切り取られた風景(中)


帰宅した侑徒が一番最初に見たのは叔父の細君、君子であった。侑徒を視界に入れる為りソファから立ち、挨拶をした侑徒に何も云わない。台所に向かうと無言で食事を並べ、無言で自室に向かった。
君子は侑徒が気に食わなかった。
甥であるがきちんと両親が居るのだから、何故自分達が面倒見無ければ為らないのか、君子には不満だった。叔父と侑徒の父親はかなり仲悪く、正月や盆でも余り同席しない。父親の関係者が挨拶をする中に叔父は、まるで他人の様に紛れ挨拶をする。仲違いを見せ始めたのは叔父がインターンだった頃で、病院を何方が継ぐかで口論に為った。父親は結婚しており又長男で、自分が継ぐのが当たり前だろうと云った。叔父は何も、次男の自分に病院を継がせて呉れと云った訳では無く、自分は此の侭小児科医に為る積もりだから、院長は引き続き内科の父親で、小児科医もあれば便利が良いでは無いかと提案した。
其れが父親を激昂させた。
橘は代々内科だ、其処に違う科等絶対に入れないと猛反発した。内科でも子供は診れると父親は云い、子供と大人は根本が違うと叔父も反撃した。
決定打に為ったのは、インターン終わり、五年勤務した後、自分で小児科医院を開院した頃、父親が診た子供が自分では一寸判らないからと、叔父に回って来たのだ。
診た叔父は頭に血が上った。明らかに肺炎の症状が見られて居るのに、父親は其れに気付か無かった。いや、肺炎は判って居たが治るだろうと、診察を続けた。もっと早く自分の所に来て呉れて居たら楽に済んだ、子供様の薬もあった、自分の所ではもう如何仕様も無いからと、大学病院に移した。其の晩二人は取っ組み合いの喧嘩と為り、二度と関わりたく無いと最悪な兄弟関係に為った。
叔父が結婚したのは其の翌年、侑徒も同じ頃生まれた。
此れは性分か、子供と聞いたら挨拶位はと行った先、見た侑徒の可愛い事。真白い肌に漆黒の髪を揺らし、辺りをきょろきょろと見渡す。握り絞める手を宙に浮かし開閉する動きの愛らしい事と云ったら無い。小さな口をあふあふと動かし、端から垂れる涎、拭った時、反射で噛まれた。抱くと、ミルクの匂いがしたのか、袖を吸った。
此れ程可愛い赤ん坊が居るか、叔父は思い、言葉通り骨抜きにされた。二度と関わりたく無いと啖呵切った筈が、年に一番は侑徒見たさに叔父は父親の所に行った。
君子には、此れが面白く無かった。
口を開けば侑徒と、そんなに子供が好きなら作ろうと云ったが「侑徒の可愛さがぼやけてまう」と、賛同し無かった。一年一年、会う度に侑徒は美しい姿を叔父に見せ、君子には見せ付けた。君子は大して良い面構えでは無かったのだ。男と思えぬ愛らしさ、其れが一層君子の神経を苛立たせた。父親の妻、兄嫁が大層見目好いのだ。兄嫁の美しさにも劣等感覚え、其れから生まれた侑徒は矢張り同じ劣等感を君子に植え付けた。
――子供は、未だ何か?
――何やうちの人ですね、侑ちゃんが一番らしゅうて、よぅ気が乗らんて…
――変わりもんやな。
其の内、其の内、幾ら愛らしかろうが男、何時迄も其の侭の訳にはいかないと君子は信じて居た。そんな君子の期待を裏切る様に侑徒は一層美しく育ち、叔父を虜にした。
――侑徒が女やのぅて良かったわ。
――何でですのん?
――女やったら嫁行くやん。そんなん俺、堪えられへん…。兄さんより泣くわ。兄さんが許しはっても俺が許さへん。
侑徒に対する敵意がはっきりと表れたのは此の頃からだった。其れは愛人に轟々と嫉妬するのに似て居た。叔父とて何も、侑徒だけに熱心だった訳では無い。侑徒が高校に進学する迄、何度女の気配に心労したか。此れは決まって、侑徒に何処か似て居た。もうしないもうしないと逃げ、ほとぼり冷めた頃に又女。諦め切った時、もう何も云わないが外に子供だけは作るな、橘の名前に申し訳無い、と頼んだ。其の叔父の返答は「当たり前やないか」「御前に悪いわ」、君子は安心したが次に出たのは「侑徒居てるのに作るか」、此れである。
逸そ己が侑徒と結婚してまえっ、と呆れ果て声が出なかった。
兄夫婦は嫌い、其れの子供侑徒はもっと嫌い。
男であるのが救いだったのだが、夫の不審な動きは充分察知して居た。料亭の領収書がわんさか出る、見付ける度笑いも出る。「誰と行きはったん?」「侑徒や」、三回同じ会話を繰り返した後はもう無言を貫いた。貯めた領収書は、ノート二冊に相当した。
帝國大に侑徒が落ちたと聞いた時、君子は笑いが止まら無かった。夫の手前「まあ難儀なあ」と云ったが、腹の中では笑い転げ万歳三唱して居た。うちの恨みが晴れた晴れたと、侑徒を慰める為料亭に向かった夫の居ない家で、踊り散らかした。
然し一皮向けば何だ、在の忌々ましい侑徒が家に転がり込んで来たでは無いか。愛人が本妻に堂々対決を申し込みに来た、腸煮え繰り返り、最近の君子は矢鱈無言である。
其の細い首を力一杯絞めたい君子であるが、食事を与えて仕舞う。部屋が散らかって居れば掃除をして仕舞う。天気が良ければ布団を干し、「ええ匂い…」等云っては膨らます。愛人に心地好ぉ提供して何してんねや、と君子は我に返る。其の度侑徒が丁寧に頭を下げ感謝を一杯表すのだから、「ええよ」と云う。「私は本当は御前何か大っ嫌いで、殺したい程何だ畜生」と自分に言い聞かせる君子であった。
そんな君子の愛憎を練り込まれた食事を取って居た侑徒、叔父は帰宅した。鱧の吸い物を飲んで居た侑徒に断る事無く叔父は青葱が罰点に乗る出汁巻き卵を摘んで食べた。
「行儀悪いわ、叔父さん。」
「君子の拵えたもんに行儀も何もあるか。」
「ちゃう、俺、其れ最後に取ってたんやわ。」
「ほぅ、堪忍。」
「許さへん。」
「ほんなら返すわ。」
「要らんて、飲み込みな。」
叔父の食べた其れは侑徒の口に返された。燕ちゃうで、と気持悪さに吸い物を飲み干す侑徒、叔父は椀に残った鱧を食べた。
けしょくの悪い…
叔父が帰宅した気配を察知した君子は、まさに愛人との蜜事を目の当たりにした。帝國大落ちた其の小さな頭を俎板で殴り付けて遣りたい、そしたら容量少し増えるのでは無いか。
叔父に食事運んだ君子は、叔父の出汁巻き卵の皿と侑徒の皿を交換した。




*prev|2/8|next#
T-ss