は満足に笑うが、総統閣下は笑え無かった。クラウスが比べられる事はあっても、クラウスと比べられる事が無い総統閣下は酷く狼狽し、笑う時一を呆然と見る事しか出来無かった。眩暈を覚え、涙の流れる目を触ったが眩暈は消えない。唯泣く事しか出来ず、眩暈も指の震えも止まらなかった。
「俺は、クラウスじゃない…」
落胆する姿にクラウスは肩に触れたが、無残に、蠅でも払う様に跳ね退けられた。
「私に…」
縋る様に時一の両肩を掴んだ。
「私に、絶対な忠誠を誓ったのでは無いのか…。ヨーゼフ…」
「勿論。貴方に。そして此の独逸に。変わらぬTreueを。」
「だったら何故…。私とクラウスを間違える…?」
其の言葉に笑顔が消え、頬の筋肉を落とした。確認する様に総統閣下の顔を何度も触り、唇から血の気を引かした。まさかそんな筈は無いと右手を伸ばし、手探りでクラウスの顔を探した。躊躇い乍らも顔を近付け、冷たく震える時一の指先を頬に感じた。唇を摘まれ、叩く様に冷たい手を付けられる。
「ヨーゼフ…」
クラウスの声に真青な顔は歪み、クラウスの顔から手を離しきちんと両手で総統閣下の顔を触った。
「嘘だ…」
「其れは私が云いたい、ヨーゼフ…」
「だって、此の顔は…」
「此の顔が私だ。君が絶対忠誠を誓った男のな。」
「そんな…」
間違えられた本人以上に時一は狼狽し、顔から手を離し自分の顔に触れた。柔らかい包帯の感触が酷く不快で、自分の顔で無い気がした。
「Nein...」
激しい吐き気と頭痛が襲い、耳鳴りの中で総統閣下の声を聞いた。鈴の音色の様で心地好く、ほんのりと明るい世界を見た。
クラウスの制止の手も間に合わず、顔に張り付いた仮面を引き剥がす様に包帯を床に落とした。白く濁る、不自然に外を向いた想像以上の有様に総統閣下は口元を隠し、背中を向けた。机に手を置き、嗚咽を堪えた。其の声だけは聞かせまいと必死に力を込め、時一の忠誠心に何も見えなくなった。机の上の書類は水分を含み、インキが滲む。けれど、幾ら泣こうが其の絶対忠誠の結果は変え様が無かった。
「クラウス…」
「はい。」
包帯を剥がし放心する時一から離れ、光の無い目で総統閣下を見た。
「御前は…、何を無くした…」
低く呻かれる声に何も答えれず俯いた。答えが無いから答えられない訳では無い、答えはあるが云えないだけであった。
クラウスの無言に鼻で笑い、充血した目で睨み付けた。
「ハンスは、人生全てを無くした。結婚も何もかも諦めた、御前が云う独逸の勝利の為にな。ヨーゼフは目だ。ルートヴィヒは?」
「善良な心を…」
「そうだ。もう一人の日本人は。」
「アルツト スガハラ…」
「ソウイツはヨーゼフを無くした。御前は知らないだろう、在の二人が……」
突き付けて居た指は怒りで震え始め、強く握り締めると声を絞り出した。
「御前は何を無くした。絶対忠誠と引き換えに、御前は何を無くした…?」
自分の目は怒りで揺れ、充血して居ると云うのに、其の自分を見る息子の目は何とも無かった。冷たい訳でも呆れて居る訳でも悲しい訳でも無い、唯の目を向けて居た。此れが人間の目かと思うと吐き気がし、時一の方が余程人間らしいと感じた。
感情を剥き出す総統閣下が、クラウスには一体誰なのか判らなかった。独逸の先導者なのか、自分の父親なのか。
其の疑問の答えを求める様に、総統閣下からの質問に答えた。
「貴方からの、父親としての愛を。」
全く生気の無いクラウスの目は自分を見据え、無くした愛情に気付く事より嫌悪が現れた。
クラウスが、息子が望む独逸の勝利。其れを実現させるのが父親としての愛情表現だった筈が、何時しか自分の為になって居た。
クラウスが、和蘭の在の風景が欲しいと云った。
クラウスが、独逸の勝利を望んだ。
だから自分は此処迄来た。
そう、総統閣下は頭の中で繰り返したが、クラウスの目には其の思い全てをひっくり返す程の嫌悪があった。
「ソウイツとルートヴィヒを、呼べ…」
此れ以上同じ空間に居る事が出来無くなった総統閣下は涙を払い、放心する時一を立たせた。ワルツを踊って居る様に身体を揺らし、時一を抱き締めた。
「私がずっと傍に居てやろう。なあ、ヨーゼフ。」
額から頭に伝えられる言葉に時一は嬉しそうに息を吐いた。
貴方の姿を見れないのは酷く残念、けれどこうして全身で貴方を知れ、貴方に忠誠を伝えれるのなら目等要らない。
要らないと繰り返す背中を撫で、掌に感じる、契れた天使の羽の跡に言葉は無かった。
「痛かっただろうに…」
跡を撫でる指先に時一は無言だった。
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