切り取られた風景(前)


隆臣がど豪い別嬪を連れて来た、浮気や、と下宿先の男達は隆臣が帰宅する為り玄関先に群がった。自分に興味向ける多種多様な男達を目の当たりにした侑徒は恐怖で隆臣の後ろに隠れ、然し其れが又女みたく、男達は恥ずかしがり屋さんだとからかった。やけに玄関先が賑やかだなと奥からのっそり現れた奥さんは、学生達からの「隆臣が浮気した」と云う言葉に豪快に笑った。
「阿呆やんなあ、自分等。」
手を振り「無い無い」と笑う奥さんに男達は、然し隆臣も男、浮気の一つ位する、奥さんにも覚えはあるでしょうと返した。益々可笑しさを覚え、隆臣の後ろに隠れる侑徒を見た。
「男の子やで、其の子。」
橘先生の息子はんと奥さんは学生達を馬鹿にし、侑徒の性別が判った男達は舌打ち噛ますと文句垂れ流し一瞬で消えた。消えた男達に侑徒は息を吐き、隆臣の後ろから出たが奥さんの視線に又隠れた。侑徒の人見知りを充分知る奥さんは無言で奥に消えた。冷たい空気が篭る玄関先、二人は腰を下ろすと靴を脱いだ。埃一つ無い廊下、階段を歩き、突き当たりにある隆臣の部屋に向かった。其の途中、隣の部屋の男が「何か騒々しかったけれど何かあったか」と顔を出した。何も無いと云うと、煙草の匂いが充満するドアーを締め、廊下に其の匂いを少し流した。其の匂いに侑徒は叔父を感じた。
八畳一間の部屋には万年布団が敷かれ、掛け布団はくしゃくしゃに曲がって居た。其れ以外は奇麗な部屋で、壁には三味線を構えた人間の引き延ばし写真が貼ってあった。見上げて居ると布団を出して居た隆臣が云った。
「俺の師匠。奇麗な、人だろう。」
侑徒と並び、其の写真を眺めた。細い弦を押さえるしなやかな指は指先の硬さを、睫毛の影を落とす伏し目からは三味線への愛を感じた。音が聞こえそうな程生き生きとした写真、呼吸迄伝わりそうだった。写真の下に置かれる三味線、侑徒は交互に写真と三味線を見た。
「同じ三味線…?」
「良く判ったね、一度皮を張替えたのに。京都に来る前餞別で師匠から貰ったの。」
だから在の時必死に逃げた、と三味線を折られそうに為った在の時を笑った。隆臣はからかう様に云った積もりだったが侑徒は一層暗く為り、俯いた。
「御免…」
「実際に如何したって訳じゃないから良いよ。在の師匠なら笑って許して呉れそうだし。」
写真からも判る優しさに侑徒は顔を逸らし、隆臣を見た。三味線の事等忘れた様に敷いた布団の上に座り、寝る前に風呂に入れて遣りたいが風呂の時間は過ぎたので諦めろと云った。
「ええよ、別に。」
「とは云うもの、拭く位した方が良いよね。」
橘に散々殴られた後、さっぱりしたいだろうと隆臣はタオルに四五枚持つと一旦部屋から出た。廊下の音に侑徒は顔を向け、音が消えると写真を見上げた。奇麗な人だろうと隆臣は云ったが侑徒には女性特有の美しさでは無く、作り物の美しさを感じた。写真だからだろうかと思ったが、其れは違う気がした。彼女が作り出す耽美な空間が彼女をそう見せて居るのだろうと、三味線と一体化する彼女に息を漏らした。そんな三味線はどんな音がするのだろうかと、侑徒は少し触れた。爪で弦を撫でたが音はせず、三味線とはそんな物なのだろうとゆっくりと身体を離した。
「聞きたい?」
固く絞った侭の形でタオルを持つ隆臣に侑徒は布団に倒れ、行き成り現れるなと近付く隆臣を見続けた。前に座った隆臣はタオルを纏めて渡し、小さな机に置かれる茶道具で茶を入れ始めた。
「御茶で良い?俺、珈琲とか飲まないからさ。」
「うん、何でもええよ。」
シャツを脱がず器用に身体を拭く侑徒に隆臣は手を止め、合った視線に鼻で笑った。
「幾ら侑徒が奇麗でも襲いませんから、男に興味は御座居ません。」
「ちゃうし…」
置かれた湯呑みに一度口を付け、又身体を拭き始めた侑徒に隆臣は聞いた。
「侑徒って、男が好きなの?」
「は?何で?」
御前に一度でも好意寄せた事あるかと侑徒は聞き、其の不思議な言葉に隆臣は首を傾げた。
「だって、叔父さんとは、そんな関係何でしょう?」
「そんなて?」
「だから…肉体的な…。其れって詰まり…ホモ…だろう?」
口籠もる隆臣に侑徒はきょとんと目を丸くし、唇は重ねるが身体は未だ重ねて居ないとタオルを振った。叔父にそんな勇気がある筈無いとさえ云った。
「はいもう終いな。」
自分はそうだが叔父は違うと、異性愛者の隆臣に此れ以上の話題は無理だと身体を拭き終わったタオルを奇麗に畳み、重ねると机の上に置いた。其の小さな手には擦り傷があり、手当をし様と隆臣は掬った。矢張り考え通り自分の手が大きい訳では無く、侑徒の手は美奈子の手より小さかった。
「侑徒って、良く判らない。」
余り深く関わって居ないからと云う訳でも、侑徒が自分の情報を遮断して居るからでも無い。侑徒本人が自分自身を全く理解して居ない為、隆臣には侑徒が判らなかった。何が好きなのと聞けばさあと返され、全て“判らない”と云う言葉で終わらされた。
「大学、如何するの?」
「如何しよかなぁ…」
絆創膏の付いた手を眺め、投げ付けられた鞄を引き寄せた。中にはもう不要に為った勉強道具一式がぐちゃぐちゃに溢れ、侑徒の現状を現して居た。角が少し歪んだ帝國医大の問題集を取り出し、無表情で捲った。一頁一頁にメモが挟まり、問題集であるのに問題が見えない程文字は埋まって居た。
「今見ても理解出来ひん…」
受かる筈が無いんだと自嘲し、京帝國大に受かった在れは奇跡なのでは無いかと、京都帝國大学医学学科と打たれた封筒を取り出した。見間違いでは無いかと合格通知を眺めたが、矢張り何度見ても合格であった。
「凄いよね、京帝國医大。」
「せやな…」
叔父は、本当に帝國大に行きたいのなら来年があると云ったが、侑徒に其の根気は何処にも残って居なかった。
「楽しく…」
封筒を仕舞った侑徒に隆臣は顔を向けた。
「為るかな…?」
「俺達、友達じゃん。俺、楽しい事なら沢山知ってるから、沢山遊ぼう。」
友達が居れば京都でも楽しい思いは出来る筈だからと、二度侑徒の手を叩くと柔らかく笑った。
「明日、花見に行こうか。」
「……ええよ。」
侑徒は人見知りが激しいから美奈子は誘わず二人だけで行こうと約束をした。




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