愛妻家の朝食
する事が無い癖に折はふらりと出掛けた。袴を履く其の姿は丸で男装の様で、雄一は“男装の麗人”を思い出した。
そう、御向かいさんの。
住家を移した其の先に井上達が居た。隣県の郊外だぞ、と雄一は思ったが、十年以上此処に住んで居るのを見ると不便は無い様子だ。尤も、今は通勤に二時間以上掛かる為引っ越しを考えて居るらしい。
折は其の向かいの美麗と遊びに行くとか行かないとか。
雪子もだが井上達も雄一には驚いた。
神楽坂先生たる方が、こんな小さな家に居る、と。
井上は今出勤中で、門の前同士で掃除をし乍ら雪子と雅は話して居た。
「何だか、不思議ですね。」
「何がです?」
「私は木島元帥に御会いした事御座居ませんが、こうして夫人と御話しする何て。」
たった十五年以上前の話なのに、嘘みたく昔の様に思う、と雅は息を吐いた。
「夫人は、木島元帥が御亡くなりになって、如何な人生でした?」
雅の方の葉を自分の塵取りに掃き、蹲った体勢の侭言葉を繋いだ。
「普通でした。けれど、倖せではありませんでした。」
大変でも木島が生きていた方が倖せだったと雪子は云う。
「偶にね、思うんですよ。和臣さんが今生きて居たらと。在の時、和臣さんが元帥の侭だったら、私は倖せでしょうが、周りはそうでは無いでしょう。」
「そう、何でしょうか。私は生憎海軍でしたので、良く判りません。」
「判るんですよ、傍に居たから。日本が離脱し、壊滅した地方に目を掛ける事、和臣さんには出来ません。和臣さんには軍の事しか頭に無いから。本郷さんだったから、日本は此処迄復興したんです。でも…」
雪子は塵取りを持ち、中を庭の隅に捨てた。
「和臣さんが間違って居たとは、私は決して思いません。」
強い雪子の目に雅は同じ様な強い目を向けた。在の時代を生きた人間だけが判る気持。
修羅に関わった女達。立場は違えど、其の力は強力だった。
「何故、そう思われますか?」
雅は、日本が軍事国家になろうが如何でも良かった。木島を肯定も否定もしない。在の時はそうだった、其処に生きた。そう思う。
雪子は塀に背中を付け、踵を鳴らす。雅の顔は見ず地面を見、自分に云い聞かせた。
「木島和臣を愛した女はごまんと居る。けれど在の修羅の木島和臣を愛した女は私だけ。私が彼を否定したら、其れこそ…」
言葉は詰まり、変わりに涙が溢れた。
「何故なの…っ」
こんなに愛した、なのに知った裏切りは雪子を抉った。
「こんな現実の為に私は在の子達を育てたんじゃない…っ」
「夫人…」
愛した男の隠し子、其の存在だけでも動揺したのに、必死に育てた息子は其の子供と情死。
存在を初めから知っていたら雪子も動揺はしない。正妻に妾二人の木島宗一郎を知っている為、私には産めないけれど居るじゃありませんか、と笑っていられた。木島が死に十六年経った今、知った経由が出て行った息子の死の場。
「矢張り彼は…、間違った人間なの…?」
「いいえ。兄が云う様に、木島元帥は軍神です。」
雅に木島の人間性は判らない。けれど大戦から今迄の流れを考え、頭から否定は出来無い。
「木島元帥と本郷元帥は、根本的に違います。一方は修羅で、一方は仏です。修羅は、戦いそして破壊します。在の時日本に、両軍に必要だったのは修羅であり仏ではありません。確かに国民には辛い事ではありました。しかし、日本には修羅が必要でした。」
仏様に国民は守れても国は守れない、其れを十五年で国民が無意識に証明した。
「修羅が破壊し尽くした場所に必要なのは、仏です。其れが終戦直後の日本です。」
木島も本郷も日本には必要な人間だった。唯国民は、修羅を疎まい仏を求めたに過ぎない。
けれど、雪子の何故は、隠し子の方に向いている。幾ら雅が軍神について語ろうが、雪子の何故も木島の裏切りも晴れる訳では無い。
「夫人が愛したのは、本当は何方ですか?」
口では何とでも云える。修羅の傍に居たから愛した。でも本当は、違う。だから、此の事実が許せない。
「私が愛したのは、和臣さん…。修羅の木島じゃない…。でも、和臣さんを修羅にしたのは私と宗一さん、だから…」
愛して居た。何時か笑ってくれると信じて。
「私も宗一さんも、時恵さんも時一さんも、そして本郷さんも、和臣さんがどれだけ優しい人だったか知ってるの。屹度加納元帥も。でも、周りが知るのは修羅の姿だけ。そして否定する。知っている私が、私達が彼を否定する事は出来無いのよ…」
雪子には判らない。木島を肯定し修羅を否定するべきか、木島を否定し修羅を肯定するべきか、其れとも両方肯定、若しくは否定するべきか。
木島の裏切りを正当化し、尚且軍事国家を正当化するのは、雪子には困難な事だった。
一見此の二つは全く違う様に見えるが、雪子には繋がっている。
優しい阿呆な和臣さんと、鬼様修羅様木島様。
何方を如何したら良いか判らず、“木島和臣”と云う人間を認めるのは両方を知る雪子が“愛さなくなる事”だけだった。
全てを手放す事。
木島の名前を、そして修羅の子供を。
其れだけが、木島和臣を認める方法だった。
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