神様と天使の戯れ
瓶を電灯に当て、中に浮く義眼を色々な角度から見た。其の真剣な目にルートヴィヒは身震いを起こし、今から見る“神の指揮”に息を整えた。
執刀医菅原宗一、助手ルートヴィヒ・メンゲレ、ハンス・アスク及び橘侑徒。時刻は午前十時になろうとして居る。
時計を見た宗一は眼鏡を掛け、麻酔で眠る時一の頭を撫でた。
「患者名ヨーゼフ・ゲーテ。右眼球の摘出及び義眼の装着。左義眼を新しい義眼との入れ替え。間違いないな。」
義眼の摘出に侑徒は宗一を見、二つ並ぶ瓶に浮かぶ義眼は侑徒を見て居た。執刀名目書に目を通して居たルートヴィヒは頷き、宗一からサインを貰った。其れをハンスに渡し、アルミニウムの台に乗せた。
「執刀時刻午前十時、終了予定時刻は午後二時。うん、ティタイムには間に合うな、諸君。」
「其れ迄私はアリアを皆さんに。」
「じゃあ俺はサンバでも踊っとく。在の隅で。」
「じゃあ俺は…」
此の流れに乗ろうとした侑徒だが、ルートヴィヒみたくアリアは歌えず、かと云ってサンバを踊る気分にもなれず、義眼を監視しておきます、そう云っておいた。其れが一番重要、と宗一は笑い、一番役に立たないのはサンバとハンスを睨んだ。
四人は白衣を脱ぎ手術着を着、マスクを嵌めた。初めて手術着を着たハンスは勝手が判らずルートヴィヒを面倒臭がらせ、侑徒は身体が固く、後ろに手が回らないと兎みたく跳ねた。
「誰か、結んで下さい。」
ハンスをルートヴィヒが、侑徒をハンスが、三人並んで背中の紐を結ぶ奇妙な光景に、本当に此の三人が助手で大丈夫か不安を覚える。
手袋を嵌めた宗一は時一に向き、手の甲にキッスをした。
「始めるで、…ヨーゼフ。」
先ず始めにルートヴィヒが時一の上瞼と下瞼を指で固定し、侑徒がメスを渡した。ハンスは心電図を眺め、脈拍を教えた。
受け取ったメスをしっかりと掴み、宙に奇麗な銀色の線を描いた。目の前で振られるメスにルートヴィヒはうっとりし、目尻にメス先が入った時アリアが流れた。初めて聞いたルートヴィヒの歌声に侑徒は息を吐き、ガーゼが真赤になっているのにも気付かず居た。
「橘っ」
「御免為さい…」
透かさず宗一から渇が飛び、ハンスは心電図を見た侭笑った。
「アリアが聞きたいんやったらな、余所行き。」
「今度一緒に行って下さい。約束ですよ?」
トレイに真赤なガーゼを捨ててゆき、目尻と目頭の切開が終わった時ルートヴィヒに器具を渡した。
「成功したらな。」
細長いメスに持ち替え、息を吐いた。
「良かったな侑徒、聞きに行けるぞ。脈拍、体温、呼吸共に正常。」
宗一が失敗したのは自分の知る限り一度も無いと余計な事を云い、宗一に又呆れた目で睨まれた。
「黙って仕事しろ。」
自分の世界に陶酔するルートヴィヒのアリアは、天使の歌声だった。
眼球を固定する筋と視神経を全て鋏で切断し、取り出した眼球に宗一は顔を歪め、首を振った。涙腺迄細胞壊死が進んで居た為、想像はして居たが宗一の想像を超えていた。眼球を固定する筋に迄異常が生じている。相当頭が痛かったに違いない。
「ハンス。」
「何?」
「時一は、頭痛を訴えてたりしてたか?」
聞かれハンスは、心電図から顔を離し考えた。
「頭痛なぁ…。頭が歪む感覚がする、とは云ってた。頭痛は知らない。」
「有難う。」
視神経を酷くやられている。常に頭の中が歪んで感じるのは納得出来た。
取り出した眼球を液体に付け、其の白い眼球に侑徒は目を逸らした。見える表側は異常な程膨張しているのに、見えない裏側は凹み、萎縮と云うよりは腐食している様に侑徒は見えた。
鋏をトレイに置いた宗一は一旦手を止め、ルートヴィヒに止血をさせて居る間首を回し、息を吐き続けた。何度も手首と首を回し、自分の年を呪った。
「此れだけで疲れるのか…」
「今から土台作りだぞ。」
「其れが一番しんどい…」
二十年前にした時はそうでも無かったのに、体力と視力の低下が何と脆い事か。
ハンスはくつくつ笑い、止血と血管の縫合が終わったとルートヴィヒに告げられ、盛大に溜息を吐いた。
「うちは老眼や、細かいなぁ…。こんな細かかったか?こっちの目が痛いわ…。橘代わってな。」
「老眼て…」
そう笑う手付きは、吐いた言葉が嘘に聞こえる程素早く正確だった。ルートヴィヒのアリアも狂いが無く、宗一の手に従った。
髪の毛の様に細く曲線した針が筋を行き来し、良く見えるなと、視力の良い侑徒でも目を細める程細かい作業だった。
糸を切った宗一は深く息を吐き、暫く天井を向いた侭目を瞑った。
「首が痛い…」
ばりばりと音が鳴りそうな程首と肩は固まり、熱い。たった二時間近い此れだけの作業でもう身体は悲鳴を上げるか、日本で二番目の外科医の肩書が泣くなと、鼻で笑った。
「後で揉んで差し上げます。」
「ほんまぁ?良し、頑張ろ。」
侑徒の言葉に幾分楽になり、義眼の入る瓶の蓋を開けた。トレイに液ごと流し入れ、其の色に三人は義眼を見詰めた。
時一の義眼の色は青だった筈。しかしトレイに浮く義眼の瞳は黒い。
「ソウイツ、其れ入れるのか?」
「嗚呼。問題あるか?」
左眼球の摘出に疑問を持って居た侑徒ははっとし、時一を“元に戻す”積もり何だと理解した。
「問題大有りだ。黒の義眼を入れて、トキイツが納得する訳無いだろう?」
義眼を入れ様とする宗一の手首を掴み、真剣な顔で首を振った。
「本人が見えないからと云って、何をしても良い訳じゃない。」
「此れは、総統閣下の御命令だ。」
「命令…?」
黒目の時一等望んで居る筈が無いと、マスクをずらしルートヴィヒに聞いた。
「総統閣下の命令は何て?」
聞かれたルートヴィヒは時一から目を離し、首を傾げた。
「ヨーゼフを、元に戻せ。じゃなかったかな。先生に聞いて。」
「其の先生は、トキイツに黒目の義眼を入れ様としてるんだよ。」
「そうみたいだね。」
瞳の色が何色でも良いじゃないかとルートヴィヒは空洞を指し、早く入れる様宗一に向いた。ハンスは一人其の事に疑問を持ち、手首を掴む手に力を入れた。
「止めろ。総統閣下が望むのは“ヨーゼフ・ゲーテ”だ。“トキイツ”じゃない。」
自分を睨み付けるハンスの目に手を払い、だから如何したと腕を組んだ。
早く目の形成をし縫合しなければ感染症の危険性がある。侑徒は其れが気掛かりで宗一を急かすが聞いては貰えなかった。終了予定時刻迄二時間無いと云うのに、二人が険悪な雰囲気を出す理由が侑徒には判らない。患部を空気に晒す重大性より喧嘩の方が大事なのかと、侑徒は宗一の肩を掴むと自分に向かせ頬を叩いた。
「先生ぇは、時一さんに戻したいんでしょう?其れが正しいと判断為さって居るんでしょう?だったら何故其れを通されません。患部を長時間空気に晒す事と先生ぇの信念、何方が大事何ですか。」
「でもな、ユート。」
「貴方は黙って居て頂けますか。」
自分はヨーゼフ・ゲーテしか知らない、けれど先生ぇはそんな人間を知らない。自分の知っている姿に戻して何が悪い、其れが命令違反だと云うのなら、何故はっきり提示しなかったとハンスに食い掛かった。
「何だと…?此処は独逸だっ。総統閣下が戻せと云った場合はヨーゼフ・ゲーテだっ」
「此処は医療現場やっ。執刀医がそうやゆえば助手の俺達は其れに従うんやっ」
睨み付ける侑徒の目にハンスは息を吐き、如何なっても知らないからなと心電図に目を向けた。
叩かれた頬を手の甲で押さえて居た宗一は唖然とし、ハンスを負かした姿に「強烈」と笑いを堪えた。
目尻と目頭を縫合し、目を形成した時、終了予定時刻迄残り三十分だった。アリアを歌って居たルートヴィヒの口は、昼を過ぎた頃からショコラーデの名前と特徴をアリアの様に云い始めた。そんなに種類があるとは知らなかった侑徒は驚き、天才は矢張り変人何だなと再確認した。
形成を終えた宗一は一息吐き、ワゴンに置いている写真を見た。
「二重の幅、間違えてしもたかも。」
「上出来だろう?いや……少し広いかもしれないな……」
「唯でさえ大きな目でしたよね…」
「義眼嵌めたら目ん玉御化けやな…」
三人は顔を見合わせ、想像した。目が異様に大きいなら未だ良いかも知れない、けれど時一は口迄大きい。肉厚な唇にそんな目は、
「やっぱ気持悪いですよ…」
侑徒で無くともそう感じる。
「此処を切開して…縮めたら?」
「突っ張るて。瞼閉じひんわ。」
然し如何する事も出来無いので、目玉御化けになった時は勘弁して貰おうと宗一は左義眼を取り出した。手の平に乗せ、暫く眺めた宗一は床に落とすと全てを消す様に踏み潰した。“ヨーゼフ・ゲーテ”全てを叩き潰す程強く、そしてトレイに浮く義眼を持ち、ゆっくりと沈めた。
黒い目が宗一を見ていた。左右の黒目が宗一を見詰めていた。
完成した時一の顔を両手で撫でた。其の時、溜まっていた液が目尻から流れた。
「泣いてる…?」
侑徒の言葉に宗一は言葉を無くし、額を合わせた。確かに居る時一の気配に言葉は要らなかった。
モニターから聞こえる心音が妙に早く響き、ふっと聞こえた声に消された。
――兄上………
「ん………?」
付け合わせた額が熱く疑問に思い、ハンスに時一の体温を聞いた。心電図から少しの間目を逸らし、カルテを書いて居たハンスは体温を見た瞬間カルテを床に落とし、画面に張り付いた。
「最悪だ…」
「え…?」
「体温が四十度超えてるっ、合併症だっ」
――兄上……っ
もう一度聞こえた声に宗一は声のした方、天井の隅を見上げた。
「時………恵…?」
侑徒の身体が放心している宗一にぶつかり、真白い靄が少し動いた。
「退いて下さいっ、場所を移動させますっ」
一体何処からそんな力が出たのか、時一の身体を容易く侑徒は抱え、ストレッチャーに乗せるとドアーに向かって大きく回転させた。何が起きたか判らないルートヴィヒは辺りを見渡し、自分の用はもう無いだろうと、脱ぎ捨てた白衣のポケットからショコラーデを探した。視界の端に靄が見え、其の靄が天井を通って時一の身体にすとんと落ちるのを見た。
「天使………?」
ショコラーデの箱を開けたルートヴィヒは残っていた中味に眉を上げ、時一を見た。
「体温四十.八度、やばいな…」
「何処に連れて行くんや…?」
不安そうな声は自分を攻めて居る様にも取れ、侑徒はストレッチャーから手を離すと宗一の両手を掴んだ。
「此処にインスリンはありません。早く投与して血糖値を下げ無ければ、細胞が堪えられません。大丈夫です、俺が死なせません。」
自分が黒目の義眼を入れた所為だと宗一は自分を攻め、侑徒の手が離れた手を強く握り、ストレッチャーとモニターが空回る音を聞いた。
廊下に響く車輪と足音との間に時一の荒い息遣いが絡んだ。時一を消そうとヨーゼフが躍起になっているのか、時一に戻ろうと時一がヨーゼフと戦って居るのか、涙に見えた液を侑徒は考えた。
「頑張って下さい…」
其の言葉に又液が流れた。涙腺は治して居ない筈なのに、透明な液体が目尻から流れ落ちた。
「時一さん…」
警告音に侑徒は目を瞑り、目覚めた時を考えた。果たして何方の名前に反応してくれるか、出来れば呼んだ名前が良いなと、マスクを床に捨てた。
侑徒達の後直ぐ宗一は手術室から出、一人取り残されたルートヴィヒは羽根の形をしたショコラーデを真上から口に入れた。異様な程長い舌を屈折して出し、窪みに落ちた羽根に口角を吊り上げる。
「御機嫌よう…、ヨーゼフ・ゲーテ…。又…会えますかね?」
宗一が義眼が踏み潰した様に、口に入る天使の甘い羽根を噛み砕いた。
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