時一先生の一日


終業時間は五時だ。宗一は又明日、と馬の尾みたいな長い髪を揺らし乍ら帰宅し、俺は此処にある自室に向かった。俺が勝手に応接室を占領した部屋だが、応接室は未だあるので誰も文句は云わない。床に脱ぎ落とされた侭の着物を拾い、衣紋掛けにを手にした。しかし、其の侭着物は放置した。結構な値はしたのだが、捨てる事に決めた。彼女達の怨念が宿っていそうで、此れをプライヴェートの時間に着るのは躊躇われた。月一でこうして着物を捨てる。同時に、優しさも捨てている様思う。
煙草を咥えた時、ドアーを叩かれた。
「菅原先生、宜しいですか。」
其の声で、誰か判る。そうか、今日の夜勤には彼も居るのか。
俺は笑顔でドアーを開け、何食わぬ顔で医者の顔をした。
「如何したの?」
聞いた瞬間、俺より随分と背の低い彼は俺の首に腕を回し、其の侭俺は部屋に押し込まれた。
「待って、ドアーを。」
「嫉妬で狂いそうです…」
「ん?」
彼が誰に対して嫉妬を見せているか、判っているのにとぼけた。荒く唇を重ねられ、床で皺を作った侭の着物の上に寝かされた。彼は其れに気付き、俺の肩に少しだけ羽織らせ、苦しい表情を見せた。
「女の格好をするのは、誰の為です…」
醜い嫉妬に支配され、其の声に殺されそうに感じた。俺は昔から、常に誰かに殺される感覚を持っている。実際に殺しはしないと判っているのに、俺は何故かそう感じる癖がある。今日も其の類だった。
「唯の趣味だよ。誰の為でも無い。」
窪んだ、死んだ魚の様な目をした彼の其れを見た侭、一度瞬きをし、瞑った侭彼の声を耳に入れ、頭に入れ、殺される感覚を楽しんだ。
「私は、矢張り、軍服を着た貴方の方が好きです…」
「そうだろうね、君は女役だから。」
薄く目を開けると、彼の睫毛が伏せられていた。褐色に変色した彼の瞼に、俺は云い様の無い愛おしさを感じる。
「好きです、好きです。先生…」
「うん。有難う。」
片腕を彼の首に回し、抱き締めた。彼は泣いている様で小刻みに震えていた。其れが又、可愛かった。
有難う、とは俺は云うが、実際誰も愛しちゃいない。好きでも無い。自分しか愛せない。自分の好きな自分を好きだと云ってくれるから、有難う。彼の感情好意に感謝した事は、一度も無く、此れからも無い。
俺は一生、誰かに殺される感覚を持った侭、其の恐怖とも云えぬ甘い感覚を楽しむだけなのだと、心の何処かで知っていた。
「逸そ、殺してくれ。」
生きているのかも死んでいるのかも判らない感覚が、酷く苦しい。けれど、心地好い。
首から腕を放し、俺は首を仰け反らせた。




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