切り取られた風景(前)
翌日、開院前に男を迎えに来たのは下宿先の仲間では無く、東京から一緒に来た男の恋人であった。長い髪をハイカラに巻き、高いヒールの音みたくドアーを叩いた。
「済みませぇん、吉川隆臣を迎えに来た者ですけどぉ。」
ドアーの硝子が鳴る音に男、隆臣は目を覚まし、此処が何処だか辺りを見渡した。唯でさえ甲高い女の声は硝子の音と重なり、其れは朝から騒々しかった。
「はいはい、今開けますね。」
二階から風の如く現れた侑徒は、此れ以上の騒音は止めてくれと云わんばかりに錠を開けた。待って居たかの様にドアーは勢い良く開き、女は一目瞭然に隆臣に向かうと服を上から落とした。
「挨拶位、しなよ、美奈子…」
有難う、やら、御早う、だの挨拶も出来ないのかと、侑徒に対して恥ずかしいやら申し訳無いやらで顔に掛かる帯を取った。そんな隆臣の心中、とは正反対の考えを持った美奈子は、腕を組むと眉を上げた。
「折角持って来たのに。」
「其れは有難いよ?彼に挨拶位したらって事。」
自分に挨拶をしろ、と云われたとばかり思った美奈子は「え?」と振り返り、侑徒を視界に入れた。
「やだ、御免為さい…」
「勝手にドアーが開く訳無いじゃん…。済みませんって云ってたし…」
何の為の鍵だと隆臣は呆れ、脱いだシャツを美奈子の頭に乗せた。
「やぁだぁ、汚い。」
「鳥の巣みたいだから丁度良いじゃん。」
「失礼ねっ」
素足をヒールで踏まれた隆臣は、昨日の腹痛以上に悶絶した。薄く笑みを浮かべた侭侑徒は其処に存在し、前髪の隙間から見えた侑徒の姿は、景色と同化して居た。
侑徒は唯、東京の人間は騒々しいな、と考えて居ただけで、治療費を急かして居た訳では無い。着替え終わった隆臣が「御幾ら?」と聞いたので、漸く治療費の事を思い出した。
「御代は結構です。」
云った侑徒に美奈子は指を鳴らしたが、隆臣は狼狽を見せた。
「然し…」
「父が、要らないと。」
父、と其の単語を口にした瞬間侑徒の顔から笑みが消えた。
「そうですか…?では後日、改めて御挨拶に…」
「良いですよ。」
ふっと笑った侑徒の顔に暖かい気持を隆臣は覚え、釣られて笑った。脱いだシャツを袋に詰め、三味線を肩に掛けた。
「有難う、御座居ました。」
「ええ、行ってらっしゃい。」
ドアーを開けた侑徒に視線を流し、一人早々と前を歩く美奈子に息を吐いた。
「在れが東京の女ですよ。」
指指し笑う隆臣に侑徒も笑った。
「京都の女には無い活発さがあって、良いんじゃ無いでしょうか。」
そう侑徒は云うが、女は矢張り、一輪挿しみたくしなやかな方が良いと、全く其れの様な侑徒を見た。
景色の一つでは無く、今形容した様に侑徒を収めてみたいと隆臣は思った。
「隆臣、置いてくよ。電車賃無いんでしょう?」
「はいはい、今行きますよ。」
昨日の夕食代も、実は美奈子が出して居る。払うとは云ったが、当然治療費も美奈子持ちである。
美奈子に手を引かれる隆臣の後ろ姿に侑徒は首を振り、
「腹痛起きたんは、美奈子はんの呪いや…」
呆れ乍らドアーを閉めた。
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