切り取られた風景(前)
「京都の春は四回目だけど、東京には無い情緒があるよねぇ。」
春休みの最中、練習して居た美奈子は窓から見える桜の姿に其の手を止めた。中庭から入る暖かい風に隆臣は身を乗り出し、微かにする桜の匂いに「桜餅食べたいな」等相変わらずの食欲を見せた。
サックスと三味線の音を重ねては見たが、パーカッション程しっくり来なかった。ヴァイオリンやベースの弦楽器、ドラムやシンバルの打楽器には合った。然し日本には本来存在しないサックスやトランペットの金属製の管楽器に、三味線や琴が合わない事が判明した。伝統音楽と軽音楽を融合させれば面白いのでは無いかと隆臣は考え付いたのだが、管楽器の音が余りに強過ぎた為断念した。そうして「管楽器は美奈子みたい」そう隆臣は云った。
ぺかぺかと光り輝き中はすかすか、なのに主張は凄い。
皮肉を云った積もりなのだが、比喩した通り、美奈子には余り伝わって居なかった。
「隆臣てさあ。」
爪を外して居た廉太郎が云った。
「こないに見ると、ほんまもんの京都人やんなぁ。」
細長い身体に袴を揺らし、三味線を肩から流し桜を眺める。写真の中から抜け出た様な隆臣の美男振りは美奈子だけでは無い、他の女学生を虜にした。美奈子が居なければモーションを掛ける等、時代に乗る女学生に隆臣は日々逃げて居る。
「今時珍しいわ、隆臣みたいな風流な男。」
「如何にもな京都の男に成りたいねん。」
訛りを真似ては見たが、廉太郎に溜息を吐かれた。
「京の男はそないな訛りや無い。如何にもな京男に成りたいんやぁ、うち、や。妙にな、女みたいなんやわ。」
「語尾を伸ばすのか、ふんふん。」
頷いては見るが別成りたい訳では無い。からかって居るだけであり、其れが判る美奈子は一人笑って居る。
琴を仕舞い終えた廉太郎はチケットを、桜に見蕩れて居る隆臣の頭に付けた。
「一人頭五枚な。」
四月に行われる公演会は一般人も見る事が出来、チケットを捌けと廉太郎は云う。無料なので適当に配れば良いのだが、伝統音楽の人気の無い事と云ったら無い。チケットを配らなければ、欠伸噛ます新入生か関係者でしか席が埋まらない。友達が少ない訳では無い隆臣だが、果たして、歌謡曲を好む友人や下宿先の奴等に興味持たれるか不安が募る。結局は芸者に配る羽目に為るのでは無いか、そう思いチケットを受け取った。
「捌けれなかったら如何為るの?」
「………備品が減るわな。」
軽音科の備品にも大層金は掛かるが、伝統音楽科の備品は信じられない程高額である。持ち歩く長唄三味線は自前だが、張替えの弦や撥、時折使う義太夫三味線は学校の備品である。其れが減らされては堪った物では無い。任せろ、と隆臣は親指を立てて見せたが、其の笑顔は引き攣って居た。
帰宅途中、下宿先に来るかと隆臣は美奈子に聞いた。美奈子は暫く考え、然し練習したいからと断った。来るのであれば桜餅を買わせ様と目論見謀って居た隆臣は見事当てが外れ、落胆した。桜餅は諦め、公演迄半月も無いのだ素直にチケットでも配りに行こうと美奈子と駅前で別れた。金が無い訳では無い、極端にけちなのである。
呼び出した友人に来なければ絶交だと半ば強制的に一枚チケットを渡し、下宿先の奴に御前には息抜きが必要だ云々云い一枚、歌舞伎をしょっちゅう見に行く奥さんに一枚渡した。耳の超えた奥さんに素人の、然も学生の演奏等耳障りかなと隆臣は不安ではあったが、下手すれば学生の方が上手いから、と矢張り快く受け取って呉れた。残り二枚と為り、何だ意外に簡単では無いかと隆臣は笑った。
一枚は渡す人間を決めて居た。其の人間に渡すべく、夕食を終えた隆臣は橘診療所に足を向けた。頼りない街灯の中歩き、一際明るい診療所を見た。時間は確認して来たので居るだろうと、けれど、診療所の前に停まる車に足が止まった。車だけでは無い、診療所は診察時間内であるのに異様な雰囲気を醸して居た。隆臣の察した嫌な雰囲気は命中し、硝子が割れる程診療所のドアーが開かれた。そして、自分の聴覚と視覚を疑った。
「阿呆がっ、出て行きなっ」
鼓膜を貫いた、陽気な気温には似つかわしく無い橘の怒号に隆臣の身体は恐怖で熱く為り、然し、血の気は面白い程引いて居た。
「兄さんっ、兄さん止めやあっ」
見覚えのある、車の所有者である侑徒の叔父が、侑徒に伸びる橘の手を必死に止めて居た。ドアーから放り出された侑徒は一度車にぶつかり、噎せて居ると橘が地面に叩き付けた。
「此の恥晒しの面汚しがっ、出来損ないがっ。出て行き晒せっ」
ありとあらゆる罵声を侑徒に浴びせ、一旦奥に引っ込むと侑徒の物であろう鞄や洋服を投げ付けた。
「二度敷居跨ぐなやっ、恥晒しがっ。京帝大にでも何処にでも行ったらええやないかっ」
「兄さん、兄さんあかんてっ」
俯く侑徒の髪を鷲掴み、車に何度も打ち付ける橘を叔父は制止し様と身体を張るが、憤慨した橘の力は橘より細い叔父一人ではとても無理であった。前髪から覗く、繊細な顔と記憶して居た侑徒の顔は腫れ上がり、虚ろな目で辺りを見て居た。
「何ぞ此処迄せんと、何があかんの?帝國大や無いとあかんの?」
後ろから橘の腕を止める叔父の言葉に橘は更に怒りを覚え、自由の利く足で侑徒を蹴った。
「何の為に十八年間育てた思てんねやあっ?京帝大に行かす為や無いっ、橘の名前に泥塗らす為や無いっ、聞いてんのか侑徒っ。何かゆいなっ」
「御免為さい…、ほんま御免為さい御父さん…」
「謝る位なら受かりなやっ、ほんま頭悪いなっ出来損ないがっ」
「もうええや無いか…、侑徒、倒れて迄兄さんの気持に応え様としてたや無いか。汲んだってぇなっ兄さんっ」
生気の無い侑徒の顔、此れは今に始まった事では無い。初めて在の呉服店の前で見た時、其の端麗さだけに目が行った訳では無い。余りの生気の無さに、奇麗には出来たが職人がうっかり魂を入れ忘れ失敗した人形が顔を覗かせたのかと錯覚した。人形の方が余程生気に溢れ、幾ら言葉を発しても、其の張り付いた薄い笑みの所為で人間には見えなかった。平凡な家庭で、一切怒鳴りを見せない両親で育った隆臣には、橘の姿は恐ろしく映った。手に持つチケットを無意識に歪ませ、幸い隆臣の姿は暗い所為もあり三人には見えて居なかった。
あんなに、叔父の話に依れば倒れる迄必死に為った帝國医大に落ちたのかと、侑徒の事であるのに心が痛んだ。
「其れでも受からへんかった、ほんまもんの阿呆や、期待した俺が馬鹿やったわ。出て行き晒せ、二度俺の息子やゆいなや。けった糞の悪い。」
其れだけ云うと橘は叔父をドアーから出し、隆臣の所に迄音が聞こえる程強く閉めた。閉められたドアーの音に侑徒は反応を見せ、子供みたく縋り付いた。
「御免為さい…御免為さい…。開けて…開けて下さい…、御願い、します…」
腫れた頬に涙が流れ、其の輝きに隆臣は胸が苦しく為った。こんなに奇麗な涙を流せるのに、侑徒は失敗作。心苦しさに隆臣は下唇を噛んだ。
「侑徒、もう、ええて…」
我が子が辛い仕打ちを受けた様な表情で叔父はしっかりと侑徒を抱き締め、ドアーに伸びる手を握った。
「もうええ…」
涙の滲む目を瞑り、必死に侑徒の頭に額を擦り付けた。
「帰ろや…」
「俺の家は、此処や…、此処しか無いんや……」
爪の先がドアーを掠め地面に落ちた瞬間、侑徒は頭を抱え悲鳴を上げた。何度も何度も、手が赤く為る程侑徒は地面を叩き、悲鳴を繰り返した。
「何でやあ…っ、何で落ちたんやあ…っ。嘘やぁ…っ、何かの間違いやあ………っ」
悲鳴を上げ、削る様に地面を叩き続けた。
父親が云う様に帝國医大で無ければ為らなかった。橘本人から、橘の権力が広がる京都から、そして此の叔父から逃れるには帝國医大、東京に行かなければ為らなかった。其の思いの為だけに侑徒は必死に為った。自分の容量を超えて居る事は十二分に理解して居た、けれど頑張った。
「もう、嫌や…」
京都に残る事を余儀無くされ、医者に成るよりも叶えたかった夢を打ち崩かれた侑徒は悲鳴を上げる事しか出来ず居た。
地面に突っ伏し泣く侑徒を叔父は宥めたが、其れさえ侑徒には気持悪かった。
「叔父さん…ほんま御免為さい…」
望んでも居ない大学の合格祝いを渡しに来た叔父。弟からの祝辞は、散々云われ続けた事で溜まった橘の怒りを爆発させ、見せなくとも良い喧嘩を見せた。
「兄さんの癇癪は昔からやし、気にしなや。其れより、侑徒が心配やわ。」
友達も居ない、行く当ても無い、そんな侑徒を容易く橘は放り出した。住居の事もそうだが、在の橘が学費を払うとは思えない。折角受かったのに学費が払えず退学は可哀相であると、叔父は侑徒の手を握った。
「うちに御出で、うちには子供居てへんから、丁度ええわ。」
橘からの仕打ちを、其れこそ必死に止めた叔父だが、聞こえた声は侑徒に嫌悪を走らせた。
「ほんで…?」
地面から顔少し叔父に見せ、鼻で笑った。
「叔父さんとこ行くよなぁ?ほんで?ほんで其の後は…?」
「…何の、事やあ…?」
侑徒が云わんとする事が判った叔父は表情を一変させ、くつくつと笑い始めた。
影の落ちる叔父の顔、其れに隆臣は戦慄を覚えた。
――一体何々だ、在の二人は…
静かな空気ははっきりと二人の会話を隆臣に教え、ふと在る事を思い出した。助手席に顔を突っ込んだ侑徒が、豪く長い時間留まって居た時を。
馬鹿だ馬鹿だと隆臣は云われるが、勘だけは無駄に働く。そして其れを隆臣自身信じて居た。
――駄目だろう…
即座、在の叔父と侑徒の関係性が親族関係だけでは無い事を悟った隆臣は、一歩足を進めた。
「御父さんの次は、叔父さんか…?」
侑徒の吐き捨てる様に漏らした言葉。
「御父さんには折檻に怯えて、今度は叔父さんにはソレに怯えるんか…?」
「人聞き悪いなぁ、学費と住居の見返りやんな。ええよ?別に、侑徒の好きにしたらええだけやしな。」
「せやから俺は、東京に行きたかったんや…」
張り付いた笑顔、侑徒を取り巻く環境に隆臣は吐き気がした。
――侑徒は人間じゃないか、此れじゃ本当に人形だ…
「でもまあ、ええか。俺、学費払えんわな。」
全てを諦めた表情で叔父の車に乗り込もうとした侑徒に、隆臣は手を伸ばした。背中を掴み、其の侭強く後ろに引っ張った。行き成り後ろに引かれた侑徒は覚束無い足取りで後退し、睨み付ける様に振り向いた。
「誰やの。」
「君の唯一の友達、隆臣だよ。」
「は?」
名乗られたが、隆臣の名前等完全に忘れて居る侑徒は、気味悪そうに隆臣の腕を振り払った。然し顔は覚えて居る為、侑徒は掴み掛かった。
「自分なあっ」
在の時御前に問題集を投げ付けたのが原因に違いないと云わんばかりの侑徒の張り声。言葉に出しはしなかったが判った隆臣は眉を上げ、胸倉を掴む侑徒の手を掴んだ。
「嗚呼、若しかして、落ちたのを俺の所為にしたいんだ?馬鹿だねぇ、俺は悪くない。」
「何で知ってんねやっ」
「だって、見てたもん。君が放り出される時から。京帝國大おめでとう。めでたくないだろうけど、一応云ってあげる。俺って優しいなあ。友達の居ない侑徒には判らないだろうけれど、友達には優しくするものだよ、チミ。」
「何で突如湧くん?声掛けたらええや無いかっ、暗いな自分っ」
「侑徒にだけは絶対云われたくないよ、本当。侮辱罪で訴えるよ?名誉毀損が良い?兎に角侑徒にだけは絶対云われたくない。侑徒程暗い人間、世界中何処探しても居ないと思うんだよ、ボカァ。其の暗さ、学会で発表出来る領域だよ。」
「喧しいわっ」
弱々しく蚊が鳴く様な声でしか話さない侑徒しか知らない叔父は、隆臣に対する其の剣幕に唖然とした。又、訛り一つ無く言葉を流す隆臣にも唖然とした。
「侑徒、其方は…」
聞いた叔父に隆臣は透かさず、友達の居ない侑徒君の唯一の友達です、と発した。
「叔父さん、違う。頭湧いてんやわ此奴。関わらへん程がええよ。」
「友達に対して其れは無いんじゃない、侑徒。」
「勝手に名前呼びなや自分っ」
「隆臣ですぅ。隆ちゃんって呼んで良いよ。隆様でも良いよ。寧ろ隆様絶賛推奨中。誰も呼んで呉れないけど。侑徒が初めて。いやん、初めてあげちゃうわ。隆様だよ、Repeat after me TAKA-SAMA。」
「うっさいっ帰りなやっ、絶対呼んだらへんからなっ。マンホールに向かって勝手に叫んどきなっ。反響して呼ばれてる気分なんでっ?抑…」
声を弱くし、叔父に身体を近付けた侑徒は怪訝な目を向けた。
「何で居てんの…?」
侑徒の言葉に煙草を咥え掛けて居た叔父は頷きを見せた。聞かれ、何故自分が此処に来たのか思い出した隆臣は、くしゃくしゃのチケットを渡した。
「ゴミ何ぞ要らへんわ。嫌がらせも大概にしぃや?」
「違うよ、チケットだよ。四月頭に公演があるんだ、見に来てね?」
「絶対行かへん。」
受け取る事をせず、今度こそ車に乗ろうとした侑徒の腕を隆臣は又引いた。無言で口角をひくつかせ、顔面のあちらこちらを痙攣さす笑顔を向けた。
「未だ何か?叔父さんも多忙な方何ですよ?」
余所行きの言葉を貰った隆臣は一度満面の笑みを向け、そして頭を掻いた。
「水臭いなあ。」
云って隆臣は地面に落ちる侑徒の鞄を肩に掛け、後部席のドアーを閉めた。
「待ちな、何してはんるん。俺、乗りますよって。」
「友達の所に来れば良いじゃない。」
何の為の友達だと隆臣は侑徒を車から、叔父から遠ざけた。侑徒に判らない様無言で叔父を睨み付け、笑顔で腕を引き乍ら後退した。
「狭いけど、遠慮しないで。」
「意味判らへん、ほんま。」
叔父の所に行けば自分が如何為るか判って居る、けれど学費等払える訳は無い。勉強以外知らない侑徒は生きてゆく術を全く知らず、学費以前の問題であった。三味線を弾くアルバイトをし乍ら隆臣は学費を払うが、生活費、下宿費、娯楽費は全て仕送りで賄って居る。月に一度東京に居る母親から、金は足りて居るのか不便は無いのか、そう云う旨の電話が来る。心配するなと隆臣は言葉を返すが、何処か甘えて居た。叔父の所から離しても、果たして侑徒に其れがあるか。本当に今此処で、叔父を切り離して良いのか隆臣は迷った。睨み付けた手前「御心配無く」と啖呵切りたい所だが、他人の自分がした其れで、侑徒の此れから先があるとは思えない。
「叔父さん、此奴ほんま、どっかおかしんやわ。」
「せやろな。」
叔父は煙草に火を点け、紫煙を黒い車体に重ねた。流れる煙を侑徒は暫く眺め、叔父の指から煙草を取った。
「俺…」
足れる前髪を掴み、一口吸うと指に返した。
「一晩考えるわ。」
「何を?」
開いたドアーに両腕を乗せ、興味希薄に煙を吐いた。
「ほんまに京帝大行くか。」
「まあええよ、入学手続き迄一週間あるよって。」
「一晩、隆臣んとこ、居るわ。」
前を向いて居た叔父の目は侑徒に向き、煙草を落とすと其の侭侑徒の頭に触れた。
「好きにし為さい。ほんまに帝國大に行きたいんやったら、来年あるよって。侑徒の好きにしたらええよ。」
柔らかい笑顔の叔父から、父親からは一度も貰った事の無い言葉を貰った。本当に侑徒を心配する叔父の心情が判った隆臣は、睨み付けて悪かったかなと、口元を隠した。然し叔父は、そんな隆臣の気持を完全に覆す様に、俯く侑徒の額に唇を重ねた。
――やっぱり、唯のエロ爺か。
狼狽も嫌悪も見せず、唯々叔父を見上げる侑徒。其の目には何の感情も無く、叔父の云う通り、侑徒の好きにさせ様と隆臣は侑徒の手を握った。
本当に叔父との関係が嫌ならば助けるが、侑徒が良いとゆうのなら好きにさせ様と、ドアーの閉まるくぐもった音を聞いた。
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