身体に刻む絶対忠誠


「最近ヨーゼフは、楽しそうだな。」
「え?」
ティタイムの時間、総統閣下に聞かれた。時一の他に、クラウス、ハンス、ルートヴィヒに並び、宗一と侑徒が居る。其れに数等の犬。皆きちんと静かに座っている。自分がこんな場所に居て良いのか不安な侑徒は、俯いた侭後ろ手で宗一の白衣を掴んでいた。其の手を、未だ調教していない幼い犬が匂いを嗅いでいる。
「あっち、行って…。御願い…」
犬は嫌いではないが、擽ったい。濡れた鼻が手の甲に付く度小声を出し首を振る。宗一は素知らぬ顔で総統閣下を見ているが、向かいに座っているハンスとルートヴィヒは身を乗り出して見ている。子犬に対して、必死に嫌々をする侑徒が、子犬に見えて面白いのだ。
「で、さっきから御前達は、何を見てるんだ。」
等々耐え兼ねた総統閣下は二人に聞くが、二人は何でも無いと首を振る。二人の視線の先には、斜め後ろを向いて必死に何かを云っている侑徒。宗一の陰になり子犬は見えない。本当に何をしているんだ、と総統閣下迄身を乗り出し始めた。そして見えた光景を、時一に耳打ちで教えた。
「ねえ、御願い。向こう行って。」
小声というよりは唯口を動かしているだけで、しかし如何した事か。此の子犬は独逸生まれである、日本語が通じないのだ。
「ユート。」
総統閣下の声に時一は侑徒の方に顔を向け、なのに、子犬に必死な侑徒には其の声さえ聞こえていない。宗一が小さく腕を動かし、こっちを見られている事を教えるが、擽ったさの方が勝っている。真向かいのハンスに呼ばれ、漸く気付く。何です、と顔を向けたら全員が自分を見ている。真横に居る宗一でさえ。其れに怯えた侑徒は一度強く腕を振り、其の手に子犬が、遊んでくれるのかと甘噛みした。生暖かい舌が手首を舐め、歪んだ侑徒の顔と悲鳴に全員が笑った。
「嫌ぁっ、噛んだぁ、ぬめって、ぬめってぇっ。」
聞こえた言葉を即座時一が通訳し、意味を理解した総統閣下はテーブルを叩き笑う。ルートヴィヒには聞こえないが、其の必死な形相で宗一に縋り付く姿が面白い。
「大丈夫、噛まへん。」
「噛んだ、噛んだっ。かぷってっ。見て下さいよ、此の涎っ」
「遊んで、ゆうてるんやぁ。遊んだら宜しいやん。」
御前は如何せ暇だろう、と宗一は答えた。時一から通訳を受ける総統閣下は額を押さえ笑っている。ルートヴィヒにはハンスが教えている。遊んでやれよ、御前は暇だろう、と云う所だけ。白衣で必死に噛まれた所を拭く侑徒を見た侭総統閣下は子犬を呼び、脇を抱えて鼻同士を摺り合せ揺すった。余程嬉しいのだろう、前足と尻尾をばたつかせている。
「ユートが気に入ったか?ユートは芸術品みたく奇麗だからなあ。御前の感性も俺に似たのかなあ?そうかそうか、よしよし。んー、可愛いなっ。御前は世界で一番可愛いっ」
子犬の小さな口にキスをし、膝に乗せ身体を摩る。でれでれと子犬を弄る総統閣下の姿にクラウスは軽蔑した目を向け、総統閣下の犬好きは幼い頃からなのでハンス達には今更だが、余りの溺愛っぷりに此の子犬の母親を見た。
「御前も大変だな、ブロンディ。」
「アドルフに伝えて。ヴォルフの父親は君じゃない、アロイスだって。」
「御悔み申し上げるよ。心からね。」
其の言葉に、ブロンディは総統閣下を見、諦めた様な溜息を吐いた。
「やっぱりそうか、って目だ。」
「心当たりあるの?寝室一緒だしね。」
「嗚呼、じゃあ間違いない。アロイスが父親だ。」
「可哀相だね、アドルフ。」
笑う二人に馬鹿にした目を向け、ふん、と鼻を鳴らし総統閣下に近付くと鼻を向けた。冷たく自分を見る目に総統閣下は額を掻き、ブロンディが御怒りだ、と時一に伝え子犬を預けると身を屈めた。
「世界で一番愛してるは御前だよ。嘘じゃない。」
弁解する総統閣下にブロンディは口角を上げ鼻で笑い、ふいっと背を向けた。世界で一番愛するブロンディの機嫌を損ねてしまった総統閣下は頭を抱え、大体の状況が飲み込めた時一は子犬の前足を上下に動かした。
「Ihr Vater ist Fuhrer.Heil Heil.」
宗一から通訳して貰っていた侑徒は、そっと宗一の口に手を添え、時一を見た。
君、父さん、総統閣下、万歳。
「嘘…」
頭の中で全ての単語が一本の線となり、侑徒は両手で口を塞ぐと椅子から立ち上がった。頻りに瞬きを繰り返し、泣きそうな顔で笑う侑徒にハンスは如何したのか聞いた。
「君の御父さんは総統閣下、万歳、万歳…」
時一が云った言葉を其の侭日本語に直した侑徒にハンスと宗一は驚き、顔を見合わせると侑徒に向いた。
「完璧や、橘…」
「そうだ、まさに其の言葉をトキイツは云ったんだ。」
初めて完全に理解出来た独逸語に侑徒は歓喜し、両頬に手を沿え俯いた。子犬の前足を持っていた時一は静かに手を離し、放心した様に侑徒を見た。
「総統閣下…」
嬉しそうに緩む時一の口元に、同じ様に口元を緩ませた。
「僕が最近楽しそうに見えるのは、彼が傍に居るからなんです。彼の成長が、物凄く、楽しい。まるで、昔の自分を見ている様で…」
「良かったな。」
時一の頭をそっと引き寄せ、自分の肩に乗せた。子犬を片手で抱えると侑徒を手招き、其の侭侑徒に差し出した。
「名前はヴォルフだ。」
侑徒が判る様にゆっくりと云い、聴いた言葉を日本語で返す様目を細めた。
「ヴォルフ…?名前は、ヴォルフ…?」
肩に頭を乗せた侭時一は頷く。
「ヴォルフは君を気に入ったみたいだ。君が犬を嫌いでなければ、貰ってくれないか。私からのプレゼントだ。此れの返事は、独逸語で。」
流石に此処迄長い言葉を容易くには理解出来ず、侑徒が判らないであろう単語を時一が教えた。接続詞は教えなかったが、珠子は犬が好きとは云った。侑徒は少し考え、宗一に振り向くと宗一も頷いていた。ヴォルフを抱き直し、恥ずかしそうに笑う。
「Dank schon.Fuhrer...」
「Gern geschehen.良いよな、ブロンディ?」
貴方がそうしたいのなら、とブロンディは首を擡げた。
「私が狙ってたのに…」
「御前が狙ってるのはブロンディだろう。」
「ブロンディは絶対に渡さないぞっ、絶対だっ」
「そう云えば、此の間ルートヴィヒ、其の犬蹴ってた。」
宗一からの密告にルートヴィヒは否定をし、偶々足が当たっただけと云うが総統閣下の怒りは収まる筈は無かった。何せ、世界で一番愛している彼女なのだから。
「クラウス、此奴を今直ぐ収容しろ。自分の作り出した実験機具で死ねっ。弁解は聞かんからな。」
「ブロンディ、何とか云って。私此の侭じゃ、此の飲んだくれに殺される。」
蹴飛ばされたのは事実だが、其の後必死に謝ってくれた。其れに、塀の間から抜けられなくなった子供も助けてくれた、だから助けてあげると、ブロンディはルートヴィヒの前に座り、クラウスを一瞥した。彼を連れて行くのなら私を蹴り飛ばし為さい、と。総統閣下の居ない所であれば其れは出来るが、真後ろに居る今は出来ない。無言で座り直し、珈琲を飲んだ。
「早く。何座ってるんだ。」
「ブロンディが、彼を連れて行くなら私を蹴れって。して良いならします。」
在の壁に向かって、と真向かいのドアーを指した。
「嗚呼っ。駄目に決まってるだろう、何を云ってるんだっ。蹴った時は御前を収容所に送る。」
「では、しません。私、サッカーは得意なので。御存じでしょう?」
首を振り、カップをソーサに置いてクラウスは口元を拭いた。少し俯いた侭視線を斜めに上げ、子犬をあやす侑徒を見た。
「ヴォルフ、ね…」
侑徒を見る目は、まさに次の獲物を見付けた狼だった。




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