身体に刻む絶対忠誠


「此のドーナツ、凄く美味しい。亜米利加のだって。」
皆で分けてくれ、と貰った筈のドーナツの箱を目の前に置き、其の上でドーナツを食べるルートヴィヒ。ハンスが確認した時、箱の中には十個は程入っていた。まさか全部一人で食べる気なのか、今三つ目だ。スプレーの掛かったドーナツは箱の中に、中に入っているドーナツの上に鮮やかな粕を落とす。
「一つくれよ。」
「やだよ、何で。」
「俺にも食べる権利はあるだろうっ?」
受け取り、持って来たのだからとハンスは主張し、仕方無く渋々一つ渡した。
「此れ、御前が食べたくないだけだろう…?」
「だって、其の色おかしくない?水色だよ?絶対身体に悪いね。」
「何で其れを渡した?」
「じゃあ…、アロイス食べる?」
「俺に甘い物を一切禁止にしたのは誰だった。」
「嗚呼、私だ。」
あはは、と笑い、又ドーナツに噛り付いた。其れに気分が悪くなった総統閣下は酒を三杯持って来いと手で合図をした。
「一寸待って、二つ。私は要らない。」
「ハンスは?要るだろう?」
「勿論。こんな、医者がはっきりと人体に害があるって云った物を食べる位ならな。」
二つじゃない、店にある酒全部持って来いと、ハンスは云った。
「肝臓悪くしても知らないからねー。」
又噛り付く。自分達が飲んだくれて、肝硬変か何かになる前に、ルートヴィヒが糖質と脂質の取り過ぎで糖尿病になるんじゃないのかと、二人は唖然とした。
「嗚呼、馬鹿になりそう…」
三つ目のドーナツを食べ終わり、テーブルに酒が置かれた時、ルートヴィヒは溜息を付いて椅子に凭れた。其れだけ食べればそうなるだろうよ、寧ろ馬鹿だから三つも食べるんだろう、酒を運んだ女はそう思った。勿論、二人も。
「気が済んだか…」
鼻を擦り、咳をし乍ら総統閣下は云った。ショコラーデなら未だ良い。在れは、口の中に入れてしまえが後は此方から見えなくなるのだから。しかしドーナツは違う。見ているこっちの気分が悪くなる。
「信じられない位甘い。亜米利加人が馬鹿な理由が判った。こんなの毎日食べてたら、馬鹿にもなるね。」
煙草に火を点けていたハンスは笑い、食べなくて良かった、そう云った。
「乾杯だな。」
テーブルにあるジョッキを持ち、総統閣下は笑う。
「何に?」
「勿論。」
独逸の勝利に。
「Prost!」
「Prost!!Heil Hiller!」
「万歳っ、総統閣下万歳っ」
「万歳っ」
「皆飲むと良いっ、今日は私の奢りだっ」
店に居る全員の声の中、目の前でジョッキ同士が豪快にぶつかり、零れたビールがテーブルに落ちる。一人だけ仲間外れにされたルートヴィヒは不貞腐れ、アリアを歌い始めた。
「飲んだくれー、飲んだくれー。総統閣下は、飲んだくれー。」
「不味くなるだろうっ、止めろっ。其れに俺は飲んだくれじゃない。」
「おかしいね、何も見えない。」
ドーナツしか見えない、と箱の中に顔を埋めた。
「…如何して、俺を無視する。」
蝋燭の仄かな明かりだけが灯るテーブル。時一は座らされ、後ろで腕を固定されていた。其の後ろにクラウスが立ち、グラスにワインを注いだ。
「在の飲んだくれが居ないから、今日は二人だな。」
耳元で囁かれる言葉に、テーブルを蹴った。中身は零れなかったがグラスが少し揺れた。ワインの匂いが鼻に抜け、赤だという事が判る。
「零れるだろう。此のワイン、ヨーゼフと同じ年。」
「僕はワインを飲まない…」
蝋の焼ける匂いもし、安易に想像出来るセッティングに鼻で笑った。
「目が見えないのも、知らないの?」
「知ってるよ。でも俺も楽しみたいから。」
云って時一から離れ、レースのクロースを指先で撫でた。其の侭真向かいに座り“Zum Wohl”と消えそうな声で云うとグラスを鳴らした。此の状況で時一が飲める分けないのだが、クラウスは笑っている。
暫くの沈黙の後、時一は大きな溜息を吐くと、そっぽを向いた。
「僕は目が見えない、ワインも飲まない、おまけに、Zum WohlよりProstの方が好き。」
君は何一つ僕の事が判らないじゃないか、そう唇を噛んだ。
時一を見た侭グラスを空にし、又席を立った。頭にキスをし、何度も時一の頬を撫で、時一のグラスを持った。
「なら、豪快に行こう。....Prost.」
そっぽを向いている時一の顔を無理矢理自分に向け、顎が砕けそうな程力を入れた。顎から伝うワインが真白い軍服を染め、空になったグラスを絨毯に捨てると瓶を口に押し付けた。自分では如何する事も出来ない時一は足を踏み鳴らし、べちゃべちゃに濡れる軍服に気持悪さを感じた。飲ませている、というよりは浴びせ、奇麗に染まった軍服に笑った。
「奇麗、俺が育ててるカトレアみたい。元帥室にあるだろう、ピンクの。」
「黙れっ」
荒く呼吸を繰り返し、唾を吐き捨て、クラウスには決して向かなかった。後少し残っているワインをクラウスは飲み干し、空の瓶を絨毯に捨てた。ごつり、と重たい音がし、其の音に時一は懐かしい足音を思い出した。在れは、誰だったか。そうだ、自分と同じ色の軍服を来ている人間だ。何故今、其の人間を思い出すのか、時一に理解は出来なかったが、一方的に好き勝手される状況は、在の海軍元帥に殴られてた時と同じだった。
在の時は宗一が助けてくれた、けれど今は其れさえも望めない。
在の海軍元帥を思い出す事で、必死に此の状況で宗一を浮かばせていた。
「俺が、憎いだろう、クラウス…」
床を見た侭云う時一にクラウスは片眉上げた。
「そうだね、憎いかも。でも、愛してるよ。」
「殴って、御前の気が済むなら其れで良い。好きなだけ殴れ。でもな、珠子を傷付ける事だけは絶対に許さないっ。御前が珠子にした事、絶対に許さないっ。絶対に……」
其処で初めてクラウスに顔を向け、無表情だったクラウスは笑った。
「許さない…?良いよ、其れでも。謝る積もりは無いし。」
「やっぱり、御前だったのか…」
「処で、ヨーゼフが怒ってるのは、どれに対して?」
「……は?」
写真だけじゃないのかと時一は狼狽し、煙草の匂いを感じた。今迄傍に居たが、クラウスが煙草を吸う事は知らなかった。若しかすると、自分は全くクラウスの事を知らないのではないか、そう感じた。
「タマコを、拉致し様とした事?」
「在れは、良い…。結果的には無事だったんだ…」
写真でもない、拉致未遂でもない、だったらクラウスの云っている事は何だ。包帯の下の口元が悔しそうに歪み、其の唇にクラウスはキスをした。
「家に帰っていないから知らないと思うけど、在の手伝い。邪魔だったんだよ。何時も、先生先生って、ヨーゼフの傍に居て。」
クラウスの唇が離れた時一の唇から色が無くなり、微かに震えているのが判った。
「ロッテに、何をした…」
「少しね、兵士達と遊んで貰ってる。」
其れが何を意味するか判る時一は大きく口を開き、短い呼吸を繰り返した。
「何て事を…」
「未だ生きてると思うよ。」
「ロッテは、ロッテは未だ二十歳何だぞっ」
「立派な大人じゃないか。」
「十五の時から家に居るんだっ。俺の娘も同然なんだよっ。男何て知らないんだっ」
「嗚呼、其れは悪い事をしたね。でも今は知ってる。」
俯き、余りの酷さに肩を震わせる時一をクラウスは抱き締め、振り解きたいのに出来ない怒りに又震えた。
時一の髪を愛しそうに撫で、息を吸うとワインの匂いがした。
「詰まり、意味、判るよな?ヨーゼフ。」
「未だあるのか…」
此れなら、好き勝手気の済む迄殴られた方が良かった。ロッテの事を思うと、余りに悲しく、何も考えられなかった。
「あんなに、優しい子なのに…。如何して、如何してロッテを…。御前は、悪魔か…」
ロッテへの思いと、クラウスへの憎しみが膨らんだ。矢張り、在の地下で自分は殺されておくべきだった。其の罪悪感に首を振った。
「在の小娘が居ないって事は、タマコの身分証が無いって事だろう…?」
楽しそうなクラウスの声に血の気が引いた。金属音の様な耳鳴りが起き、クラウスが何と云ったのか整理した。
自分と関係を持つ代わりに、絶対に珠子を守るという契約だった。尤も其れは、総統閣下が時一に云った事であり、クラウスが其れに頷いた事は一度も無い。身分証に署名をし、其れを勝手に時一達がそうだと思っていた。
身分証が無いのならば、珠子が連行されるのも時間の問題だった。
喚かれると思っていたクラウスは、大人しい時一に首を捻り、耳迄聞こえなくなったのかと顔を覗き込んだ。
「…何をしたら良い。」
「何が?」
諦めた様な時一の声。
「珠子の身分証を、再発行してくれないか。如何せ、燃やしたか何かしたんだろう。」
「燃やしてない、ちゃんと保管してる。ああいうのは発行するのに凄く時間が掛かるから。あるよ、俺の部屋に。」
見付け出せるのなら見付け出せ、と腕の拘束を解いた。自由になった腕を動かし、張り付く軍服を脱いだ。奇麗に染められ、軍服は作り直さなければならないだろう。
首に付けるアイアンクロスを外し、手に持った侭テーブルに手を付いた。
「好きにしろ。其の代わり、身分証は返して貰う。絶対にだ。」
顔を逸らし、アイアンクロスを握り締めた。苦しそうに呼吸を繰り返す時一の首に触れ、顔を近付けた。
「絶対だぞ…」
「良いよ、今夜返す。ロッテも、返すよ。」
ワインの味のする首筋を舐め、其の気持悪さに時一は息を止めた。握り締めたアイアンクロスが食い込み、其れでも力は緩めなかった。
「でも君は、タマコには返さない…」
ずっと、俺の傍に居て………。
飛べなくなった天使は帰り方を全く忘れ、テーブルに叩き付けられた。

地獄って、レールのクロースが敷いてあって、蝋の焼ける匂いとワインの匂いに溢れ、其れに微かに煙草の匂いが混ざってる。其の空間で、悪魔は、僕のモノを咥えてるんだ。Ich liebe dichって、繰り返し乍ら。
全く、地獄だよ………
最悪だ…




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