身体に刻む絶対忠誠
奇妙な光景に宗一は眉を顰めた。漆塗りの様な黒髪と金貨の様なブロンドが並んで居る。
「在れは何かな、ルートヴィヒ。」
「ユートとヨーゼフだね。」
そんな事位判る。何故二人並んで、楽しそうに話して居るのかを聞いたのだ。
侑徒は人見知りが激しく、時一に至っては理由は不明だが侑徒を激しく嫌って居る。そんな二人が仲良く笑って“実験”をして居るのだから、宗一は気味が悪い。何か企んで居るのでは無いかと疑われても無理は無い。
「先生はこっち。」
二人を見て居た宗一は腕を引かれ、其のルートヴィヒの余りな体温の低さに振り払った。蛇の目に身体を停止させ、首を振った。
「俺は、橘の傍に居ないといけない。」
顔はルートヴィヒに向いた侭、目だけ伏せ云った。
「大丈夫ですよ、ヨーゼフが居ますから。」
「でもな…」
「大丈夫と、私が云ってます。」
天使の蛇の目に以降全く何も云えなくなった。ルートヴィヒの目を見る度宗一は“何故山羊の目はあんな気味悪く、極端に尻尾が短いのか”と云う神話を思い出す。此処の天使は蛇の目を持ち、当然見えて居ない。唯の医者が、天使に刃向かう事は出来無い。唇を噛み締め、従うしか道は無いのだ。
声位は掛けて貰えるだろうと思って居た侑徒は、天使に連行される宗一を一瞥した。
「其れでね、橘。」
「………はい。」
「僕は君に、独逸語を教える。」
「本当ですか?」
天井の一点を見た侭、悲鳴も上げず横たわるモルモットの皮膚を削いだ。其の皮膚を時一の持つトレイに乗せ、患部に消毒液を染み込ませたガーゼを張り付けた。朱色の液体が台に流れ、ガーゼを染める。
「其の変わり、見返りは貰う。」
「何でしょう。」
トレイに乗る皮膚の臭いを嗅いだ時一は少し吐きそうな詰まった音を出し、トレイを離すと鼻を擦った。
「僕を守って欲しいんだ。」
天井だけを見て居たモルモットの目が動き、聞こえた独逸語に時一を見た。鼻で少し笑うと、又天井に目を向けた。
小さな音だったが今の時一にははっきりと判り、器具の乗るワゴンを荒く押し退けるとモルモットに覆い被さり、胸倉を掴んだ。侑徒には聞こえ無かった為、何故時一がそんな荒い態度に出たのか不明だった。
ワゴンは他のワゴンにぶつかり、両方の器具がリノリウムの床に落ちた。
「今、笑ったのは、何でだ。」
「笑った?誰が、俺が?」
言葉は判らないが時一が怒りを孕み、モルモットが時一を馬鹿にして居るのは判った。床に落ちた器具を拾い乍ら、自分の目の前で暴力だけは止めて欲しいと願った。
「笑った理由を云え。」
「だって、守って欲しいって。」
天使に守って貰いたいのは俺の方だ、そうモルモットは云い、包帯に唾を吐き付けた。ぬめっとした、蛞蝓みたいな感触を頬に感じ、自分が一体何をされたか判り、モルモットを横に投げ飛ばし床に叩き落とした。
片腕を繋がれて居た為身体が不自然に曲がって居る。錆びた鎖が台に錆びを擦り移す。其れでも構わず、時一は馬乗りになった。
「アルツト ゲーテ…っ」
器具を確認して居た侑徒は二人を止めたかったが、繋がれた手の掌を侑徒に向け、自分の死を覚悟したモルモットは笑って居た。
「Halt die Klappe...」
「何も云ってない。今から云う。」
御前は悪魔だ、守って貰おうだ何て考えるな。
言葉の途中でモルモットは顎を掴まれ、口を開かされた。
「今、黙らせてやる…。薄汚れたユダヤ人が…」
ズボンのポケットから折り畳み式のメスを取り出し、其れを見た侑徒は横に居る宗一達を呼びに行こうと震える足に力を入れた。
モルモットは薄く笑い、其れで良い、人間が見る物じゃない、メスが入り込んだ口でそう云った。
右側を切られた時、勢い良くドアーは開き、腹部に感じて居た圧迫感が少し消えた。
「何してんだ、時一っ」
だらだらと血を流すモルモットは其の時、信じらない物を見た。肩から掛けられた白衣が大きく翻えり、暴走する天使の腕を掴む姿。とても大きく、白く、逆光が光輪見えた。
「神様………」
宗一とモルモットの目が合った瞬間、掴み上げられた舌を切断され、口の中を血で溢れ返した。真赤に染まる手から切り離した舌を床に投げ捨て、周りが見えて居ないのか、時一は笑い乍らメスを首に置いた。
「止めろ、此奴が何をした。」
神様と天使が自分の上で喧嘩をして居る、モルモットには其れがおかしく、血を吐き乍ら笑った。目に涙を溜め、神様を見た侭。
「首を切らなくても窒息する。もう止めろ、時一。」
「煩い…」
「退け、彼の身体から下りろ。侑徒、時一を退かして。」
侑徒…。
橘と呼んで居た筈の宗一が、何故“侑徒”と名前で呼んだのか。此の二人がそう云う関係である事を悟った時一はさっと身体を冷たくした。
「僕だけを、愛してるって、云ったのに…」
引き剥がされるのを嫌がる様に、時一はモルモットの身体に頭を付け、其の侭首にメスを滑らせた。
「時一っ」
「触らないでっ」
首から離れたメスは血の線を描き、空を切った。白衣の袖口が染まった腕がすとんと落ち、モルモットの顔に血が飛んだ。
「…………せ…」
「先生っ」
侑徒とルートヴィヒの慌てた声に、状況の全く判らない時一は顔を左右に向けた。
「何?何なの…?」
「ヨーゼフは心配しなくて良いよ。何も無いから。」
死に掛けのモルモットから時一を下ろし、モルモットを足でルートヴィヒは遠ざけた。其れに宗一の怒号が響いた。
「足蹴にするな、未だ生きてるっ。死んだ後も駄目だけどっ」
「………済みません。」
宗一の声の中で、嗚呼如何仕様、止まらない、と白衣で傷口を塞ぎ、独り言みたく繰り返す侑徒の声を聞いた。
「患部を塞いだって駄目。此処と此処を縛って。処置道具持って来るから。……判る?」
宗一の腕を指し、縛る場所を伝えたが侑徒には判らず、何故ルートヴィヒが指して居るのかも判ら無かった。そんな、二人の顔が入れ代わったかの様な、ルートヴィヒの間抜けな顔と侑徒の険しい顔に宗一は笑う。
「何?宗一如何したの?」
まさか自分がしたとは思わない時は素っ頓狂な声を出し、宗一はゆっくりと話した。
「御前が持ってたメスで、手の甲が切れた。其れだけ。」
「え?僕が…?」
「一回腕を落としただろう。其の時切れた。携帯用だけど、中々に良いメスを御持ちだ。」
そして、ちゃんと周り見なあかん、そう笑った。見れる訳無いのにと侑徒は含み笑い、自分が居なくても良いだろうとルートヴィヒは腰を上げた。
「後は宜しくね、ヨーゼフ。モルモットは後で私が処理しとく。」
後ろ向きで手を振るルートヴィヒに、処置道具は?と聞いたが、当然答えは無かった。自分で取りに行けと云う事だろう、時一はメスを床に捨てると侑徒の手を握った。
「脇をタイで締めて、君は手が小さいから両手で肘を握っていて。血管の位置は判るね?道具を持って来るから。」
云われた通りにタイで脇を締め、肘を掴んだ。
「しました…」
「此れ以上血を出さないで。手の甲の血管は太い、出血死なんてしないけど後から貧血が起きる。良いね?」
「判りました。」
本当は目が見えているのではないかと思う程時一の動きは機敏で、何処にも当たる事無く部屋から出た。時一の云う通り血は止まった。凄いと漏らした侑徒に、幾ら内科医でも此れは知識が無さ過ぎると宗一は呆れた。
息をしなくなったモルモットの横に投げ出されたメス。
「一寸、先生ぇ…」
両手が塞がっている侑徒を尻目に、宗一はメスに手を伸ばし、傷口を見た。人差し指から豆状骨に向かい、良く筋が切れなかったなと思う程ざっくりと切れている。
「何してるんですか…」
「しー…」
メスを唇に付け、手の甲に乗せた。小指から親指の付け根に向かい又新しく傷を付けた。罰点になった其の傷に今度は、四つの端全てから真横に傷を付けた。
「此れで、良い。」
メスをモルモットに向けて投げ捨て、上手く首に突き刺さった。浮き上がった傷跡に宗一は満足げに頷き、床に寝転がった。
「早来てな…。死ぬ…」
「先程、アツルト ゲーテは死なないと…」
「こないで死ぬかい。」
結局どっちなんだと複雑な顔をする侑徒に笑いが漏れ、激しい音を筒抜かすドアーを見た。
「天使が来はった。盛大にな。」
「嗚呼、又落ちた。宗一、生きてる?」
ルートヴィヒの部屋は勝手が判らず、どれがどの道具なのか判らない時一はワゴンごと持って来、壁に激突しては器具を落とした。
「一寸、待って…。若しかして、其の落ちて、今御前が踏んだガーゼを俺に使うのか…?」
「嘘、ガーゼ踏んだ?御免。大丈夫、僕の靴奇麗だから。」
「血がべっとり付いてるのにか…?」
「…じゃあ、僕の部屋から新しいの持って来る。未だ死なないでね。」
「もうええ、もうええ。橘、其処のエタノール、瓶ごと全部手に掛けて。」
靴で踏まれた他人の血が付着したガーゼを患部に貼り付けるのと、エタノールを瓶ごと掛けるの何方が良いか、其れ位内科医の御前なら判るだろうと指示を出した。
「でも此れ、殺菌効果ないですよ?寧ろ、…百v/v%に近いから爛れますよ…?」
「ええから、うちがやれゆうたら、するんや。」
「折角持って来たのに…」
「御前が踏まなきゃ無駄にはならなかったよ。」
云っている途中で手にエタノールが掛けられ、熱さに悶絶した。
「掛けるなら、掛ける、ゆうて…」
「済みません、痛いですか?」
「痛いてゆうか、熱いわ…」
「だから橘が、爛れるって云ったじゃないか。僕の苦労を無駄にした罰だよ。わは、わはは。」
声を殺し、手首を握り締める宗一、反して手を叩き笑う時一。侑徒は下唇を突き出し、何をして良いか判らず二人を交互に見た。
「アルツト メンゲレが居て下されば良かったのに。」
「せやな…」
「何よ、僕じゃ不満?」
「不満大有りやっ」
寧ろ不満しか残らないと、時一を睨み付けた。そしてゆっくりと、自分の手に浮き上がったハーケンクロイツを眺めた。
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