神様と天使の戯れ
時一のカルテに書いた日付に侑徒は手を止めた。
七月七日の七夕。
此処に笹は無いけれど、不要な紙を短冊型に侑徒は作り、願い事を書くと目の前のコルクボードに貼付けた。
時一の手術から二日が経った。在の時起きた合併症は直ぐに引き、其の日の夜には目を覚ました。昨日は丸一日喚き、其の都度侑徒が鎮痛剤を打とうとし、そして時一は苛立つで怒鳴り散らした。
「俺が欲しいのは鎮痛剤じゃないっ、鎮静剤だっ。頭の中で声が繰り返えされて、こうしてる今でも頭がおかしくなりそうだっ」
姉の声に似ていると仕切に繰り返し、布団を被って其の中で喚いて居た。安っぽいベッドが錆付いた音を立て揺れ、紛れて短い悲鳴が聞こえる。頭が割れると何度も繰り返し、本当に言葉通りに割る積もりなのか、ベッドに頭を打ち付け続けた。落ち付かせ様と望み通りの鎮静剤を用意しても、俺に触るなと侑徒や他軍医達を跳ね退け、漸く落ち付いたのは喚き始めて四時間経った時だった。がらがらに掠れた声で宗一を求め、そして宗一以外に触れさせる事は無かった。
宗一には宗一のしなければ為らない事が沢山ある。其れを放り出して迄宗一は時一を選択する事は無かった。
「御用事は…」
「終わたで。今から暇や。」
午前中は頭の中の声に喚き、午後は痛みに喚いた。
来た時宗一は紙袋を持って居た。其の中から徐に中身を取り出し、侑徒は顔を歪ませた。
「時一坊ちゃん、如何したんでしゅかあ?御目々痛い痛い?うえんうえん。」
「…………は?」
ベッドに頭を打ち付けて居た時一はびたりと静止し、奇妙な声を出す宗一に怯え引き攣る顔を向けた。
「何?等々やられた?誰御前。」
見えない時一には宗一がそんな奇妙な声を出すのか判らず、見えて居る侑徒は顔を逸らし必死に笑いを堪えて居る。
「一緒に遊んで、ねえ遊んで。」
「やだよ…」
「酷いよぅ、あたち頑張って来たのよおぅ?」
ふわふわなテディベアの両手を持ち、上下に動かす。そして目を隠し、泣き真似をした。
良い年こいて、等とは云わない。孫にして居ると思えば全く違和感は無いのだが、何せして居る相手は三十六歳の中年だ。
五十四歳の初老が、三十六歳の中年相手にテディベア何ぞであやして居るのだから気持悪い事此の上無い。しかも此のテディベア、御丁寧に、白の軍服の上に白衣を着て居る。ベイビーブロンドの毛色で、碧眼だ。
宗一の行動に時一は唖然とし、其の衝撃でか頭の声は止んだ。
唯、酷く頭痛がした。
「頭が、痛い…。皆…出てくれないか…?一人に、なりたい…。物凄く………」
此の良く判らない事態を整理する為にと、時一は頭を抱え布団に潜り込んだ。折角特注で買って来、尚且声迄頑張ったのに蔑ろにされた宗一は剥れ、テディベアを侑徒に渡した。
「何やの。」
「其れはこっちの台詞だ…」
布団の中から悲痛な声を漏らし、そうか宗一は等々痴呆が始まったのかと一晩中、団子虫の様に丸くなった侭過ごした。
特注で買ったと云うテディベア、結局団子虫の様に丸まった在の中年には気に入って貰えず、後ろで笑いを堪えて居た青年の手に渡った。机に置いて見たは良いが、邪魔であったのでヴォルフに渡した。しかし其のヴォルフさえ気に入らなかった為、今は天井から吊るされて居る。
「中々に素敵や思わへん?」
――モビールみたいだぜ。
侑徒が動く度テディベアは揺れ、何だかヴォルフは悲しくなった。哀愁漂わせ白衣を揺らし、何故か必ず侑徒の方を向く。
――下ろしてやろうぜ、此奴…
白衣が自分の頭上で揺れる度、ヴォルフは思った。
此のテディベアの白衣、立たせても裾が床で皺を作る程長い。吊るされた今は、白衣の裾だけ矢鱈揺れる。其の体格に対して長過ぎる白衣の裾に、宗一の肩に掛かる、在の大きく広がる白衣を重ねた。
――神様って、飛ばねんじゃねえの?抑、神様は吊るされてんじゃ無くて、貼付けられてるもんじゃねえの。
そう思い始めたら、此処に吊るされて居るテディベアが不憫に思え、ヴォルフは神様救助を試みた。しかし此の身長では掠りもせず、六回目の挑戦時に侑徒に捕まれた。
「はい、終い。」
――後少しっ
コツを掴み始めた所で終了を告げられ、悔しそうにヴォルフはテディベアを眺め、きゅん、と一声鳴いた。
赤子をあやして居る様にヴォルフを抱き、背中を叩く。小さく聞こえる鼻歌。
「俺なぁヴォルフ、今日誕生日何や…。七夕様。俺の織り姫は、何処に居てはんねやろな…。迷子違うか…?なぁんてな…」
そう云われてもヴォルフには通じない。けれど侑徒は構わなかった。誰かに聞いて欲しい、其れだけだった。
聞いた事は無いが、侑徒の鼻歌はとても心地好くおまけに背中も叩かれて居る。ルートヴィヒより数倍奇麗な鼻歌に何時しかヴォルフは眠り、其れを確認した侑徒は薄く笑うと静かにソファに寝かせた。
「三時間は起きなや…」
ヴォルフを見た侭後退し、ドアーノブに触れ様と腕を伸ばした。しかし何故かドアーがある其処はすかすかの空洞で、開けた侭だっただろうかと振り向くと、廊下に宗一が居た。壁に背を付け、侑徒の寂しい独り言をにやにや聞いて居た。
悲鳴の出掛かった口を塞ぎ、小声で聞いた。
「何時から居たんです…」
侑徒の声に素っ惚けた顔で無人の後ろを向き、侑徒に向き直ると自分を指した。
「先生ぇです、先生ぇ。氏は菅原、名は宗一、の先生ぇ。」
「うちかぁ、うち何かぁ。人違い、違う…?」
然も残念そうに宗一は肩を落とした。侑徒から視線を奥に流し、来た時から気になって居たテディベアに近付いた。天井から吊るされるテディベアを指で弾き、回転した其れと目が合う。そして持つと軍服の上から縛られて居る姿に項垂れた。
「此れ、幾らしたと…」
「置く場所が無くて…」
「縛るんにも、もう一寸あるやろ。」
「首を締めるのは流石に…」
「亀甲縛りは止めやぁ…」
「あっはは…」
渇いた笑いで笑いを誘うが、見事睨み返され、済みませんと返した。
其の、亀甲縛りを施されたテディベアに宗一は複雑な思いを抱いた。テディベア自体もそう思わせる要因なのだが、其れをした侑徒の精神状況が不安で堪らない。普通に生きて来て亀甲縛りを、緊縛師の如く完璧に出来るであろうか。宗一の経験上、無いと叫んで良い。駄目か、奇麗に出来たのにと、宗一を余所にテディベアに話し掛ける陰湿な侑徒に溜息が漏れる。
「なあ…橘…」
「はい…?」
「自分…今迄…、どんな男と…」
聞かれた侑徒は一瞬眉間に皺寄せ、そして視線を泳がせた。
「どんな…。さあ…」
「やっぱそっちの趣味が…」
「俺は無いです。」
ならば相手にあるとでも云う口ぶりで、曖昧に答えた。
「相手は…タカオミ…?」
宗一の口から出た名前に侑徒は強張った顔を見せ、気味悪い物を見る様な目付きで宗一を見た。しかし、何故其の名前を知って居るのかは聞かず、其の流れが全く無い様な雰囲気で口を開いた。
「アルツト ゲーテの所に行って来ます。」
侑徒は其の為にヴォルフを寝かし付けた。暇ならヴォルフを見て居て下さいと、距離を持つ言い方でドアーから出た。
開けた侭のドアーから聞こえる侑徒の足音にヴォルフの耳が動き、慌てて起き上がったが、居るのは宗一で、侑徒の居ない寂しさに不貞寝をした。
「寝るなよ。相手しろ。」
等々犬に迄無視をされ始めた。総統閣下の御犬様だか何だか知らないが、主人の恋人を無視するとは度胸が良い。
宗一を見ない様に顔を向こうに向けたヴォルフだが、しゃがんだ宗一に鼻を指で塞がれた。
――御前ぇっ、俺の鼻穴にジャストフィットする細い指だからって、何しても良い訳じゃねえぞっ
ソファに立ち上がりぎゃんぎゃん吠えるヴォルフに宗一は眉を上げ、突き出た鼻と口を一気に掴んだ。下品に鳴いた事が一度も無いヴォルフは、当然そんな事を一度もされた事が無く、驚きと恐怖で視線を逸らした。
「侑徒は主人。俺は?」
――ソウイツだろう…
離せと顔を引くが、引けば引く程掴む手に力が入り、余りの怖さにきゅんきゅんと鳴き乍ら腰を落とした。
「御前に主人が居るのと同じに、御前の主人にも主人が居る。賢い御前なら、俺が何処に居るか、判るよな?」
振り払う様に手を離し、クラウスとは違う威圧感にヴォルフは尻尾を腹の下に巻いた。
「俺、犬と女アレルギー何だよ。悪いな。」
だから御前とは遊べないと、我慢して居た嚔を数回立て続け鳴らし、逃げる様に白衣を翻した。
睡眠を妨害されたヴォルフは完全に目が覚め、掴まれて居た顎を動かすとソファから下り、前足でドアーを閉めた。
――俺は此の臭いと神様アレルギー。
一度盛大に嚔をし、天井から吊るされる神様を見上げた。
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