愛妻家の朝食
雪子の思いを偶然に聞いた日から数日経った或る晩、雄一は雪子に謝罪をした。代筆で酷使した手を開閉させて居た雪子はきょとんと雄一を見た。
「申し訳無い。」
初めにそう発し、清人を気に掛けてくれる事、自分達と暮らしてくれる事、新を見殺し同然にしてしまった事、折が受けた拷問を謝罪した。雪子は構わないと笑い、大先生が頭を下げては駄目よ、とさえ云った。
一番謝まらなければ為らない事が、口に出ない。申し訳無いとしか出ない。出したく無いのでは無く、犯した重罪さに全く言葉が出ずに居た。
押し黙った侭俯く雄一の肩に雪子は触れ、下から雄一の顔を覗いた。
「謝っては駄目。」
雄一の謝罪が何か判る雪子は静かに目を見た侭云った。
「在の大戦は笑って済む事じゃない、批判されても仕様が無い。確かに心は痛いわ。でも、貴方が私に謝ると云う事は、貴方が今迄して来た事、信念全てを否定する事なの。貴方は自分で自分を否定するのよ。だから謝っては駄目。和臣さんを否定する事は時代の流れで言葉を借りるなら思想の自由。でもね、自分が自分を否定する事だけは絶対に駄目。」
雪子はそうして生きて来た。
木島の妻と云われ、大戦の時は元帥夫人として、終戦後は罪人の妻として、其の前は娼婦と罵られ、其れでも雪子は、決して自分自身を否定しなかった。否定し、残るのは虚無感だけ。
雄一に自分自身を否定するなと云ったのは清人の為である。先生先生と慕う人間達の為、自分自身を否定するのは自分を愛し必要としてくれる人を否定するのと同じ事、そう雪子は続けた。
「神楽坂さんは、思うに、軍自体を批判している。其の批判の対象が余りにも膨大で、木島批判になったに過ぎ無いと思うの。あくまで、私の考えだけれど。」
「強ち間違いではありませんよ。」
軍が憎い、戦争が憎い、其の元凶が木島だった。
「私は、戦争が大嫌いです。」
自分の全てを奪った戦争。得た物と失った物、何方が多いだろうか。此の国も、雄一も雪子も。
「けれど、軍はもっと嫌いです。」
皇軍が聞いて呆れる、吐き捨て鼻で笑った。
「軍と云う物は、戦争をする目的の前に、国を、陛下を守る為に存在するのでしょう?」
けれど如何だ。
戦争だけを重要視し、兵士達を暴力で支配し、暴力を行使する為に育てられた集団になり下がった。
雄一は其れが許せ無かった。其れをしたのは全て、木島。そして海軍元帥。人の命をゴミと思い、人間其の物を兵器にした。
「陸軍の、皇軍弾丸、と云うのを御存じですか?」
聞き慣れ無い言葉に雪子は首を傾げ、雄一は鼻で笑った。
「海軍の神風特攻は有名ですよね。」
「そうね…、余り好きでは無いけれど、其の散った神風達は批判するべきでは無いわ。」
「ええ、私もそう思います。彼等は本当に、御国の為に死んだ。決して批判するべきでは無い………」
雄一は下唇を噛み、顔を歪ませた。
「何故…誰も知らないんだ…」
皇軍弾丸、木島が考えた陸軍の神風特攻。
弾丸の名の通り、一部隊丸々弾となり、敵部隊に撃ち込む。其の兵器の中に敬作の兄が居た。徴収された一週間後に、死んだ。
問題は、人間を兵器にした事では無い。全て隠されて居た事が問題なのだ。皇軍弾丸で死んだ兵士は皆、戦地に向かう途中で死んだとされている。敬作の兄も、同じだった。戦いも出来ず何と無念な、と敬作は泣いた。雄一も泣いた。無念だ無念だと二人で泣き、そして知った此の事実。
「神風特攻の魂はきちんと認められている。なのに、なのに…」
隠蔽され、無い物にされた魂。其れを知った時の怒り。軍が、戦争が、木島が憎く思えた。だから雄一と敬作は考えた。
此の国の軍国体制を崩そうと。
敬作は中から、雄一は外から。
努力し、やっと出来る処迄来た。其れなのに元凶の木島は。
雄一は怒りで歪んだ顔を一層歪ませた。くしゃくしゃに歪ませ、泣いた。
「私は…、此の国の為には、死ねない…」
木島は憎い、けれど雄一には木島と同じ事は出来無い。
「ですが雪子夫人…」
哀怒に濡れる雄一の目は強く揺れ、睨み付ける様に雪子を見た。
「私の“申し訳無い”は、木島に対してでは無い…」
幾ら木島が自決だろうが、積年の恨みはそう簡単には消えない。勿論自分自身を否定する積もりも無い。雄一が謝る理由は一つ。
「貴女を、知らぬ内に傷付けていた事です…」
木島本人に捕われ、見えて居なかった。幾ら修羅だ鬼だと云われて居ても、木島を愛していた人間は居た。其れを雄一は考えもせず、自分の恨みを吐き続けた。
「私も木島も、仏の心が少しでもあれば、貴女を傷付けずに済んだ。」
申し訳無いと深く項垂れ、雪子に謝罪した。
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