海を挟んだ家族


宗一達が居る時は、二階の奥の部屋から一切出ないロッテに、侑徒は挨拶をした。挨拶と云っても言葉は交わさず、宗一の書いた紙をドアーの隙間から入れるだけだ。しかし今日は、声を掛けた。返事が無いのも判って居るし、自分の独逸語が完璧で無いのも判って居る。けれど此れだけは云いたかった。
「ロッテさん、俺達が、えっと…邪魔なら、邪魔?違うな…」
日本語では簡単に云える言葉が云えない。自分達の存在がロッテにとって重荷なら家を出る、そう云いたいのだが上手く云えず、何でもありません、御休み為さい、と一階に移動した部屋に戻った。
浮かない顔をする主人を覗き乍ら後を追う。ちっとも笑わない侑徒にヴォルフは不安になり、一緒に部屋に入ると自分のベッドで丸まった。
中では宗一がベッドの上で写真を広げて居た。其れに気付いた侑徒は着替える前にベッドに座り、二人で写真を見た。
「沢山ありますね。」
「せやなぁ、うちの趣味が此れやからなぁ。」
「そう何ですか?」
てっきり無趣味と思って居ただけに、其の発見は嬉しいものがある。
「今度橘も撮ったるわ。」
「いえ、結構です。」
最高に写真映りが悪いと侑徒は苦笑い、煙草を消そうとした宗一の手が止まった。笑って居た顔は無表情で、困惑して居る様にも見える。
シーツに並ぶ一枚を持ち上げ、一層顔を険しくした。
「何で此れがあんねや…」
目の奥から頭に向かって激痛が走り、宗一は額を押さえた。
「此れがあるて事は…」
煙草を消し、険しい顔で写真の山を漁る。矢張り考え通りの写真が二枚出て来た。
赤ん坊の宗一を抱く父親と母親の写真二枚と、三人が映る写真。まさか此の中あるとは思わず、又そんな写真が存在して居た事に動揺を隠せない。
在の父親が自分と写真を撮って居た。認知もして居ないのだから当然写真は無いものと思って居た。
写真を見た侭動かない宗一の脇から写真を覗き見た侑徒は、へえ、と云った。
「先生ぇの、御母様ですか?」
「え?あ、嗚呼。せや、おかんや。」
母親と映る写真だけを侑徒に渡し、後の二枚は山の中に戻し、漁る振りをして隠した。
「もう少し近いんが…、此れや。うちが独逸から帰って来た後やな。」
二十六年後の姿を見ても、其の繊細な美しさは見受けられた。
「硝子細工みたいな方ですね。ほっそりしてらして。」
「せやろ、別嬪はんやろ?」
「ええ。」
「京都一の芸者や。子供の目から見てもなぁ、そらええ女やったわ。毎日爪の手入れと三味線の稽古は欠かさんかった。こう少し首を擡げてな、三味線弾くんやけど、ほんに、奇麗やったわぁ…。動く真赤な爪が、花弁みたく又奇麗でな。」
幼少の記憶を思い出し笑う。自分の母親を此処迄褒める息子もそう居ないんじゃ無かろうかと、侑徒も笑った。
「御名前は。」
「蛍や。菅原蛍。ええ名前やろ。」
蛍とは、儚く美しい姿に似合いだと素直に頷いた。
「余りにも姿と名前が一致してるもんやから、芸者には珍しく芸者名が無かったんや。」
大半の客は芸者名だと思って居たらしいがと続けた。
其れ切り宗一は無言になり、写真を見続けた。何度も強く瞬きを繰り返し、痙攣して居る様にも見える。
「おかん………」
強く目を瞑り、泣きたいのを必死に堪えて居る宗一の姿に侑徒の胸は苦しくなった。優しく頭を抱き締め、胸に頭を付けた。
「愛していらっしゃるんですね。」
宗一の頭に自分の頬を擦り付け、痛みを分かち合う様に息を吐いた。
「嗚呼…。おかんが、世界で一番好きや…」
自分の命より大切な時一の左顔面を潰されたとしても、宗一が一番愛して居るのは、矢張り母親だった。
父を狂う程愛し、正妻に嫉妬し、其の産んだ息子に異常な迄の執着を見せ、自分の息子が其の憎くて堪らない息子に取られた時の心情。時一を殺そうとした事実があったにせよ、母親を恨む事は出来無かった。
「昔からおかんは、心が奇麗やった…。脆い、豆腐みたいな…」
宗一は少し笑い、写真を見た。
「頭がおかしいゆわれてたわ。せやけど、うちは、そうは思えへんかった。」
そう思われるのは、父親を愛して居たから。其れを突き放したのは他でも無い、父親なのだ。
「親父は嫌いや。大嫌いや…」
「俺も、嫌いです。」
「せやろな。鞭やからな。」
互いに笑い、宗一はゆっくり侑徒から離れ、煙草を咥えた。
「おかんが死んだのは、うちが二十七の時。………自分で、な…」
父親が殺したも同じだと煙草を消した。宗一の告白に侑徒は言葉を無くし、繊細な母親の姿に視線を向けた。垂れた目が柔らかく緩み、真横に伸びる口元には黒子があった。其の黒子に色気があると云えばそうなのだが、此の母親には不釣り合いに思う。侑徒も似た様な顔付きをして居るのに、何故侑徒には色気があり母親には無いのか、不思議で堪らない。
「橘て、色気の塊やな。」
「はい?」
黒子を撫でる宗一の指先に侑徒は笑い、枕に凭れた。
「淫乱やからかな。」
「誰がです…」
「あれぇ?違うのぉ?」
侑徒の額にキッスをし、腰に手を這わした。小さく音が鳴り、写真の山は二人の足でベッドの下に落ちた。何度も聞こえる不思議な音にヴォルフは顔を向け、ベッドで絡む二人の足に首を上げた。
――やっぱり女じゃねえか…っ
侑徒は矢張り女何だと、息を絡ます二人に近いた。ベッドの下から二人を見上げるが未だ気付かれず、息遣いに耳を動かし、其の目は真直ぐ侑徒に向いて居た。
宗一の首に両腕を回し、息を乱す其の顔を。
「先…生ぇ…っ」
包帯の上から傷を舐め、消毒液の匂いが鼻を抜ける。
「もっと…。嗚呼っ、もっと……」
仰け反り、頭と枕が擦り合う度甘い匂いが宗一とヴォルフを包んだ。普段は白い頬が段々と赤く染まってゆく様は、花が咲いて居るみたいに見える。
――奇麗な花…
細長い宗一の指が其の頬に触れ、口の中に入る人差し指は昆虫の触手で花の蜜を吸って居る様ヴォルフには見える。
腹部にキッスをされる度侑徒の身体は小さく揺れ、息を荒くして行った。
「嗚呼、あかん…っ」
包帯に向かって下から舐め上げられた感覚に侑徒は目元を両手で隠し、大きく開いた口から喉を締められた様な悲鳴を漏らした。
「其れ、気持良い……」
「ほんま…?」
侑徒はぐにゃぐにゃとベッドに背中を付け離し、仰け反った侭目元を枕に埋めた。小さな手は宗一に伸び、一度強く掴まれると満足したのか下にある三つの枕を出鱈目に掴んでみたり、宙で遊んだりもした。
自分の足元から聞こえる音に一度枕に頭を乗せ、半分開いた目で宗一を見た。
「先生ぇ…?」
「何…?」
腹部から顔を離した宗一の頬に触れ、ゆっくりと身体を起こした。シャツが片方肩から落ち、両手で頬を包むとキッスをした。
「寝て下さい。」
「此れからやのに。」
「俺は良いですから。」
早くと、宗一の顔を引き、四つん這いで笑い乍ら近いて来た宗一を仰向けにした。
「俺の番です。」
薄く笑う侑徒に一度キッスをし、枕に頭を乗せた。四つん這いで覆い被さる侑徒の髪を撫で、耳に掛かる息に笑いが漏れる。宗一の両肩を手で掴み、顎下と首筋にキッスを繰り返す。上半身を倒して居るので当然下半身は背中から斜めに上がって居る。其れに気付いた宗一は一度、自分の首に顔を埋める侑徒に視線を向けた。ゆっくりと手を下に伸ばし、下から侑徒のを撫でた。
「…………先生ぇ?」
動きを止めた侑徒は咎める様な口調で云い、触らんといて下さいと腕を叩いた。
「宜しいやん。」
「ええ事無いですて。離して下さい。俺がええ具合にしたいんです。」
「触る位。」
「あかんて。」
そう拒否するが、笑い乍ら力を抜かし肩に頭を乗せた。
良い様にすると云った筈が反対にされ、一層息を乱した。外気に触れた自身に宗一の物が重なり同時に手を感じた。
「こないしたら、ええ感じやろ。」
互いの物を擦り合わせ、宗一は薄く笑う。侑徒の熱い息が首筋に篭り、聞いて居る内に宗一の息も上がって行った。侑徒の先から出る液を手に絡め、互いの息遣いと其処から微かに聞こえる音だけヴォルフは聞いて居た。
――何で、二人共同じ物が付いてるんだよ。
侑徒の性別が全く判らず、此の二人が一体何をして居るのか頭がこんがらがり始めたヴォルフは静かにベッドに戻った。其れに気付いた宗一は、ヴォルフの居た場所に視線を流し、静かに笑った。
「嗚呼、イク………」
聞こえた言葉に視線を戻し、頭を押さえ付け唇を重ねた。口に溢れる侑徒の息、視線が合った。
「見んといて下さいよ…」
「侑徒もな。」
呼ばれた名前に侑徒は小さく喘ぎ、奇麗な顔を歪ませた。
「好きやで……」
「嗚呼、嬉しい……」
嘘でも、と侑徒は短く息を吸い、息を止めた侭射精した。侑徒の精液を受けた宗一は手の動きを止め、無表情で侑徒を見た。
「一寸待って、今の何やの。」
「え?」
「嘘でもて何?」
低く聞く宗一に侑徒は溜息を吐き、肩から手を離すとベッドから下りた。シャツを脱ぎ、寝具に着替えるとヴォルフを数回叩き部屋から出様とした。何故自分が侑徒から怒りを買ったのか全く判らない宗一は、何やの、そう侑徒に強く吐いた。
「何やの、怒りたいんはこっち。うちを馬鹿にしたんはそっち違うか。」
好きでも無い相手に好き等云わない、セックスもしない、軽率な男と自分を馬鹿にしたのはそっちだろうと、宗一は侑徒を睨んだ。
ヴォルフを抱え、ドアーを開けた侑徒は鼻で笑った。
「先生ぇ、御言葉ですけど、御自分の頭ん中、よぅ見はったらええよ。」
時一の事しか考えて居ない癖にと、ドアーを閉めた。
「ちょう待ちな。」
侑徒の後を置い、侑徒の手首を掴んだが振り払われた。
「うちが時一の事考えてる?そら確かに考えてるわ。あないな姿になってな、うちは医者何や、性分何や。」
其れさえも駄目なのかと宗一は額を押さえた。
「違います。俺は、時一さん、と云って居るだけであって、アルツト ゲーテの事を云ってる訳ではありません。」
咎める侑徒の目に宗一は言葉が詰まり、ソファで寝るとリビングルームに向かう背中を見詰めた。
「………勝手にしぃな。」
吐き捨て、乱暴にドアーを閉めた。廊下に響いた音に侑徒は肩を揺らし、強くヴォルフを抱き締めた。漏れ聞こえる泣き声にヴォルフは眉を落とし、頬に流れる涙を舐めた。
――泣くなよ。
「こんな自分が嫌いや…。ヴォルフ…」
心中で留めて云う積もりの無かった言葉。聞き流す様な人間では無いとは知って居たが、余りにも自覚が無さ過ぎる宗一に腹が立った。
「頭ん中は時一さんしか居てへん癖に、在の時キッス何かしはるから…っ」
自分が嫌でも宗一を好きだと気付かされた。
「其れにやっ」
自分を見る目と時一を見る目、目の前に鏡を置いて見せてやりたい。どれだけ違うか、何方に愛情が向いて居るか、自分で見れば判るだろうに全く自覚の無い宗一。潜在意識なのだから文句は云えないが、其れを指摘したからと云って怒られる筋合いは無い。
「愛ってほんま、面倒臭いわ…」
だから今迄一人で居た。人間関係も面倒臭く、恋愛も面倒だった。徹底的に他人との距離を計り、そうして必然的に一人に、孤独になった。孤独だと気付いた時には愛に飢えて居た。
ふと侑徒は、出会った時宗一が云った言葉を思い出した。
弟に似て居る、確かに宗一は自分にそう云った。
波の音が頭を埋め、薄ら明るい夜の十時の空を見た。
「何が一体、如何なってんねや…」
始めから自分等見られて居ない事に気付かされた侑徒は、日本では決して見る事の出来無い、明るい夜空を見た。
夜は暗いのが常識、其れが覆った。
「一体何なんや…、此の国は…。俺を如何したいんや…っ」
欧州のサマータイム等知らない侑徒。空の余りな奇妙さと宗一の真黒い潜在意識、そして蛍の話。此れ等全てが一本の直線で繋がれ、全く同じ様な気がしてなら無かった。




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