恋をやめた理由
親父のあんな姿を見た所為か、“仰山”胸糞悪い。
何が愛だ。
愛して居るのなら、何故貫かない。一人の女を愛さない。笑う其の下で傷付いて居る事を知り乍ら、何故俺を作った。
俺には全く理解出来無い。
何処が愛の結晶だ。愛憎の間違いであろう。そんな物無くとも子供は出来る。
俺は其れを、知って居るんだ。
「だから俺に、如何しろって云うの?結婚出来る年齢じゃないのは、判ってるでしょう?」
「あんた、其れでも男なの…?」
「男だよ、だから子供が出来たんでしょ?」
雄と雌であれば、子供は出来る。そんな事も知らないとは、其れでも女か。
親父に殴られる前に酒を掛けられ、何故か水も掛けられた。最後は灰皿の中身も頭から知った。
「自分の子供に呪われろ。」
「嗚呼、はい、有難う。」
又新たな水子を背負う事が確定され、少し背中が重く感じた。
「おやおや坊ちゃま、御間抜けさん。」
感じた重さは、背中から抜けた声に軽く為った。灰で白く為った頭を本で軽く叩き、中身の無い灰皿に中身を作った。
切れ長の目は横目で俺を見、睫毛の動きを教えた。
「馬鹿ねぇ。」
「慣れてる。」
椅子から立ち、頭を振って灰を落とした。水を掛けて呉れた御蔭で顔は洗いにゆかず済みそうだが、張り付いた服はそうは行かなかった。
「乾く迄此処居て良い?嗚呼、半襟今日変えたのに…。最低…」
水子が増える事より、服が濡れた方が嫌だった。
「泊まっても良いよぉ。死んだ旦那の服ならあるから。」
ママさんはからから笑い、奥を差した。
「其れって何?ママさん付き?」
「あたし上がってるからね、出来無いよ。」
「其れは良い事聞いた。水子が増え無くて済むね。」
ママさんは豪快に笑い、他の客、特に男が笑って居た。女客達は少し引き攣り、笑う連れを恨めしそうに睨んで居た。男と一緒に為り笑う女は娼婦であるので「羨ましい限りよママさん」と云う。
「あんたも早く上がると良いね。」
「其の時にはもう、そんな心配無いよ…」
上がった年齢の娼婦等、余程の物好きしか相手にしない。俺は其の“余程の物好き”でも構わないが。
「俺が相手してあげる。」
「有難いねぇ、坊ちゃま。忘れないでよ?」
「横に居る其の爺の、倍出したげるよ。」
「だってよ旦那、如何する?」
娼婦は生々しく笑い、男の腕に絡み付いた。服の下に隠れる性が濃密に絡み合ってる様な生々しさ、目の前で情事を見て居る気分だった。
「御前が上がった頃にゃ、俺は死んでるさ。坊ちゃまに可愛いがって貰え。」
「三十年後の予約が出来たよ。」
「手帳に書いて於くよ。」
「坊ちゃま、あたしもだよ。あたしは二十年後。」
「他は?居ない?今夜の予定でも良いよ?」
又笑いが溢れたが、そんな女で無い女客は、眉をずっと顰めて居た。連れに「もう出様」と小声で話すが、男は笑った侭聞いては居なかった。
彼女は、そんな中でも、矢張り自分の世界に居た。
カウンターの隅に座り、其処だけは陽気さとは違う空間。ママさんからグラスとタオルを貰い、水気と灰を取った。此れで水子も取れたらよいのだが、上手くはゆかない。明日辺りに、又一体、俺は背負うのだ。
酒を一口飲み、自分の世界に浸る彼女の横に立った。
「凄い集中力。」
「坊ちゃまもねぇ。女には豪い集中で。」
しっかり聞こえて居たらしい。
「坊ちゃまって、止めてよ。」
「名前知らないもん。」
「教えるからさ、そっちも教えて?」
「嫌だね。権兵衛で良いよ。」
「ねえ、権ちゃん。」
「本当に呼ぶなよ…」
権ちゃんとは中々に、其の芋さに合って居る。
「縁だよ。」
「ヱニシ…?」
ママさんは勝手に彼女の名前を良い、彼女に睨まれた。
「本当はユカリって云うらしいけど、ヱニシさんって間違えられるから、其の侭にしてんだってさ。」
「ユカリちゃん…」
俺は呟いた。すると心に、ほんわりとした暖かさを覚えた。
「ヱニシだよ。」
「良いじゃん、ユカリちゃん。」
又、暖かさを知った。
煩いのか彼女、ユカリは本を閉じ、歪ませた顔を向けた。
「ヱニシ。」
「じゃあ、俺だけ、ユカリって呼ぶ。」
歪んで居た顔は一気に筋肉が溶けたのか、真赤に震えて居た。
少し乱れた髪は激しく乱れ、紙で切ったのか、小指に一つの傷を付ける手は赤い耳を塞ぐ。
赤い線。
俺は其れに、糸を見た。
俺も丁度、小指を怪我して居た。
「ヱニシじゃないと、返事しないから。」
「はいはいユカリさん。」
赤い目元は俺を睨み付けるが、照れて居るので、全く迫力が無かった。
「あんたって、垂らしだね。」
「父親譲りの云々だよ。」
「無鉄砲でもあるね…」
「そうさあ、女好きと無鉄砲は父親譲りさあ。俺は和臣だよ。」
「何が。」
「名前だよ…」
「嗚呼。」
灰皿に置いて居た煙草をユカリは吸ったが消えて居たらしく、マッチを流した。ゆらゆらと揺れる火の動き、吐かれた煙、動く睫毛、そして連動する、大した膨らみの無い胸、細い腰…。
息が漏れた。
「だったら坊ちゃま、あんたは和ちゃんな。」
其の流し目は、強烈な色香を放って居た。
ユカリは、元から短いのもあるが二口程で消し、本を持つと椅子から下りた。高い鼻筋をつんを向け、妖しく笑う。
「子供に興味は無いんでね。」
結って居た髪は靡き、油の匂いがした。何とも無い整髪料の匂いが、香や白粉よりずっと俺を誘う。麻酔薬の様な痺れを脳に知り、絞り出した声は上擦り震えた。
「ユ…カリ…?」
「明日も来るんだろう?パパの、金で。」
魔性だ、此れは、本物の魔性だ。
幾ら着飾ろうが匂いを出そうが、芯を揺さぶる色香を感じた事無かった。其れが如何だ、化粧気無く、髪は一つに束ねただけの、色気とは全くの無縁の芋女に、其れを知らされた。
流される視線、薄く笑う口元。
たった其れだけで、俺を落とした女が居たであろうか。
ヱニシ…。
ユカリがそう頑なに其の名前を云ったのは、此の為だったと俺は解釈した。
ユカリでは、唯の縁に為る。
例えば、ママさんと会ったのは何かの縁。
其れがヱニシに変わると、異性との縁に変わる。
俺とユカリは、ヱニシだった。
〔
*prev|3/7|
next#〕
T-ss