アンティークな時間
そんな私、西洋骨董に惹かれて仕舞った。と云うのも、大戦後暫くしてだろうか、ベイリー元帥が「気分転換がてら、英吉利にいらっしゃいませんか?」と手紙を寄越したからだ。
主人は仕事上三回程英吉利に行った事がある。私は其の度、主人から土産としてアクセサリーを貰った。
父のゴミ山を売り捌いた大金、私は其れで、英吉利行きを決めたのだ。
本郷時恵、初めての海外旅行です。
宿泊先はホテルでは無く、ベイリー元帥の自宅、ゲストルームを使わせて頂く事と為った。首都のロンドンでは無く、一寸田舎のヨークである。ロンドンでも良いと私は云ったが、ロンドンは空気が悪いと却下された。
船で何日だろうか、多分一ヶ月近くは掛かったのでは無いだろうか。此の時代、未だ“旅客機”と云う物は無かった。飛行機はあるのだが、殆どが軍用機。
旅客機としての一号が登場したのは、大正八年のヨーロッパ、独逸である。続いて三日遅れで仏蘭西英吉利間に旅客機が飛んだ。日本には、そんな代物無いのだ。陸軍の軍用機飛ばして、精々上海辺りでは無いだろうか。
私が英吉利旅行をしたのは大正の四年、大戦の傷が、掠れて行く時代であった。
私が「英吉利に遊びに行く」と云うと(土産の一つ位買って遣ろうと云う私の優しさから云った)、在の海軍元帥は「ならばワタクシの軍艦を御使い下さい」「最速ノットで二十日程で着きます」と云った。丁重に断った。
何が悲しくて、軍艦で英吉利に初海外旅行に行かなければ為らない。私は“旅行”に行くのだ、“仕事”で行く訳では無い。
客船はあった、なので私は其れに乗り、一ヶ月近い船旅を楽しんだ後、無事英吉利、ポーツマスに着いた。主人は船酔いが酷く、夜以外は寝て居た。けれど主人、「流石は客船だな」と揺れの少なさに感心した。
船の上では毎日パーティが模様された。こんな時代、外国に行く等金持ちしか居ないので、ぼったくりも良い所、大金は此れで四分の一消えた。旅費だけで半分消えた事に為る。
然し船旅は良い、此れは海軍志願が増える筈である。風が気持良い。主人は此の、磯の臭いが駄目らしく、此れが良いのに、と私は膨れた。
私は旅行の積もりだったのだが、着いた先ではベイリー元帥が部下引き連れ、厳重な警備体制を引いて居た。
「何かあると、困りますので。」
彼が何と云って居るか判らない私は主人に通訳を頼み、理解した私は“何故か”あはあは笑った。日本人の居ない空気が、私をおかしくさせて居るのだ。
彼が何かを話せば主人は通訳し、私が返事すれば又通訳、主人は何しに来たのか、通訳を頼めば良かった。
此の時既に終戦から四年、琥珀は撮影で英吉利には居なかった。唯、在の時式で見た男は居た。
「本郷さん、可哀相だな。」
船から下りて更に数時間、自宅のあるヨークに着いた頃、ベイリー元帥は気付いた。
「マット、マットっ。マシュー君っ」
自宅に入るなり彼は叫んだ。
「はいダン、此処よ。」
のっそり現れた長身(私から見れば)の男、そうそう、こんな顔をして居た。
「日本語の練習、二週間通訳御願い。本郷さん解放してあげて。」
数時間の通訳で主人は其れでもうぐったり疲れて居た。悪びれる事無く彼は云い、男――マシュー氏は「だから呼んだんでしょう」と首を掻く。
「マシューです、マシュー・ヴォイディ。琥珀の夫です。」
練習せずとも充分な、滑らかな日本語だった。
「本郷時恵と申します。」
「ええ、ミズの事は琥珀から毎日聞いてます。世界で二番目に好きな女だって。」
「まあ。」
一番目は判って居るので聞かない。私は其処迄判らんちんでは無い。
疲労困憊の主人は、ベイリー元帥から珈琲貰い、落ち着きを見せる。マシュー氏に案内されたゲストルーム、洒落ていた。
繊細なレースと所々に飾る桜色のカーテン、滑らかだが翌日には皴だらけに為りそうな絹の寝具、枕は紺色で、回りを金糸で装飾される。家具は全て猫足だった。
此れ等全て、百年も昔の品と云う。英吉利家具は、三代目迄使える様に作る、が信念らしい。
古いのに何処か新しく、私の興味を誘った。
「御気に召して頂けるかは、判りませんが、記念に。」
ベイリー元帥はクローバーの型した銀のペンダントを掌に乗せる。
「何ですの?」
そっと蓋を開いた。
「オルゴールです。」
掌で上品に流れる音色。クローバーは、スコットランドの国花と云う。
「まあ…、素敵…」
思わず両手を頬に寄せ、うっとり、愛らしい音に聴き入った。
「和蘭と貿易を始めた頃の品です。」
此れもアンティークと来る。
私が西洋骨董に魅入られたのは、女を喜ばす事が出来るからだ。あんな黄ばんだ掛け軸、女の誰が喜ぶか。居たら見てみたい。
特にヨーロッパは、貴族が居る。女を喜ばすのが趣味な男達が居る。其れ等色事の結果、女が魅了される品が確立された。
私は、オルゴールと云えば箱か何か、結構な大きさしか知らなかった。ペンダント型のオルゴールとは、随分色気がある。此れなら持ち運びも簡単、「開いて僕を思い出して、そして音色と共に愛を送るよ」「あわよくば君の行く場所に僕も連れて」と云う所だろう。
よぅく御覧、日本の男。掛け軸送って喜ぶ女等居るもんですか。床の間に掛けたって、思い出しません事よ。
「ワタクシ…」
私の手には少し大きい。
「来世はヨーロッパの方と結婚しますわ。」
ベッドに座り、タイを緩めて居た主人は苦笑する。
「俺の来世が確定した、英吉利人に為らんとな。」
「あら、仏蘭西の方かも知れませんわよ?」
「何の道日本人には為らん。」
視線合わせ、はにかみ合った。
「御熱い事で。」
ベイリー元帥は笑う。マシュー氏は非常に詰まらなさそうであるが、通訳を続ける。
「私、来世は日本人に為ると決めてます。結婚は無理ですね。」
「御止め下さいまし、日本人等。」
掛け軸に一喜一憂する馬鹿に為るのは。勿体無い。
オルゴールは、止まっていた。上の螺子を巻くと、又鳴り出す。金属の柔らかい音、アンティーク家具に囲まれた部屋には、良く似合った。目覚めの良い朝、と云う具合。
此処で二週間寝起きするとは、夢の様である。ベッドは面白い事に、薄い布が幾重にも垂れていた。見慣れない代物で、一瞬洒落た蚊帳かと思った。此れは天蓋と呼ばれ、唯の飾りに過ぎないとベイリー元帥は教えて呉れた。貴夫人の寝顔は、夫以外見てはいけないとか何とか。云われてみれば、日本にもそんな物が存在した。今ではすっかり失せているが、ヨーロッパでは尚も健在らしい。
日本も、伝統だ何だと汚い掛け軸取って於く位なら、此れを続ければ良かったのだ。平安貴族はそうして愛を交わして居たでは無いか。馬鹿め、色事には風情が必要なのだ。
何もかもあっけらかんと解放し、今日日の女子は股迄解放して居るでは無いか。琥珀、聞いて居るか、御前の事だ。
荷物はクローゼットに入れて呉れ、と開かれたクローゼット。中には洋服が何着か、其れも女物が掛けてあった。
「其方の御召し物でも構いませんが、一通り、流行の物を用意させて頂きました。」
色白の私に合う様な淡い色合いの服、触れて判った。かなり質が良い。
靴も服に合わせ何足かある。
「サイズ、合うかすら。」
ちょこんとした靴、こんな小さな足、井上氏の二女ならいざ知らず、見た事無い。
ベイリー元帥はくすんと笑う。
良く笑う男だ。
「見て判ります。此れでも一応、貴族相手の職人の息子でしたので。一度、草履が脱げた時履かせましたし。」
触れただけで判るとは、憎い眼鏡野郎だ。良し、来世は彼と結婚し様。いや然し彼は来世は日本人に為ると云った―――彼と結婚は無理かすら。
「私は此れから、失礼マダム。仕事を済ませますので、マシューが御相手を。明日からはきちんと。」
「御気に為さらないで下さいまし、今日は一日、此処に居りますわ。」
「マシュー、粗相無い様にね。」
「はい、ダン。」
マシュー氏に後を任せた彼は、犬を二匹連れ、家から出た。主人はと云うと、相当疲労溜まって居るのか、シルクの海に身体を預け、眠って居た。手持ち無沙汰な私は一先ず、彼が用意して下すった服に身を包み変えた。
ふわふわとスカートは、相変わらず頼り無い。此の、下から風が入る感覚が苦手な為、私は何時迄も着物なのだ。
然し服も靴もぴったりで、浮かれた。
「龍太郎様、龍太郎様。見て下さいまし。」
洋装等そう無い姿、見て貰おうと揺すった。半分しか開かない目で私を見た主人は「嗚呼、似合うよ」と碌に見もせず又眠る。マシュー氏も似合うと云うが感情は無かった。
此れがベイリー元帥だったらと、知れず思う。
あら嫌だわ、恋してるのかすら…?
主人が寝て居る間、私はずっとオルゴールを掌に乗せ、聞いて居た。カーテンに靡くレースは五線譜、愛らしい音は音符と為り、上を泳ぐ。
「良い風…」
瑞々しい木々の匂い、私は家に居る気分だった。つい、主人の横に並び、寝て仕舞った。
夕飯も忘れ、夜遅く、「マンチカンが可愛い顔で寝てる」と云う声で目が覚めた。
「あら…」
主人の姿は無かった。ちゃっかり夕飯を食べて居た。不思議と空腹は無く、時間も時間だった、柘榴と云う果物を二三切れ食べた。甘い様な酸っぱい様な、魅惑的な味だった。
此の部屋を若し食べたら、こんな味がする。何故かそう思った。
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